逃亡列車

 南へと延びるその路線は、山あいを縫うように敷設されている。だから当然、トンネルの数も多い。車窓の外が暗くなるたびに、やけに陰気な己の顔と対面させられる。俺にはそれが、いささか苦痛に感じられるようになってきていた。

 黄緑から深緑まで、ありとあらゆる緑に埋め尽くされた晩夏の森に、何度も何度も差し挟まれてくる、どこか他人のような自分の顔。風景を楽しもうにも、考えごとをしようにも、これでは余りにとりとめがない。

 俺はぼんやりとした視線を、平行して走っている隣の線路へと移した。飛ぶような速さで何もかもが過ぎ去ってゆく中で、それだけは止まって見える。まるで同じ速さで突き進んでいる伴走者のようだ。俺は似たような何かを、いつかどこかで見たことがあるような気がした。

 何だったろう。

 しばし記憶の中へと分け入り、そしてその正体を見いだしたとき、車両はまたトンネルの中にあった。再び映し出された己の顔に目をやると、その表情はまた一段と陰鬱さを増しているように思われた。


 海峡を渡るフェリーの甲板から、亜子が子供のような無邪気さで指差したその先に、俺はそれを見た。

 イルカだ。

 イルカには、人間の船に伴走してついてくるという習性がある。波乗りをする要領で、彼らは船が作り出す水流に乗り、遊んでいるのだという。

 かわいいかわいいと、しきりにはしゃぐ亜子の姿を、俺は思い返した。胸一杯に溢れる想いに戸惑いながらも、心からの笑顔でそれに応えていた、当時の自分を思い出した。あの頃の俺たちはまだ、自分たちが遠からず別れてしまう定めにあることを知らなかった。

 結局俺たちは、互いを運命の相手と盲信していただけに過ぎなかったのだと思う。どんなに大事なものであろうと、大切にし続ける努力を怠れば価値は失われるということを、まだ理解できてはいなかった。

 しかし、自然消滅というその苦い結末は、本当の終わりではなかった。五年もの時間を彼女と過ごしたあの地元で、あろうことか義弟と義姉としての形で再会を果たすことになるなんて、少なくとも俺は思ってもいなかった。

 ふいに実家へと戻ってきた兄に、まるで手みやげのような無造作さで連れてこられてやってきた亜子は、俺の姿を見て明らかに動揺していた。

 だが先日、図らずも二人きりとなったひとつ屋根の下で、彼女はこうも言った。

「兄弟って、匂いも似てるんだよ」

 と。


 俺は逃亡するようにして飛び乗った列車の窓から、線路を見つめ続けた。

 一本の線路を形作る二本のレールは、絶対に交わることがない。常に一定の距離を保ち、離れることもない。そうでなくては、多くの人の人生に悲劇的な結果をもたらすことになってしまうからだ。

 こんな風であらねばならない。

 俺は自分に言い聞かせた。

 今は無理でも、いつか自然とそんな俺たちでいられるようになる。それまで、この道を逆には辿るまい。俺は震えそうになる口元を抑えるために、強く奥歯を噛み締めた。

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