第113話
「ねぇほんとに大丈夫?こんなカッコで謁見なんて聞いたことないんだけど」
「服装なんかどうでもいいよ。むしろこっちとしてはアレを敬いたがる方が理解できんのだが」
1頭の鹿毛の馬と、漆塗りの車体にゴムタイヤを履いた馬車が樹上を走っていく。あれから演習場は押し寄せてきた陸軍部隊によって完全封鎖され、避難させられる民間人に紛れる形でその場を離れた後、セーフハウスに戻りあんたらのおかげで満足に眠れもしないとか言われながら厳戒態勢を取る事数時間。部隊は演習場を封鎖するのみで、人を探しに市街地へとやってくる事は無く、どうやら今回は葛葉個人の行動であり軍が関与していた訳でないようで、単純に化物退治のためやってきて、既に事は終わっていたと知るや大半が帰っていってしまった。残った僅かな人員で負傷者及び死者の収容、被害確認、事情聴取を行い、演習場自体はかなり早々に収束を見たものの、市街地の緊張が解けたのは日付けが変わってからだった。現在午前1時、数度の仮眠を除けば2徹目となった水蓮を引き連れ高度2500mまで上がり、そして今迎えの馬車に揺られている。
「スズ」
「ん…?」
着替えず私服のまま嘉明のもとへ向かっている事に不安を覚える水蓮を日依があやしている間、窓の先で光る月をじっと見つめていたスズはアリシアに話しかけられるとようやく視線を車内に向ける。進行方向右側に座るスズの正面にアリシア、左側では日依と水蓮が話し込んでおり、中央の小毬は眠たいらしく半目でうつらうつら。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫、…うん、だいじょぶ」
あまり元気のある返事ではなかったが、アリシアは続いて何か言い出す事はせず、無言で頷いた後、船をこぐ小毬を気にかけ、しばし注目していたらとうとう意識を失ったため、倒れる前に肩を掴む。ひとまず元の姿勢に戻すもまったく安定せず、仕方なく自分の方へ引っ張って膝の上へ乗せると、すぐに小毬は寝息を立て始めた。
「たぬきも夜行性なんだけどねぇ」
「疲れたのでしょう、怪物を仕留めて生計を立てたり、訓練を受けている訳でもないのですから」
完全に眠ってしまった小毬の耳を引っ張ってむにゃむにゃ言わせ、するとそのあたりで馬車が減速する。左へ転回し、あらかじめ開かれていた門をくぐった先で兵士に誘導され到着した庭で完全に停止、待っていた武川大佐が馬車の扉を開く。同時に門が閉められた、金属の軋む音を聞きつつスズは馬車から顔を出す。
「全員男か、こりゃイラついてるだろうねアイツ」
「よくご存知で……って何だ子供ばかり…じゃ…と…すずひ!!?」
「声がでかい!」
筋肉質なスポーツ刈りという点では蜉蝣(かげろう)と似た匂いを感じるがあれよりも真面目そうであり、それがそのまま階級の差に現れているのだろう。いやそんな事よりも、重要なのはこの時勢の中どこのコネにも頼らずここまで出世したという点で、本当に誰もが認めるほど有能でないと出来る事ではない。皇女様の存在に気づいてしまった彼の叫びを途中でキャンセルさせ、口元に人差し指を立てながら降車。
「失礼しました……陛下がお待ちです」
「うん。アリシア?」
「動けなくなってしまったので待機します」
「水蓮?」
「その…先に行って紹介して」
何をビビる必要があるのかと親族にとっては果てしなく疑問であるが、まぁ肩書きだけ見ればわかる気もする。5人乗ってきた馬車から降りたのはスズと日依だけ、武川に連れられて館へと入っていく。代々続く名家と比べるとそりゃ小さいものの、ただの平民からここまでのし上がったと考えればとんでもない広さである。
「女の気配がせんな、独身?」
「まぁ」
「男子校?」
「まぁ……」
「おいおいやっばいぞぉ、老後の心配はしなくともよかろうが、周りの視線とかどうよ」
正面玄関から靴を脱いで上がり、廊下を歩きながら日依は武川を質問責めにする。この広い館を維持する為の使用人は全員男性、どこぞの青髪狐とその同期みたいな稀有な事例でもない限り職場も男まみれだろうし、この手の人間は恐らく今この瞬間も緊張している筈だ。
「紹介しようか?22歳神祇官だ、趣味は酒とタバコとパチンコ」
「えっ、あ、その……」
「内気な高校生じゃねーんだから……」
内部は廊下まで畳敷き、外見と肩書きからしてもっと無骨で大雑把なものを予想していたが、深夜の和館を引き立てるように弱い照明を用い、障子紙をオレンジ色に染めている。例えるなら高級旅館、下手に騒ぐと怒られそうな、そんな感じ。
「モテる条件揃い切ってるんだ、もっと自信持て。根拠もないのに自信たっぷりなヘビもいるんだぞ、な?」
「…………」
「……で実際のところどんな感触だったの?」
「干からびたゴム」
ニヤつく日依を睨みつけている内にひとつの部屋の前まで辿り着いた。応接室にしては奥すぎるので寝室か何かだろうか、障子の向こうは明かりがついていて、奴の気配は感じるものの物音ひとつ聞こえず、タバコも吸う筈だが煙が漏れてくる事もなかった。これは何かあるとその時点で察し、武川が開けるのを待たずスズは自分で障子を開ける。
「…………」
床の間のある和室の中央で、そいつは正しい形の胡座(あぐら)をしていた。
最後に見た時と比べれば明らかに歳をとっている、しかし服装も髪もまったく変わらず、やけに鍛えた体も維持しているようだ。開けた瞬間、ゆっくりとスズの顔を見上げ、そのまま少し黙っていたが、意地悪そうに笑い敢えて背を向ける日依と、急な沈黙に戸惑う武川を置いてスズが入室、嘉明の正面に立つ。
「来たけど?」
軽い感じに言ってやると、黙るのをやめて溜息をひとつ、そして決心がついたように口を開く。
「お前がどうやってここまで来たかは知らん、だが何故ここに来たかは知っている」
「……」
「瑞羽大樹に黒曜石を埋め込んだのは俺だ」
この一連の騒動の始まりは、と聞かれるとやはりそれになるだろう。確認される限り人的被害ゼロ、連鎖的に現れた大鬼によってかなりの建物が破壊されるも、その後の事が大規模過ぎたために半ば忘れられている。しかしあれがあったからこそ雪音は艦隊と海坊主を引き連れて瑞羽大樹までやって来たのだし、スズの存在が知られる事も無かった。
つまり誰にも知られず暮らしたがっていたスズを動かす為に、あんな田舎を目立たせたのだ。
「上の状況はお前達が想像する以上に酷い、この世のありようを異常と考えてるのは、俺の知る限り2人。そいつらも下手を打とうものならすぐさますべてを失うだろう。何をするにも味方が少なすぎた、だからお前の…いやお前が動かずとも何かの引き金になればいいと、俺個人の身勝手のためにお前達全員に動く事を強いた」
「…………」
「俺は既存の仕組みをぶち壊してでもこのふざけた世の中を終わらせようとしてる、だがそれは俺個人の意思だ、お前のじゃない。お前が現状に納得しているか、もしくは興味がないなら、今暴れ出しても文句は言わん、この賭けに負ければ俺も詰むからな」
と、そこまで一気に喋りきり
「好きにしろ」
最後にそれだけ言って彼はまた黙った。
狼狽える武川と、関係無いとばかりに背を向けたままの日依に少しだけ目を向けたスズだったが、そう時間を置かず、目を伏せ息を吐いた後。
「それはもういいから」
そういう返答を下した。
「可能な限り死人を減らせ、あたしからの要求はそれだけ」
「…………そうか」
期待を外れたのか安堵したのか、一際大きく深呼吸、あぐらを崩して右足を立てる。同時に背後でも動きがあり、馬車に残ってる金髪を連れてこいとの日依の声。
「タバコ……」
「ほら」
「なんで持ってんだよ」
「アンタが持たせたんでしょうが」
「ああそうだった…タバコ吸えない呪術師なんぞサビの入ってない寿司みたいなもんだ」
胸ポケットから出した緑の紙箱を丸ごと投げる、そこでようやく日依も部屋に入ってきた。
「そんじゃ、無事に和解したところで現実的な話に移るが……」
「おま…!なんでバットなんだよ!もっと良いもんいくらでもあるだろ!」
「やかましい!こちとら味なんてどうでもいいんじゃ!」
「移…お前ら……」
「しかも賞味期限切れてんじゃねえか!一箱吸うのにどれだけかかって…!」
「台無しじゃねーか黙れ!!いいからちょっと黙れ!!」
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