315.憐憫-Pity-

1991年7月23日(火)AM:7:21 中央区赤魔ビル五番館地下三階


 今日も鉄格子の食事の差し入れ口から、トレーごと俺は受け取る。

 太陽も拝めない空間。

 だんだん日にちの感覚も、時間の感覚もわからなくなってくる。


 隠し持っていた装備。

 初日意識を失っている間に没収されたようだ。

 常に監視の目があるのでどうしようもない。


 しかたなく、朝食を食べ始める。

 昨日食べ終わり、トレーが回収された後、奇声が聞こえた気がした。

 あれは何だったのだろう?


 カツカレーに、味噌汁たくわん。

 香ばしい香りと妙にスパイシーな匂い。

 朝から何でこんなヘビーなもんよこす?


「まぁ、これぐらいなら食べれるからいいけどさ」


 とりあえず、フォークでルーが一切かかってないカツに突き刺す。

 口元にカツを近づけ、噛み付いた。


「やっぱチキンカツか」


 フォークから、スプーンに持ち替え、ライスと一緒にルーを口に含んだ。

 口内を強烈な刺激が暴れ回る。

 辛すぎて、美味しいとか不味いとか判断する以前の問題だった。

 正直、奇声をあげたい。

 心の底から叫びだしたかった。

 口から火を吹くとは、まさに今の俺の状態の事を言うのだろう。


 掃除をしているらしい夏伐の口元が、歪んだのが見えた。

 俺に気付かれないように、やっているつもりなのだろう。

 だが、探偵の観察力を舐めるな。


 錐茄は気付いているのか気付いていないのかはわからない。

 いやあいつは基本、どうでもいい相手には、無関心だからな。

 お前と小甲が難癖つけて、瑞樹ちゃんを虐めているのはわかってる。


 今日の朝食の調理当番は瑞樹ちゃんだったはずだ。

 最後の方で、夏伐が何かしていたようだったが。


「そこの家政婦、今日の朝食の調理者は瑞樹ちゃんだったな」


「私は夏伐と申したはずです」


「そんな事はどうでもいい。質問に答えろ」


「ちっ、仰るとおりですよ。最後に味付けを私が確認させて頂きましたが」


 能面のような無表情。

 一瞬ざまぁみろと言う感じで歪んだ。

 その変化を、俺は逃さなかった。

 俺をダシにして、瑞樹ちゃんに難癖つけるつもりなのだろう。


 この会話をする為に、口を開くまでに一分は経過していただろうな。

 それほどに、俺の口の中はやばい。

 後で俺が地獄を見そうな気もするが、腹を括った。

 陰湿ないじめをする家政婦もどきにイラついていたのかもしれない。


 口の中を駆け巡る衝撃。

 律儀に氷水入りのポッドと、ガラスコップも用意されていた。

 でも確かスパイス系の辛さは、水では緩和出来なかったはずだ。


 何を噛んでいるのかさえ、わからなくなりそうな口の中。

 それでも俺は、チキンカツ諸共、ルーとライスを咀嚼し飲み込む。

 後でこれは確実に腹痛になるとわかっている。

 汗だくになり鼻水を垂らしながら食い続けた。


「なっ!?」


 速度を落とす事なく、食い続ける。

 食い続けても、速度を落とさない俺に驚いたのか?

 汗だく鼻水塗れの俺に驚いたのかも?

 どっちでもいいさ。

 夏伐の驚きの声は、今の俺には清涼剤だ。


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1991年7月23日(火)PM:17:24 中央区赤魔ビル五番館地下三階


「あ、あの。三井様、体調は大丈夫でしょうか?」


 恐る恐るといった感じで、鉄格子まで近寄っていく花 瑞樹(ハナ ミズキ)。

 その瞳は、申し訳なさで涙ぐんでいた。


「あぁ、カレーか? 辛かったけど、おいしかったよ」


 何でもない事のように、答えた三井 龍人(ミツイ タツヒト)。


「え・・でもだって・・・トイレにずっと・・こもっでだっで」


 泣きそうなのを堪えていた瑞樹だったが、限界突破したようだ。


「ごめん・・なざ・・い。わだじ、なにが・・あがいもど・・」


 鉄格子のすぐ側まで辿り着いた瑞樹。

 涙のあまり、その後は言葉にならない。


「俺はお前達四人の立場は良く知らない。だが、お前はあの三人には逆らえない立場なんだろ? だったら、気にするな。食わない選択だって俺には出来たんだ。だから、俺の自業自得だ」


「でぼ・・」


 鉄格子がある為、懐を貸す事は難しい。

 その為、龍人は右手で彼女の左手を握った。

 瑞樹の頭を左手で出来るだけ優しく撫で続ける。

 彼女の涙が止まり、落ち着くまで彼はそのまま慰め続けていた。


 やっとある程度落ち着きを取り戻した瑞樹。

 龍人に何度も謝りながら、一度その場から消えた。

 彼女は今現在、ここの地下一階を住居にしている。

 そこに戻ったのだろうと彼は考えた。


 龍人は、表向きは家政婦の四人と、錐茄には積極的には関わろうとはしていない。

 ただし、瑞樹が一人だけの時は例外だった。

 当初は、情報収集の為だったが、彼女に情が出て来ているのだ。


「何だかんだで甘いよな」


 自虐的に呟いた龍人。

 先程まで、握り合っていた右手を見る。

 ここで彼はある一つ不自然な事に気付いた。


 普段は気付かれないように、瑞樹と会話する時は極力小声だ。

 だが、今の場合はそうじゃない。

 彼女の鳴き声が上に聞こえていてもおかしくなかった。

 いや、確実聞こえているはずなのに、誰も下りては来ない。

 何故だろうかと考えるが、彼にはその理由が思い浮かばなかった。


「瑞樹ちゃん、結局何しに来たんだろうか? 洗濯物はまだそんなにたまってないし。話しを聞かされて急いで詫びに来たって事か? くそ、これじゃますますほっとけなくなるじゃないか」


 龍人が視線を向けた先。

 鉄格子の直ぐ側。

 外側に篭が置いてある。

 篭の中には、龍人が着ていたシャツとパンツ、靴下が入っていた。


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1991年7月25日(木)AM:10:52 中央区赤魔ビル五番館四階


「何か報告事かしらね?」


 炭ペンで術式を描いている十二紋 錐茄(ジュウニモン キリナ)。

 描き終わった所で、背後に人物に顔を向けた。


「はい。報告事です」


 がっしりとした体付き。

 二十センチ以上錐茄よりも背の高い理寛寺 恵子(リカンジ ケイコ)。

 彼女が立っていた。


「私達三人は、客人との接触は最低限にするよう言われている。にも関わらず、瑞樹には客人との接触については何も言われていない模様。これは、瑞樹からも聞いた。瑞樹にも客人との接触は控えさせるべきなのではないのですか?」


 恵子の進言に、首を傾げた錐茄。


「私に言われてもね? 確かに、龍人様へのあなた達の対応の仕方について、一緒に考えましたわ。でも、最終的な判断を下したのは、私ではないのはあなたもご存知でしょ?」


「確かにそうですが」


 至極真面目な表情の恵子に比して、錐茄は歪んだ微笑だ。


「そもそも私にはあなた方に対する命令権はないわ。あなたと瑞樹は従うかもしれないけど、他の二人はどうかしらね? もともと瑞樹に対して、あの二人は良い感情を持ってなかったって事も考えると、今から瑞樹と龍人の接触を少なくしても、余計あの二人が増長するでしょうし、心の支えにもなりつつある龍人を失った瑞樹が、おかしくなってしまう可能性もあるのではなくて?」


「うぐ、確かにその可能性もないとは言い切れません。しかし、それでも」


 恵子を嘲笑うかのように、彼女は更に口元を歪めた。


「あなたが毎日休み無しに、働くというであればそれは構いませんけど。そうすれば、常に瑞樹を監視出来るでしょうしね。もっとも無理でしょう?」


「瑞樹は傘下とはいえ、ほぼ一般人よりです。巻き込むなど」


「それはあくまでも、あなたの価値基準での判断でしょう? どうしても納得出来ないのであれば、あなた方の主に直談判しなさいな。私にはあの人が、今何処にいるのかは知らないけど。傘下のあなた方なら、知らないなんて事はないわよね?」


 錐茄の言葉に、苦々しい表情になる恵子。

 彼女は錐茄に何も答える事なく、一礼するとその場を後にした。

 恵子が完全にその場からいなくなった事を確認した錐茄。

 右手の指で炭ペンを一回転させる。


「術式(コレ)について問われるのかと思いましたけど、予想外の事でしたわね。龍人様も四人も、私の本当の目的に気付いて無いようで何よりですわ。もっとも龍人様は、もしかしたら可能性ぐらいは考慮しているかもしれませんけど。他の二人は問題ないとして、恵子には気付かれるとやっかいですわね」

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