第40話

香菜子ちゃんは禁煙中だから葉巻なんていらんよ、な?な!?などと上司が仰るので、葉巻3本入りの木製シガーケースはまだスズの手中にある。本人は絞り出すような声で要りません…っ!とか言っていたが。


「コイーバ、ハバナ葉ですな」


直径約2センチ、長さ18センチ、黄色いラベルの貼られた高級品である。たかが3本ながら1万円を超えるそれのうち1本をつまみ出し旅館の主人は言った、白髪の多い70代ほどの男性で、紺の着物を着て、黒縁の老眼鏡をかけている。


「手に入れようとしてもなかなかお目にかかれない品ですが、処分にお困りというなら喜んでお手伝いしましょう」


彼は笑いながら私室の棚からシガーカッターを出してきて吸い口を閉じていた葉を切断した。続いてライターで反対側をじっくり炙る、これでもかと炙る、ようやく均等に火が付いた葉巻を咥え、椅子に腰掛けながら最初の煙を吹いた。満足そうに頷いて、湯のみの置かれたテーブルの反対側に座るスズに目を戻す。


「職業上仕方なくと言われましたが、普段はどんなものを使われているのですか?」


「え?…えーと……ゴールデンバット」


「ゴ……」


内ポケットに入るタバコを改めて確認、緑地に金色のコウモリが描かれたパッケージだった。使用目的上味も何も関係無いので一番安いのをチョイスした結果であり、ちゃんと見た所でゴールデンハインドとそういや似てるねくらいの感想しか浮かばない。しかし彼は違う事を思ったらしく、いやいや他にいくらでも選択肢あるのに何でそこ行っちゃったんだアンタ、みたいな顔をした。


「あー……。それで、刀鍛冶をお探しでしたかな。丁度知り合いに1人おります、手紙を書きましょう、後でお部屋に持って行きますので」


「うん、ありがと」


これで武器調達の目処がついた。どうやった所でハンドガンだけはあまりに厳しい、特にこれから戦う相手は弾丸を弾き飛ばす事を確認しているので、相対する前に元の装備、刃物2本を腰に差した状態に戻しておきたい。


「しかし、腕は良いのですが、少しばかり変わり者というか、やかましい奴でして」


「やかましい?どういう風に?」


「一言で言うと…そうですね、脳味噌お祭り男」


「あっ…うん」


それ以上の説明はいらないとばかりに頷いて、残り2本となった葉巻をポケットにしまう。自分で吸う気はまったく無いので、この調子でお代がわりに使ってしまおう。


「部屋は……」


「好きな所をお使いください、貸し切りですので」


「ご迷惑おかけします」


「いえいえ、迷惑をおかけしているのは我々の方ですよ」


「?」


現時点において、明らかにこれは迷惑だな、という案件は3つ、まずアリシアの神業射撃に始まり、さっきまでエントランス部分の囲炉裏で繰り広げられていたどんちゃん騒ぎ、そして今まさに客室にビニールシートを広げて行われているミサイルとかいう超兵器の改造作業。どれかひとつ取っても本来なら出入り禁止を喰らうレベルのものである、他に客もいないし、貸し切りと言ってしまえばそれまでだが。

が、旅館側からこちらに迷惑をかけられた覚えは無い。


「この世の中の事で」


主人はまた煙を吹く、舞い上がったそれを眺めながら、思い出すように目を細め。


「私があなたくらいの歳だった頃、ここはただの田舎でした。今のような便利さこそありませんでしたが、よく考えますよ、何も憂いる事なく自由に過ごせたあの頃ののどかさを保ち続けられたらと」


「田舎のままで?」


「ええ。まぁ無理な話です、そもそも急速に技術力を身に付けなければならなかった理由は西洋軍にありましたから。田舎のままでいたら今よりずっと酷い環境となっていたでしょう、良くも悪くも、東洋を守ってきたのは皇天大樹、それは間違いありませんが」


今東洋を苦しめているのも皇天大樹である。結局のところ敷かれた体制は同じ、参政権の無い独裁政治である。頭脳がひとつしか無い上、そのひとつも腐ってしまっている。手当たり次第に恐怖支配を行い、鳳天大樹だけでもこの数ヶ月で200人以上が体制維持の為に殺されている。


「あの頃の我々は皆を助けたいだけだった、誰もが望んで軍に入り、二度と戻れないかもしれない戦いに赴いた。それが世を、自らの子供達の為の世界を作る為になると信じていました。だからこそ、あなたのような若い世代にこんな世界しか残してやれなかった、それがたまらなく悔しいのです」


ギシリと廊下の床が軋む音がする、それはまっすぐ近付いてきて、部屋の戸の前で立ち止まり。


「これからやろうとしている事は我々の過ちの後始末でしかない、本当なら自らでやらねばならないのですが、どうにも我々は歳を取りすぎた。世界の歪みを正す迷惑を考えれば、部屋などいくらでもお貸ししますよ」


ゆっくり戸が開いた、赤い狐が現れた。


「やりたいようにやってるだけだよ、考え過ぎだおっちゃん」


「でしょうかね」


日依は言いながらスズに手招き。椅子から立ち上がり、軽くお辞儀してから歩いていく。


「何?」


「ちょっと血をくれ」


「はぃ…?」


「いいから」


「ちょ…待……」

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