第100話

「碁石みたいだなお前ら」


「レーザーで焼灼止血されたいのですか?」


確かに血は止まっていた、止まってはいたが、外観的に酷い惨状となっている傷口をこのまま治癒させたら抜糸が不可能になる上に茶色い筋っつーかもはや段差というべき傷痕が残る、という理由により、霧吹きで殺菌剤をまいたセーフハウスの洋室のソファに日依は座らされ、局部麻酔を追加しつつ傷痕を小さくする努力を受けていた。とにかく早く完治させ、後は美容整形で痕を消し去る、とのこと。治った後の事に関して本人はさほど興味が無さそうではあるが、何が何でもキズモノにしたくないらしいアリシアは他人に引かれるとか婚期が遅れるとか理由を付けて再縫合作業を続けている。まぁそういう細かい事をしていなかったらお母さん呼ばわりなどされない訳で。


「そんじゃ今のうちに話を進めよう、主治医の話では私はこの後吐き気と眠気に襲われるらしいからな」


室内にはソファに座る日依、曲がった縫い針を抜き刺しするアリシアの他に、結んだ縫合糸をすかさずハサミで切る小毬、困った顔で口元を押さえながら作業を眺める水蓮と、アリシアもびっくりの無言無表情のまま部屋の隅で正座させられる真っ黒な少年がいる。水蓮は彼を家に上がらせる事に関して何も言わず、というか当然とばかりに招き入れ、そして正座を命令したのも水蓮である。


「その前に、まずこの場からスズを遠ざけた理由について」


「それはまたクラリスちゃんのいない場所でな」


「えっ?」


「まぁまぁ、色々あるんだ、気まずくなりすぎてやってらんないとか」


いきなり名前(本名)を出された水蓮は我に返ったように顔を上げ、口元を隠していた右手をどかした。その後日依と少年を交互に見て、僅かに呻く。


「とりあえず……彼を紹介してもいい?」


「ああ、そちらからどうぞ」


「そちらから…?」


やっぱコイツ苦手だわ…という表情になりながらも少年の左横まで移動、他の3人に向き直り指を伸ばした右手で少年を指し示した。今の今まで一言も喋っておらず、きっとこれからも喋らないだろう。それをわかっているからか、おそらく彼の上司をやっていると思われる水蓮は自己紹介などさせず代わりに話す。


「鞍馬 悠人(くらま はると)、私が現地で雇った偵察要員よ。詳しくは知らないんだけど天狗の先祖を持ってて…ええと…?」


「鞍馬天狗(くらまてんぐ)な、平安時代の」


「そうそれ」


パチリと最後の糸が切られた。これで縫合完了、小毬はハサミをアリシアに返してゆらりと立ち上がった。


「牛若丸(うしわかまる)っていうのに剣術を教えた…ん…?」


「寺に入れられてた当時は遮那王(しゃなおう)、のちに源義経(みなもとのよしつね)と名を変える。源平合戦において前線指揮官として参戦、平氏方の滅亡に最大の貢献を上げた人物だ。こいつは幼少期に天狗から稽古を受けたとされる、その天狗が鞍馬天狗」


水蓮から戸惑った視線を受けつつ小毬は歩く、俯きながら、少年改め悠人に向かって。


「平氏を滅ぼした奴の師匠の子孫」


「ほぉ…ほぉほぉほぉ……」


やがて右横に辿り着いた小毬、黒い感じの笑顔を浮かべて膝をつき、悠人の肩をべしべし叩く、そりゃもうべしべしと。


「そうなんデスかお兄さんー、いや仲良くなれそうDeathねぇー」


「…………」


それに対してもやはり無言のまま、ただ僅かに目を逸らした。それが何を意味するかはわからないが、少なくとも仲良くなれそうにはない。


「今度は何…?」


「知りたきゃ自分で調べてくれ、太三郎狸(たさぶろうたぬき)だ」


包帯ぐるぐる巻きまで終えた日依からアリシアが離れ完全に処置を終える、できれば塞がるまで寝ていて欲しいのですが、と言い残したものの、どうせ聞き届けられる事は無いのでそれ以上何も言わず。


「それでその…今日悠人に任せてたのは不審人物の監視と排除、あんた達の外見は教えてあったんだけど、自由に姿を変えられるとまでは言ってなかったわ……。それに暗かったし、言っちゃ何だけど、一度動き出したら止まらないのよコイツ……」


「まぁそんな感じだろうな、特にそいつのバカさ加減はよく知ってるさ。責任取れなんて言うつもりはないから安心せい」


「あ、そう……いやでもその傷…」


「これ?これはクソババアにやられたんだ」


「誰…?」


「それじゃ今度はこっちから紹介させて貰おうか」


その時点になってようやく小毬を止め、日依がゆっくり立ち上がる。で小毬と入れ替わりで隣に立ち、黒い髪の頭を何度かつつきつつ。


「こちら近衛府、現右近衛大将、鞍馬氏の跡取り息子である悠人(はると)くんだ。ヒサヒトって読むなよ、絶対だぞ」


「え゛……いやいやいやいや、いくら冗談でもぶっ飛びすぎてるでしょ、苗字が同じだからって」


「本当だ、元神祇伯が言うんだから」


言って、信用させるべくいきなり日依がどこからともなく、マジシャンの如く指を振る事で名刺を出した。それを水蓮に突きつける事数秒、本当に目玉が飛び出るんじゃないかってくらい驚愕し、そして両手で顔を覆う。


「あんたらは何度私を驚かせれば気が済むの……」


「まだメインディッシュ残ってるぞ」


「うぇぇぇ…?」


近衛府は政府を構築する二官八省一台五府の中のひとつ、天皇を中心に大内裏の防衛や周辺警備を担う部署だ。武装しているものの軍とは完全に切り離された別組織で、言うなれば武装親衛隊。二官のひとつである神祇官も護衛を受けているし、皇女様など24時間体制で。当時悠人は10歳だったが、24歳の少将閣下や15歳の神祇伯が誕生するほど極端な世襲が敷かれる世の中、成人してから仕事を覚えるのでは遅いのだ。とにかく同じ貴族の出身、年齢も近いし、むしろ知り合いでない方がおかしいというもの。


「クラリスちゃん、君はほんとに諜報員なのかね」


「うるさいわね!ビラ撒きばっかしてる下っ端にそんな期待しないで!」


と、そのあたりで室外から物音がした。まずガラリと引き戸が開かれ、木床を裸足で歩く足音が続く。よほど気を抜いているか難聴でなければ気付く音量だったがアリシアが手を上げ、時間切れとジェスチャー。


「私らとコイツと君らの関係はそんなとこ、これはまったくの偶然だ。居るって知ってたらこんな事にはならなかったしな。とりあえず悠人、そこの窓から脱出するんだ」


言われた途端、極めて素早く悠人が立ち上がりカーテンを開け、縁側っぽいベランダへと移動、きちんと窓を閉めた上で、間も無く暗闇に姿を消した。

ひとまず監視を再開、というところだろうか。


「お風呂空い…たけど」


そう間を置かず、入れ替わりでスズが現れる。パーカージャージを脱いだ黒Tシャツとショートパンツ、頭には耳を隠しがてらタオルが巻かれていて、全身からは僅かに湯気。


「スズ、ちょっとこっち来て自己紹介してみろ、フルネームでな」


「なんで…?」


「明日の天皇捜索を円滑に進めるためだ、ほらメインディッシュ」


「何のメインだよ……」


言われて、ドアを開け上半身だけ廊下から出していた体勢から完全に入室、もう何言われても驚かないとばかり眉を寄せる水蓮の前に立つ。少し考え、それから頭のタオルに手をかけた。ほどかれた白い布の裏にある濡れた髪と、褐色の狐耳を露わにし。


「えーじゃあ改めまして、わたくし咲宮鈴姫内親王(さきのみやすずひめないしんおう)と申します」

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