第40話
7月に入り、いよいよ決戦の時が近づいてきた。
私は少しずつ高まる緊張を感じている。
ただ、日常の生活はそんな緊張を和らげてくれていた。
最近は自分の家と光司の家とを、行ったり来たりしながら家事を手伝っている。
光司のお母さんに料理も教えてもらっていて、彼の好きなメニューを勉強してる。
カレーは辛過ぎないピリ辛、ラーメンは塩味、パスタはナポリタン、調味料はほとんど使わなくて、サラダや唐揚げも塩で十分だったりと、やっぱっり味は自分だけの好みがあるんだなぁなんて思ったりした。
光司のおばあちゃん直伝の、自家製梅干しや干し柿、味噌料理なんかも教えてもらっていて、何だかすっかり奥さん気分。
ちょっと嬉しいし楽しい。
こんな時間がずっと続けばいいな…。
時々そんなことを考えてしまう。
私は12年間、出来うる限りのことをやってこれただろうか?
そんな風に振り返えったりする時もある。
光司が絵への関心を失わなかったことに関しては、一先ず成功した。
彼は意欲的に、そして日常的に鉛筆を走らせる。
目が見えるようになったら、寝る間を惜しんでスケッチブックに向かうと思う。
技術的なことはわからないけど、彼の描く絵は日に日にリアルになってきていて、何だか紙から飛び出してくるんじゃないかと思うぐらい。
本人も周囲の反応を見て、手応えを感じているみたいだしね。
問題は妖怪退治となるのだけども、やはりこちらは前例もないし正直不安しかないよ。
何を参考にして良いのかサッパリわからない。
どんな攻撃をしてくるのか、切り付ければそのまま切れるのか、はたまた弾かれるのか?
何せそんな基本的なことすら予想出来ない。
武器だって刀ということ以外わからなくて、手に感触があるのか、それはどんな感触なのか、重いのか軽いのか…。
なので、戦略としては一瞬に掛けたいと思う。
一振りで決めたい。
敵であるさるとらへびだって、私の攻撃速度やパターンは分からないはず。
一瞬でいい、奇襲でも隙でもあればそこで決める。
12年間積んできた成果を、その一振りで全部出す。その為の12年間。
そのぐらいの勢いでいかないと、駄目だと思っている。
だって、日本で内戦が定期的に起こっていた時代の人でさえ、妖怪を仕留めきれなかった。
殺し合いの経験者が駄目だったんだ。
剣道の試合では得られない物、それは殺気だと思う。
意識的に殺気というのを感じとるようにしてきたけど、人の死にすらほとんど直面していない私には、死というもの自体が遠く感じる。
両親は事故で亡くしたのだけども、一瞬の出来事だたったし、事実を聞いた時は実感すらなかった。
自分自身が死と隣り合わせだったことが、ある意味感覚を麻痺させているとも思った。
死の恐怖への感覚が、多分他の人とは違っていると思う。
いつ死んでもいい、そんな事を思ったこともあった。
だからこそ注意しないといけない。
どこかで諦めてしまったら、勝てる死合も負けてしまう。
唯一の救いは藤原の高光様の存在だ。
毎年かかさず私の切った髪を献上してきた。
今年で最後になるのだけど、その時には作戦会議をしたいと思う。
あの人の戦い方も把握しておかないと足手まといになる可能性もあるんじゃないかな。
同士撃ちはもっとも避けたいところだしね。
最後に手術の段取り。
これは山岡先生に一任しちゃった。
何せ、まだ症状も出てないのに手術の予約を入れるという、前代未聞の事態。
私の立場は弱く、とてもじゃないけど、そんなデタラメな予約を入れられない。
そこで、外科医部でも頭一つ飛び出た存在の山岡先生の言葉なら話は違ってくる。
ただ、一つ問題が出てきた。
お金が足りなかったの。その額300万…。
借りようとしたけど、私の収入では微妙に足りない額しか借りられず困ってしまった。
山岡先生はその額を後から分割で、という提案もあったけども、先生の腕を信じてない訳じゃないけど、手術に失敗したとか、手術に間に合わなかったとかで私が死んでしまった場合、残された人が支払うことになってしまう。
県内随一の総合病院の手術室を事前予約するのである。
やっぱり安くはないね…。
しかも担当医は人気の山岡先生だし…。
一人ではどうしようもなく、おじいちゃんに相談した。
もしかしたら迷惑かけるかもって…。
そしたらおじいちゃんは、そんなこと気にするなと笑い飛ばしたけど、隠居状態のおじいちゃんには大きい額だよね…。
だけど2週間後、おじいちゃんはどこからともなく300万という大金を準備してきた。
「受け取れないよ…。」
私は正直に言った。
いくらなんでも金額が大きすぎる。
「このお金は皆で集めたお金なんじゃ。だから受け取って欲しい。」
断ろうと思っていたけど、珍しくしんみりと話すおじいちゃんを見て、話を聞いてみようと思った。
「つまりだな、家の向かいの畑を売った。」
「ちょっと待って!」
畑は大切に育てている野菜があるじゃない。
今でも二人で夏野菜を育てているじゃない。
「まぁ、待て。話は最後まで聞け。」
「…。」
「売った相手は、光司の母ちゃんだ。」
「!?」
頭が混乱した。
なんでお母さんが買ったの?私の為になの?
それはやっぱり駄目だよ。いくらなんでも駄目だよ。
私は直ぐに電話をかけた。
勿論光司のお母さんに。
『分かった。今そっちに行くから。』
そう言って直ぐに来てくれた。
光司の家だと、彼に聞かれてしまう。
彼には心配を掛けたくないというのは、お母さんも私も一緒。
光司のお母さんは居間に上がってくると、お婆ちゃんからお茶を貰っている。
「あの…、お金の件、お爺ちゃんから聞きました。だけど受け取れません…。失敗する可能性だって…。」
あるのに、と伝えたかった。
「何言ってるの?光司が画家としてデビューしたら、あそこにアトリエを作って住んで欲しいと思って買ったの。もちろん、瞳さんも一緒にね。」
「えっ!?」
「実家にも近いから、便利でしょ?」
そんな事を言って目を細めて微笑んでいた。
お爺ちゃんとお婆ちゃんが、光司のお母さんの言葉に泣きそうな顔をしていた。
「でもね、お金は心配しなくていいのよ。光司の入院費、あの事件前は無償になったでしょ?その分でね、残りの分もまかなえたの。だから、入院費用に貯めていたお金もあったから無理はしていないのよ。」
そんなことはない。
お父さんは大好きな釣りを中断してまで仕事入れてたし、お母さんも内職からパートに切り替えて休みなく働いていたのを知ってる。
だから私は涙が止まらなかった…。
お母さんの笑顔が眩しすぎる。
「お母さん…。」
私は母の胸の中で泣いた。
思いっきり泣いた。
本当のお母さんだと思って…。
こうして全ての準備が整った。
そして、運命の8月15日を迎えた。
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