第89話
不時着水させたキャメルが注目を集めている頃、海面すれすれを飛行していた1体のワイバーンは上昇、急加速して港湾施設の裏側へ入り込んだ。音を響かせないように着地し、背中に乗っていた2人の少女を素早く降ろすと、暗緑色の巨体は光の粒となり魔法陣へと吸い込まれていった。
「…………えっ」
少女のうち片方、丸く小さい狸耳のある緩いウェーブが入ったブラウンのサイドテールを揺らして降り立った
「えっ?」
ひとしきり固まった後、ざしざしざしざしと右足で何度も下を踏みつける、その度にスニーカーは茶色さを増していく。しばらく黙って眺めていた
「砂だよ、砂浜」
舞い上がった砂粒を目で追いながら言う。赤いタンクトップの上から白いキャミソールを重ね着し、下半身は短いレイヤースカートと、身長かさ増しついでのプラットフォームサンダルを組み合わせている。何の違和感無く動き回ってはいるが、腹部は包帯ぐるぐる巻き、足は湿布だらけ。狐耳を隠す麦わら帽子、真っ赤な背中までの髪の下にある傷は精神力で治した(本人談)ものの、見事にぽっきり折れた左腕は簡易ギプスを装着中。
満身創痍である。
「砂!?これ全部!?」
2人の立つ場所から西1kmに民間港があり、無数の漁船や貨物船がひしめいている。その南に隣接する形で軍港、ここから見る限り戦艦3隻が港内に存在していた。うち2隻が
その反対側、東11km先にそびえるのが皇天大樹だ。高さ、樹上面積共に東洋最大、近隣大樹すべての管理を行う首都機能を持ち、そしてこれまで関わってきた事件の根源を生んだ暴政の本拠地である。枝はここまで届かんと空を覆い、頂点はまさに天を突く高さ。僅かながらここからも樹上の様子が見て取れ、少なくとも見える範囲では普通に生活、すなわち鳳天大樹のような弾圧を受けている様子は無い。
で、港と大樹の間にある、というか大樹を中心に広がる半径10〜15kmの円形地帯、そこには砂と土と岩と森があった。
「どうだ?まっとうな陸の上に立った気分は」
陸、陸である。
この海と樹しか存在しない世界においてたったの直径30km以下とはいえ、波の打ち上がる浜があり、その内側には大地が広がり、さらに森林があった。標高は10mあるかどうかだろうか、元々この一帯は岩礁もいくつかある浅い海だったので、少しでも海水面が下がればこうもなるだろうが。
「な…なんでこんなもんがあるんデス……」
「私とて詳しくは知らんよ、スズが内裏を脱出した8年前にはここは海底だったんだが、それから急に水が引いてって、同時に大樹も背が伸び出した。現時点においてここは世界唯一、人が住むに足る面積を持つ陸地だ。何らかの力が働いているのは間違いないが、何をやってるかなんて検討もつかん」
とにかくキャメル組と合流しよう、と日依は歩き出した。近距離を観察すると東500mで砂浜は終わり、円形の陸地をぐるりと回る無舗装路、その先には森林が立ち並ぶ。日依の進行方向にはアスファルトを敷いた舗装路があり、森の先の市街地と港を繋いでいた。
「うへぇ……樹の根元までは歩くんデスか?」
「勘弁してくれよ、半日前に腹開いたばっかなんだぞ。なんかあるだろ、馬車とか」
話しながらざっしざっし砂浜を歩き、やがてアスファルトの上に辿り着く。その間小毬は3度転倒した、生まれてから今まで樹の上、言ってしまえば木床しか歩いて来なかった彼女にとっていきなり砂は難易度が高かったようで、砂まみれとなった小毬を見て日依は笑う。はははバッカでーとか言ってたら日依も転んだが。
2車線道路の反対側にはアリシアが立っていた。束ねた髪は解き、潮風に揺らされながら視線は上、大樹頂点をじっと見つめている。前時代から数万年を超えてきた彼女は砂浜程度間違いなく歩き慣れており、実際、何から何まで白い体はサンダルと足の甲以外に砂が付着していない。ある程度まで近付くと大樹の観察をやめてこちらを視認、スズの肩をつつく。
スズはアリシアの横で荷物と一緒に体育座りしていた、まぁこれはいい、何が起きたか大体想像できる。
「歩き方教えてクダサイ!」
「真上から足を落とし、真上に上げれば転びません」
「お…おおおおおおおお!」
元気に砂浜を走り回る小毬を置いて日依はアスファルトへ上陸、全身の砂を落とした。道路の左右を見れば何かがやってくる様子は無い、バレていないし、少しはゆっくりできそうだ。
「
「こいつはいつから仏門に入った」
「先程からずっと」
完全に制御された意図的な墜落とはいえ海面と激突したのは事実、二度と消えないトラウマとなったろう。機械オンチをこじらせて機械恐怖症となりつつあるスズの読経を聞きながら脇に立つと、まずアリシアに転んだのがバレた、引き止められ、砂まみれの包帯を迅速に交換。僅か1分の早業に感嘆した後、改めて意地悪そうな笑みを浮かべ。
「
「恐き恐きも
ゴォン!と鐘の音を伴う右アッパーを見舞った。
「なっ、なんぞ!?」
頭に衝撃を与えれば記憶が飛ぶかなと思ったのだが、どうも本当に飛んだらしい。3回転くらいして砂まみれになったスズは勢いよく起き上がり、今目覚めたとばかりに首をぶんぶん回す。
「私らの上司は誰だ!」
「お稲荷さん!」
「よし!」
満足した日依、指をくいくいやってスズを招き寄せた。次いで小毬も走り回るのをやめさせ、持ってきた荷物が残らずあるのを確認。
とにかく最初にやるべきは拠点の確保だ、一行がここに存在する事が相手方に割れるまで推定2日、それまでにスケジュールを全消化しなければならない。速やかに寝床へ辿り着き、荷物を置いて、情報収集を始めなければ。
その為には
「足が必要だ、馬車を1台捕まえて……」
「終わっています」
「……えっ」
日依が言った瞬間、アリシアは路肩を指差した。そこには確かにタイヤの付いた箱型の物体がある、しかし馬は1頭もいないし、代わりに牛が引いてる訳でもない。乗員席の前方にはエンジンの収まる出っ張りがあり、それが馬の代わりを務める。全体的なフォルムとしては丸目のヘッドライトが備わる細長いエンジンルームに真四角の屋根付き馬車を合体させただけのような、空力特性も安全性もあったもんじゃない黎明期の代物。
「自動車です」
「「……じどーしゃ」」
「やはりこの世界は歪ですね、飛行機が実用化されているのにここまで自動車の知名度がないなんて。要するに、馬で引く必要のない馬車です」
「「…………?」」
「……では行きましょう、荷物を積み込んでください」
「待ってお母さん!諦めないで!」
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