四章④ 羊飼いの天秤
ズンという鈍い音に遅れて、部屋全体が真横にブレた。
ヴィーナが支えてくれなければ、車椅子から投げ出されていたかもしれない。衝撃と呼べるのは最初のそれだけだったが、壁の震動はいまだ続いている。
「ククリ、なにがあったの!」
サクヤの問いに、制御室のスピーカーから峰上ククリの声が応じてくれた。今回は音声回線を使っているようだ。
《アラート、フルート、フリーセン。ソコもいつかはアム・フルス! ヨミビト知らず黄泉はナムナム~。外からイッたねヤッたね明日はホームランだ!》
田村がすばやくサクヤを向く。訳せと言っているのだ。
「外殻に穴が開いて、海水がかなり入ってきてるわ。ここも危険になる――原因は?」
《ボトムにアッ――! ないない。白雪姫? ないない。フェルゼン! おまえはいた。おまえは……いた? なくせないソナーひとつーだーけーみつけたよこのマチでぇ~》
「海底への接触や氷山との衝突ではないようね。海底山からの岩塊落下の可能性は低いみたい。周囲に零番街以外の反応はないそうだから、攻撃されたわけでもないでしょう」
部屋にいる全員に聞こえるよう、声に出してやる。今日のククリは特に難解だ。意味を理解できる者は、この場にはサクヤしかいない。
「じゃあなんなんだ。さっさと言え
《リャンシバでバロックでゴシックなロートル。残りはハガー、マッスゥッー、ぼまー!》
「外殻老朽化による破損、ただしその可能性は二十%。本命はもっと剣呑だわ」
「もったいぶるな!」
「爆発物によるものよ。ククリ、原因はわかったわ。破損箇所と浸水状況、六区各科の動きも教えて」
《ばっびゅーん……おお、ニアピン賞! ウミウシさんはウミに還る――》
突然真っ暗になったが、すぐに非常灯が点灯した。
だがスピーカーは沈黙したまま。ククリに問いかけてもなにも返ってこない。
「……ネットワークが切断されたんだわ。直通回線はどう?」
休むことなく計器類をチェックする機関科の男子生徒が頭をふった。あらゆるデータを扱い脳波同調までこなす峰上ククリだが、ネットワークが遮断された状況下では無力だ。
「通信は全滅、制御系も一番、二番……ちくしょう、冗長系まで全部ダメだ!」
別の端末の操作をはじめた機関員を尻目に、田村が顔を近づけてくる。
「穴のあいた場所はどこだ? あんた
「エレベータ近くの守衛室の付近よ。水槽がある通路をあなたも通ってきたのでしょう」
「……近いな」
腕を組んだ田村がつぶやいたそのとき、直通エレベータから人影が飛びこんできた。たったいま田村に説明していた、あの守衛室にいた男子生徒だった。
すごい勢いで水が入ってきたと男は言った。ぐっしょりと濡れている膝は震えている。
「エレベータは動くのね?」
「だめだ、だめなんだ。この部屋で勝手に止まった。何度押しても動かない」
部屋の隅で震え続ける守衛の姿に、不吉な予感がサクヤの脳裏をよぎる。
あの通路は上が吹き抜けだった、ここまで水がくる可能性はある。急ぎ脱出経路を――このときになってようやく気づいた。
「下の部屋はどうなってるの!? 副制御室にはアキがいるわ!」
「孤立状態です。そちらの扉の先に非常階段がありますが、開かないでしょう」
機関科員が答えるないなやヴィーナが扉に駆けよる。
「なんでよ! あけてよ、はやくっ」
「メイン電源が落ちたら扉はすべてロックされる。守衛が入ってこれたのは、移動中に停電になったからさ。再稼働時に最寄りの部屋に止まる仕様なんだ」
「いいからあけてっ、アキちゃん下にいるんだよ、機関科の仲間ならいいんでしょ!」
「だから開かないんだ。おれたちだってこの部屋から出られない。ネットワークにつなげて、複雑な手順をいやというほど踏まないと、絶対に開かないようになってる」
バカじゃないのと半狂乱で騒ぎはじめたヴィーナの横へ車椅子を移動させたサクヤは、動く右手で落ち着かない手を握ってやった。
「決まりなのヴィーナ。推進機を狙ったテロが過去にあって、だからチェックが厳しいの。制御が奪われたら、街に暮らす全員が人質になってしまうから」
見つめあう二人に割りこむように、壁のスピーカがアキの声を発した。
《なにがあったんですか、ガブったんですか?》
「無事だな山下。さっきのはシケじゃない、その部屋の近くに穴が開いたらしい……山下、おまえ無電池電話使ってるのか?」
《いえ、通常通信です。その部屋にしかつながらないですけど》
冷静な機関科員との会話から、アキのいる副制御室は電気系が生きていることがわかった。ただしモニタと制御は一切できず、ネットワークが切れているのもこちらと同じで、ククリの説明が届かなかった彼女は状況を知らないようだ。
「いまのうちに逃げなさいアキ、電源が無事なら扉は開くのでしょう?」
机にあった通信用マイクを引きよせたサクヤは、通話ボタンを押しながら話す。
《……桜木先輩? 先輩こそ逃げてください。あたしは機関科員としてやることがあります。心配しないでください、そっちへの連絡扉にイス挟んどいたんで》
なにをする気と問うたサクヤに、機関科の男子生徒が即座に答える。
「副制御室があるフロアの、内殻と外殻の間にあるサブ隔壁を手動で降ろします」
「やめさせろ、山下んトコにいつ水がくるかわかんねぇぞ。こっから内壁までの間にバカでかい隔壁あるだろうが。市街への浸水はあれで防げるはずだ」
「ええ。ですが、最悪の可能性はできるかぎり潰しておきます。彼女は水がきたらすぐに避難させる。ここも危険であることに変わりありませんがね。浸水したら全員お陀仏だ」
田村の強面に臆することなく、機関科員はアキに指示を続けた。
その声がぴたりと止まる。指示に動いたであろうアキに続いて、水が跳ねる音がスピーカから届いたのだ。
「山下、その部屋はすでに浸水しているな?」
《……足首まで、です》
「すぐに連絡扉の階段を昇れ。この部屋の扉は開かないが、そこにいるよりはいい」
《あたしまだ、なにもやってません!》
「さっきまで水音はしなかった。それがいまは足首なんだろう? 浸水が早すぎる」
《でもっ》
「間に合わない。撤退しろ――」
「やりなさいアキ、できると信じる限界まで……ミコトの権限で山下アキを動かします」
《は、はいっ! あ、天井マイクに切替えときます。すぐに戻ってきますからっ》
壁のスピーカはバシャバシャという音を告げたあとで静かになった。マイクの通話ボタンから手を離したサクヤは、文句を言いたげな田村と機関員を視線で黙らせた。
彼らのいうとおり内壁の手前に存在するメイン隔壁によって大事には至るまい。巨大な鋼鉄の壁を動かす動力は厚い金属床で守られ、二重三重に防御された制御系にはククリであっても侵入できない。あの隔壁こそ不落の砦。
そう考えるのは甘すぎた。
外部の様子を知ることのできない状況では、最悪を想定し最善を尽くさなくてはならない。羊をまとめる者として譲れるはずもない。第六学区の全員と一人の命、天秤に載せること自体がおかしいのだ。
魂の尻尾まで羊飼いであることを、このときサクヤははっきりと自覚できた。
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