二章② 後輩、人前で脱がされる
「続けなさいな」
会長室で手をとりあっている男女に告げたサクヤは、ソファーに腰を沈めた。
壁掛け時計の針は約束の九分前をさしている。含み笑いを浮かべたアキが失礼しまぁすとサクヤの隣にすわると、天沼ナミはそそくさと奥の給湯室へ行ってしまった。
「もうおしまい? まだ八分あるわよ。あまるほどの時間でしょうに」
「あー桜木くんは誤解しているね。うん、とてもしている」
芝居がかった仕草で机に戻った村瀬ジンは、両腕を組んだり開いたりしていた。
放映科出身の第六学区生徒会長。
報道番組の司会をしていた経験からか、パリッとした制服姿には一分の隙もない。
特技は顔と同じくらい甘ったるい嘘。このホラ吹きは、学区のリーダーたる生徒会長が与太郎に務まることを証明してしまった。なのに女子生徒に人気がある。
死ねばいいのに。
村瀬ジンには運があった。
前回の選挙はこうだ。不祥事発覚で有力候補が軒並み自滅。弱小派閥の客寄せパンダだった村瀬に浮動票が流れ、決選投票のすえ僅差で会長におさまったという次第。
理想まっしぐらのお花畑政策で、人気は高いが支持率ドン底という見せかけ仮面。
性格は女たらし。
苦しみぬいて死ねばいいのに。
「たとえばさ、道ですれ違ったタイミングを真横からみたら、抱き合ってるみたいだよね? さっきのはそういう誤解なんだよ、うん」
「うわあ、会長さん残念……」
「あの男はこんなものよ。意気地がないうえに頭も回らないの」
「えー桜木くんに山下くん。さり気ない陰口が弾んでいるようだが、聞いているかな?」
「あたし修羅場ってはじめて見ちゃいました」
「あれはね、乳繰り合いって言うのよ」
「粗茶ですがっ!」
砕けよとばかりにテーブルに湯のみが置かれた。見あげるとストレートの黒髪を束ねた女子生徒――たったいま出て行ったはずの天沼ナミである。
羞恥まじりの照れ顔はどこへやら、涼しげな黒瞳が眼鏡の奥からのぞいていた。
「あらあら、大きな猫かと思えばナミだったの。かぶってるもの脱いできたのね、どうりでわからなかったはずだわ。ご機嫌いかが?」
「桜木様こそお元気でした? 相変わらずお綺麗で、そのどこまでも高くなるお鼻なんかとても……どうしたの山下さん? 会長の前だからって緊張しなくてもいいのよ」
「侍女にさわらないでもらえるかしら。ノミをうつされたくないの」
盆を手に立つナミとソファーに腰を沈めたサクヤの視線が、テーブル上空で火花を散らす。この女とバチった回数はこれで十の五六乗を超えた。
「私と会長は桜木様が考えているような関係ではありませんよ。誤解だと会長がおっしゃったでしょう? ピリピリしないでくださいな、山下さんが困っています」
とりつくろうことに余念のない猫かぶりが、猫なで声で話しかけてくる。ナミが生魚をくわえて走り回る日も遠くないだろう。
一見茶坊主の天沼ナミはサクヤの上役にあたる。それほどの立場にいながらサクヤに様をつける。昔のようにサクヤと呼べばいいのに……結局ナミも同じだ。くだらない連中と一緒で、名門の血を引くサクヤを腫れ物あつかいする。
「だいじょうぶ山下さん? お茶でも飲んで落ちついてね。隣の出がらし十番茶とは、使った水からして違うから安心して」
「……粗悪な人間が淹れたからマズいのかと思ったけれど、本物の粗茶だったのね。謙遜の意味を知らない女が秘書をやっているって、深く考えなくてもすごいことだわ」
「いやですよ桜木様。あまりほめないでくださいな」
盆を抱えたナミが片手で口元を覆った。すまし顔で微笑する意味は皆目わからないが、このメガネ女がおかしいのはいつものことである。
「
「まあ、桜木様と意見が合うなんて……十年ぶりくらいでしょうか」
緊張の面持ちで腰を引いたアキが、おびえたように両者を見比べていた。
猫又秘書の毒気にあてられてしまったのだろう。後輩を守るため、メガネ女には窓から退場してもらうのが得策かもしれない。ここは七階だが猫は上手に着地できると聞くし、もしできなくてもサクヤの心は痛まない。
ついでに村瀬にも出て行ってもらおう。
サクヤは心中でぽんと手を叩く。
これで邪魔者はいなくなり、会長室のソファーという背徳的な場所にアキと二人きり。いつ訪れるかわからない来客の存在が、ひとふりのスパイスとなることうけあいだ。早速実行しようと考えたサクヤの左腕ががっしとつかまれた。
「ちょちょちょ先輩っ、桜木先輩! ダメダメダメここじゃダメですってひゃうっ!」
あわて声で我にかえったとき、サクヤの左手は隣に座ったアキのスカートから引っぱり出される最中だった。
指先が下着の端をホールドしていたため、抜かれた左手と一緒にみょーんと伸びた布きれは一気に縮んで脱げた。
するっと膝まで。ちなみに水色。
アキの顔が一瞬でストーブになった。
無意識に隣人を愛でてしまうこの身には、何千人ぶんの慈愛が満ちているのだろう。この溢れんばかりの愛をナミに分けてあげたい。そうすれば人間性に欠陥のある彼女も幾分まともになるだろうに。
そう思い見れば、当のメガネは頭痛に耐えるようにこめかみに手をあてていた。どこか具合が悪いのかもしれない。大脳とか小脳とかそのあたりがあやしい。
「……とうに諦めましたので申しあげませんが、山下さんを道連れにするのはどうかと。手遅れの桜木様と違って淑女になれる可能性があるのですから」
「アキはもう立派な淑女よ。ちがうのはベッドの上だけ──」
「黙りやがってくださいシャラーップ! あんたあたしのアレとかナニとかバラすの趣味なんですか人前で脱がすの好きなんですか脳みそ桜色なんですか!? ホンキのホントに冗談抜きでそーゆーの先輩が好きなら、好きなら……あたし、その、がんばって……」
「ね? この子のほうがよほど手遅れでしょ」
「なんで天沼先輩と桜木先輩がひそひそ話してんの!? そろって生あったかい視線向けてんの!? もぉやだ頭きた死んでやる! このひと殺してあたし死ぬからっ!」
涙目になったアキが、ずり落ちていた水色を引っぱりあげながらガス銃を抜いた。
「えー、なぜ僕に銃口が向けられるのか説明がほしいところだけど……そろそろいいかな」
会長机におさまった村瀬が、困ったように三人の女子生徒を眺めていた。
ナミがわきまえたように自席へ戻る。流れるように動いた秘書の背中を数秒間見つめたサクヤは、ふんと息を吐くとソファーに座り直した。
ほんの数秒で空気が変わった。室温すら下がっていたかもしれない。
「先日、桜木くんたちが捕まえた密輸犯がいたろう?」
アキに右足を撃ち抜かれた男の顔が脳裏に浮かんだ。
「彼らへの依頼主が判明したよ。
化学兵器……つぶやいたサクヤに村瀬が首肯する。
「その液体から作れる神経ガスは全身をマヒさせ窒息させる。毒性はサリンを超えVXに匹敵、ポケットに入る容器一個で第六学区の全員に行き渡っておつりがくるそうだ。かなり昔の負の遺産らしいが、よくこんなものを見つけたものだよ」
村瀬が気を取り直すように湯呑みを引き寄せた。
「救いはあってね。保管庫に残されたものを調べた結果、古いながらも入れ物は頑丈で、多少の衝撃ではびくともしないそうだ。そしてこれが重要なんだが……その荷は予定されていた届け先には行かなかった。きみたちの活躍によって」
「もってまわった言い回しやめて。あなたの悪い癖よ」
湯呑を片手で握った村瀬は、口をつけることなくサクヤを見た。
「自警科が押収したものに神経ガスはなかった。運び屋が持っていたはずの荷物は消えてしまったんだ。万の人間を殺すことができる化学兵器がね」
「ああ、わたしがちょろまかしたんだろうって、自警科のお偉方に怒鳴りこまれたのね。ご愁傷さま」
「ミコトの権力が面白くないんだろう、きみのことをろくに知りもしない連中だよ。桜木くんが神経ガスを使うとか、ありえないにもほどがある」
「ホントですよ。毒ガスなんてぬるいこと、先輩がするわけないじゃないですか。お願いだから殺してくださいって、自分から言っちゃうほど残酷な方法でなきゃ……」
小柄な少女はあれよという間に窓の外へ消えた。校舎の壁を這っていたつる性植物のアイビーが窓の隙間から侵入し、手足を縛って運び去ったのだ。
――ヘンタイ! 外で緊縛プレイとか先輩のヘンタイ!
壁に縛りつけられてなお怯まないアキの声が、開いたままの窓から届いた。
「山下さん、見かけによらず気丈なんですね。七階ですよ」
「思ったんだけど、あの子ってむしろ喜んでるんじゃないかしら」
――へ、ちょっと……葉っぱで、そんなトコ……やあぁぁぁ……
「僕は真面目な話をしているんだけどね」
「悪い癖って言ったわよ。愚痴を聞かせるために呼びつけたわけじゃないでしょう」
「かなわないな。では天沼くん、呼んでくれたまえ」
近くに待機させていたのだろう。ナミが受話器を取ってから二分も経たずに女子生徒がやって来た。部屋に戻してやったアキが小さな声をあげた。サクヤは瞳だけを動かした。
見慣れた制服に身を包んでいようがひと目でわかる。
先日の侵入者だった。
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