五章② 過去から来た恋人
テレビは色つき鍵盤のまま沈黙。消えないところをみると電気は通っているらしい。
となると、このあたりは市街区ではないようだ。田舎者扱いされた気がしてサクヤは不愉快になったが、ひとまず置いて演説を思い返してみることにした。
要求を明かさず、おまえたちは人質だと田村は言った。
民衆の扇動が目的かと思っていたが、どうやらそうではない。クーデターが成功するまで生徒を隔離するつもりなのだろうか?
すっきりしないが生徒会はすべて把握しているのだろう。一般生徒であるサクヤが知るよしもないし知りたくもなかった。
パニックになるかと思ったが外は静かだ。住民たちにとっては、おかしなことやってるな程度の認識なのだろう。
ついこの間まで田村に糾弾される側にいたはずのサクヤは、心の底からワクワクしていた。誘われていたら協力していた気さえする。
サクヤはたしかに揺さぶられたのだ。
いま田村が訪ねてきて化学兵器――例の神経のガスだろう――を散布してこいと頼まれても拒まないだろう。そのときは嬉々として死をバラまいてやる。
サクヤを好きにさせてやったのだ。サクヤだって好きにする。
全員死んでしまえばいい。
アキは死んだ。ヴィーナだってもういない。
サクヤだけが生きているのが不思議でならなかったが……ふと気がつくと、リビングの扉の前に白い女生徒が立っていた。
あらゆるネットワーク情報を自己とリンクさせる同調系能力者。サクヤの先輩でありかつての恋人、
零番街の住民の約四十%が生後十四年までに、以降はまちまちだが遅い者でも二十年ほどで肉体的成長が止まる。
成人、大人。その言葉が用いられることが少ないのは死ぬまで外見を維持するせいだ。
「大人」に近いニュアンスの言葉は「三年生」だろう。飲酒や喫煙を含めた多くの規制を解禁されるのは三年生からになる。
知り合ったとき峰上ククリは三年生だった。何期生なのか不明なので実年齢はサクヤも知らない。公式記録上は三年生【十万五一期生】……あきらかに改ざんされていた。
小柄だったアキよりもさらに低い背、より幼い容姿。
生後十年以下で成長を止めるのはわずかに一%足らずだが、
ミコトが五百人生まれたとして、その中にククリと同じ能力者はたった一人だ。希少ゆえにククリは六区専属ではなく生徒総会預かりの身で、複数学区を担当している。
「やっぴー、生身のヒトが呼ばれましたぞ。だれに? ボクさっ!」
実際に会うのは久しぶりだったが、去来したのは懐かしさではなかった。両の瞳は真っ赤。腰まであるストレートの髪は毛先まで真っ白。まるでウサギだ。
サクヤが初めて会った峰上ククリの瞳は茶色で、髪は半分ほどがメッシュのように白かったのをおぼえている。サクヤがミコトになり親しくなった彼女と一緒に暮らし始めたとき、ククリの瞳は前より赤みがかっていた。
年を追うごとに白髪が増え、会話にひどく難解な言葉が混ざるようになった。口調と人格はそれ以上の速さで変わっていった。ククリと別れた原因はこのせいでもあった。
ちがう、これこそが本当の理由だ。
怖くなったのだ、サクヤは。
稀有なその力は彼女自身の脳を侵した。
白山比咩神の力は、記憶や自我や言語野の領域を改変するまでフル稼働させて、はじめて実現するものだったのだ。
大切な相手が変わってゆく姿にサクヤは耐えられなかった。そこまで捧げなければいけないのか。持ってはいけない疑念が生まれそうになった。
だから別れた。
ちっぽけな自分を守るために離れるしかなかった。サクヤにとってミコトは誇りであり栄誉でなければならなかったからだ。
その彼女が、あの日とは完全な別人となって目の前にいる。
「田村くんさ、ダメダメじゃん。演説にジークが足りない! サクヤ的にどーよ?」
サクヤをスキャンするように舐めまわした真っ赤な瞳が、顔の位置で止まる。血の色に変わってしまった視線に頭の中を見られている気がして、思わず身震いした。
「ふーん、感化されちったね。ザレゴトハヤメロ的にー」
鼻歌まじりに揺れる身長は座る自分と同じくらいだが、サクヤは圧倒されていた。
「んでモーニングコールがスルー検定中なのはイジメ? 泣くよねー、ボクが」
「……関係ない、もの」
「ちっとまっててさ」
こめかみにひとさし指をあてて、んんーと唸ったククリは刹那の間だけ苦しげな表情を浮かべるとすぐにぱっちりと目を開いた。
「ひさしぶりだね、サッちゃん……つらかったね、こんな痩せちゃって」
唐突に懐かしい口調に戻ったククリに頬をなでられた。その表情と仕種はまちがえようもなく過去の峰上ククリだった。サクヤが愛し、ともに暮らしたククリだった。
「頭のいろんな場所に分散させといた記憶なんかを寄せ集めて、当時のあたしを一時的に再構築したんだよ。負担かかるから、あまりやりたくないんだけど──」
いきなり唇を奪われた。
混乱していたサクヤだったが、この強引さは忘れようのないものだった。情熱的なふれあいを余韻も残さず終えるのも彼女のパターンだ。
「……あいかわらずキスが下手だね、キミは」
「だってっ! だって教えてくれるひと、いなかった……もん」
即座に反応してしまったサクヤも昔に戻っていた。帰ってきてくれたことに涙が出そうになっていたサクヤを、過去の恋人は無遠慮に斬って捨てる。
「いたはずだよ、いろんなこと教えてくれる人が。そぉれっ」
「――ッ!?」
「お仕置きの時間だよ」
車椅子がぐらりと傾き、サクヤは床に投げ出された。
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