314.腹痛-Stomachache-

1991年7月19日(金)AM:9:21 中央区赤魔ビル五番館三階


「ふぅ、さすがに一人で建物全体に仕掛けを施すのは大変。でも、彼女達には出来ない事ですし、赤魔家にも協力を断られた以上は、一人でするしかないか。でも、これも龍人様を手に入れる為」


 愚痴をこぼし終わった十二紋 錐茄(ジュウニモン キリナ)。

 再び床に術式を描いていく。

 真円に、様々な記号、文字を組み合わせた術式。

 まるで熟練者の如く、機械のように描き続ける。


 じっとりとした汗のまま、一息ついた錐茄。

 背後に置いてある水筒を手に取り、上蓋兼コップに中身を注いだ。

 ほぼ透明の液体が注がれる。


「キャッチフレーズがそう言えばありましたね。何でしたっけね? あれ? 思い出せない。まぁおいしいからいいですよね」


 一杯目を飲み干し、二杯目もゴクゴクと飲み干した。


「さて、今日の龍人様の御飯は、昼にしようかな? 夜にしようかな? でも、どうしたら食べてくれるかな? 嘘を吐(ツ)いて食べさせるって手もあるけど、後でばらしたら許してくれるかな? 許してくれるよね。許してくれますよ」


 突然、落ち込んだ顔になった。

 そう思えば、言葉を吐き出すごとに、笑顔になっていく。

 三杯目を飲み干したところだ。

 彼女は水筒に蓋をし、術式を描く仕事に戻った。


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1991年7月21日(日)AM:7:02 中央区赤魔ビル五番館地下三階


「ほら。お客様に挨拶しなさい」


「は・はい」


 ベッドに座り、本棚から適当に抜いた本を読んでいた三井 龍人(ミツイ タツヒト)。

 彼の耳に飛び込んできた会話。

 何気なく声のした方、鉄格子の向こう側に彼は視線を向けた。

 徐々に視界に入ってきたのは、黒髪白肌でロングヘアーの、大人しそうな少女。


 服装は、今までの三人と同じだ。

 ブルーのワンピースに白いエプロン。

 もちろん、スカートにはスリットが入っており膝丈程だ。


「え、鉄格子? あ、えっと。この度、お客様、龍人様の世話を仰せ付かった花 瑞樹(ハナ ミズキ)と申します。よろしくお願いします」


 深々と一礼する瑞樹。


「鉄格子の中なのにお客様とはこれいかに?」


 思わず出た龍人の言葉に、頭を上げた瑞樹の顔が翳った。


「新人をいじめるのはやめて頂きたいのですがね」


 瑞樹と同じ服装の女性が咎めるような眼差しで龍人を見た。


「この状況だ。文句の一つも言いたくなるさ。水色髪で褐色肌の姉ちゃんよ」


「お前呼ばわりの次は、身体的特徴呼ばわりですか」


「そもそも、俺はお前等三人の名前知らないもんな。なんせ誰一人自己紹介してないし。その娘、瑞樹ちゃんだけだぞ!? それで、どうやって呼べという?」


 ワザとらしく厭味な声で告げた龍人。


「あぁ、そう言われてみればしてませんでしたね。私は、小甲 陽子(コカブ ヨウコ)。他の二人も本日は来る予定ですので、来たら自己紹介させて頂きますね」


 他の二人も来るというその言葉。

 思わず龍人はげんなりした表情になった。

 瑞樹はどうしていいかわからず、おろおろしている。


「あぁ、そうかい」


「朝食はこれから準備させて頂きますので、お待ち頂きますようお願いいたします。それでは瑞樹、お客様の食事を準備しますよ」


「は・はいわかりました」


 古甲なんとかは、身長百七十半ばか。

 瑞樹ちゃんはたぶん未成年だろう。

 百五十も身長はないんじゃないだろうか?

 中学生、精々が高校一年てところか。

 三人は裏の世界に関わる人間特有の空気を感じた。

 だが、瑞樹ちゃんには感じなかったな。

 完全に一般人なのか?

 二人が視界から消えるのを眺めながら、龍人はそんな事を考えていた。


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1991年7月21日(日)PM:21:17 中央区赤魔ビル五番館地下三階


 今日の昼は炒飯にツナサラダ、夜はハンバーグだった。

 中途半端に豪華な食事、但し監禁中。

 あの女が何をしたいのかさっぱりわからない。

 かつて敵対した相手なのにな。


「そう言えば、あの時結果的にとは言え、あの女の片目を潰したはず」


 昼に見た時も、普通の目に見えた。

 回復したという事なのか?

 いや、さすがに目は回復しないだろ?

 それとも、潰したと思ったのも俺の勘違いか?


「茶髪でがっしりした体の、出来れば肉弾戦は控えたい感じのが理寛寺 恵子(リカンジ ケイコ)で、百六十ちょい位に見えた紅髪白肌の方が夏伐 香織(ナツギリ カオリ)か」


 赤魔傘下の組織の構成員に、小甲、夏伐、理寛寺ってのはいたはずだな。

 そこの血族なのだろう。

 花ってのも、記憶が正しければいたはず。

 ベッドに寝転がり、そんな事を考えている俺の視界の端。

 瑞樹ちゃんが、ダンボールから何かを取り出している。

 土のついたじゃが芋が見えた。

 明日の食事の下処理でもするのだろうな。

 そんな事を考えながら、俺は目を瞑った。


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1991年7月22日(月)AM:9:44 中央区赤魔ビル五番館二階


「どうだったからしら? 食べてもらえた?」


 長机にのせられているティーカップ。

 手に取りを一口飲むと、彼女は口を開いた。

 対面するように椅子に座る女性。

 不安な表情で問いかける十二紋 錐茄(ジュウニモン キリナ)。

 彼女は青のオーバーホールで、赤紫の髪を後ろで纏めている格好だ。

 肩が露出しており、上着は何も着用していなかった。


「ええ、あなたが調理したと言わなければ、綺麗に食べてくれましたよ。あなたが調理したと言わなければね」


 小馬鹿にするような口ぶりの陽子。

 しかし、彼女の言い方を錐茄は特に咎める事もない。


「そう。嬉しいような悲しいような不思議な気持ちだわ」


 少しだけ俯いた彼女は、そう溢した。


「あなたがあの男に、何故そこまで執着するのかは知りませんが。私達は酸琉様のご命令のみ遂行するだけです。万が一逃げられた場合は、どうなるかわかっておりますね?」


「ええ、もちろんわかっているわ。だからこその、あの封印なのだし、鉄格子なのでしょう? 赤魔家の最大の封印術式。魔法陣に明るくない私だけど、それでも封印術(アレ)が、生半可なものではない事ぐらいわかるわ。かつてここには一体どんな化け物が飼われていたのでしょうね?」


 錐茄の何気ない言葉。

 無表情だった陽子の顔。

 一瞬で憤怒に変わった。

 殺意が凄まじい圧迫感となって、錐茄に叩きつけられる。

 しかし、錐茄は殺意に対して何の反応も返さなかった。


「ふうん? 失言だったのかしらね? まぁ、私には関係のない事。酸琉の目的もどーでもいいわ。私は私の目的の為に動くだけよ。それじゃ、あの娘、瑞樹だったかしら? 予定通り頼んだわね」


 彼女の言葉に、無言の陽子。


「さてと時間も限られているのですし、私は自分の仕事に戻るわね」


 揺らぐ事なく叩きつけられる陽子の殺意。

 しかし、まるで感じていないかのようだ。

 錐茄は立ち上がると、部屋を後にした。


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1991年7月23日(火)AM:10:17 中央区赤魔ビル五番館地下三階


 前も左も右も、くすんだ白い壁。

 俺は今トイレにいる。

 予想通り、腹を下した。

 もともと、辛い者が得意なわけじゃない。

 だから、当然なんだけどな。


「刺激にやられ過ぎて、吐かなかっただけましか」


 我ながら、何でこんなムキになったんだろうな?

 大人げなかったのかもしれない。

 あいつがいたら、子供じゃないんですからって言われそうだ。


「でも、なんで瑞樹ちゃんを目の敵のように、いじめるんだろうな?」


 ううむ、情報が無さ過ぎる。

 あいつを当てにするのも胸糞悪い。

 だが、錐茄に聞けば何か教えてくれないだろうか。

 笠柿とかたぶん、探してくれてると思うけど。

 いや、あいつなら龍人なら殺しても死なないとか言って、心配してなさそうだ。


「何とかここから出る方法を考えないとな。あの様子じゃ、瑞樹ちゃんを人質にしたところで、切捨てそうだからなぁ」


 そもそも、そんな事後味悪すぎて出来ないな。

 この時間は学校だって言ってたし、表の人間を巻き込むのはなぁ。


「でも、そんな事言ってる場合でもないんだけど。やっぱりなぁ」


 魔法陣の位置からして、影響範囲は俺の動ける鉄格子の中だけ。

 何とか鉄格子から出る事が出来ればいいんだけど。

 それこそ、無理難題だな。

 腹痛も大分治ったし、暇つぶしに本棚の本でも読むか。

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