288.首筋-Nape-

1991年7月24日(水)PM:17:02 中央区精霊学園札幌校時計塔地下四階


 静寂の中、響くのは二つの足音。

 視界に入るのは鉄格子だけだ。

 薄暗い明かりと仄かに輝く魔法陣。


 一人はスーツの女性で左手を吊っている。

 もう一人はティーシャツに短パンの少女。

 女性は兎も角、少女が歩くには余りにも不釣合いな場所だ。


 鉄格子の中の一つ、その前に停止した二人。

 二人の視線の先に見える少年。

 何かをぶつぶつと呟きながら膝を丸めている。

 何処か遠くを見ているような瞳。

 完全に光を喪失している。

 彼の姿を見て、少女は顔を顰めた。


「今回で二回目か。アティナ、わかっていると思うがそれ以上は鉄格子には近づかないようにな」


 少女はアティナ・カレン・アティスナ。

 白髪ロングヘアーに、褐色の肌。

 鉄格子の中の少年、ヴラド・エレニ・アティスナ。

 彼は実の兄であり、唯一の肉親でもある。


 二人は所属としては【神聖闇王朝(イエローズスコタビディナスティア)】。

 そうなっているが、表向きは追放処分された身だ。

 本来は処刑されるはずだった二人。

 処刑される事なく、追放という処分で済んだ。


 それは、シルヴァーニ・オレーシャ・ダイェフ。

 彼の尽力があったからである。

 彼自身から直接的に聞いた事はない。

 だが、アティナはそうだと考えていた。


「ヴラド兄様、アティナです。妹のアティナ・カレン・アティスナです」


「限界・・・血・・・銀髪・・・妹・・いもうと? ・・アティスナ? ・・アティナ・・? アティナ・・・妹?」


 光を喪失していた瞳に、かすかに変化が見られた。


「ここまでは前回と同じか」


 誰にも聞こえない声で、囁いた古川 美咲(フルカワ ミサキ)。


「兄様、次回来る時に、何故あのような暴挙に走ってしまったのか聞かせて欲しいとお伝えしましたが、覚えてますか?」


「暴挙? ・・血・・・女・・おいしい・・従わせる・・・もう限界・・・耐えるの・・無理・・でも無理・・・敗北・・・」


 根気良く語りかけるアティナ。

 だが、単語ばかりを呟くヴラド。


「吹雪さんと三井さんを襲撃したのは何故ですか?」


 焦らずゆっくりと言葉を選ぶ。

 優しい声で問い掛けていたアティナ。

 それまで微動だにする事なかったヴラド。

 だが、義彦の名前を聞くと、瞳に憎悪の光が宿った。


「み・・つ・・い・・ゆるさ・・な・・い・・ころころ・・・殺す殺す殺す・・・その・・後で・・吹雪・・を俺の・・・おおおれおれおれおれおれおれ・・あがががががががが」


 突然の豹変に、渋い顔をする古川。

 それでも、アティナは優しく問い掛けた。


「そこまで三井さんが憎いのですか? 何故です? 吹雪さんに好意を持ってしまったからですか?」


「ころころころころころ・・くびりころころころころ殺す・・ころころころ殺す殺す殺す殺す殺す殺す」


「過剰に反応し過ぎか。まさかここまでとはな。アティナ、どうやら方向性を変えないと駄目なようだ」


「はい。そうですね。まさかここまで激烈に反応するとは思いませんでした」


 顔を俯かせたアティナ。

 古川には見えていない。

 だが、一筋の涙が零れていた。


「じっくり気長に行くしかなさそうだな」


 鉄格子から離れ、戻ろうとした二人。

 突如、ヴラドからエネルギーが迸る。


「アティナ!?」


 隣のアティナの手を引っ張った。

 庇うように、覆うように抱き締めた古川。

 続く彼女の呟きは、轟音により掻き消された。


 魔法陣による干渉を打ち砕くエネルギー。

 鉄格子を粉砕し、全てを覆い尽くしていく。

 古川とアティナは、逃げる時間すら無い。

 エネルギーの奔流に晒されたのであった。


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1991年7月24日(水)PM:17:03 中央区精霊学園札幌校小等部一階


 ミニスカートにブラウスの黒神 元魅(クロカミ モトミ)。

 ピンクの白衣を羽織っている。

 彼女は真剣に考え込んでいた。


 愛屡駄 琉早南(アイルダ ルサナ)がベッドに横になっていた。

 彼女の症状は単純に貧血だ。

 同じ部屋の幹島 耶九南(ミキシマ ヤクナ)。

 莉早南の姉の愛屡駄 莉早南(アイルダ リサナ)。

 二人が琉早南を迎えに来た。

 なので送り出した後なのだ。


「三日で貧血が十六名。小等部だけで中等部、高等部には無し。初潮が始まる娘がいてもおかしくはないのだが、それにしたって異常だな。一月で十六名ならまだ何とか納得出来るけど。それに・・・」


 診察していた時の事を思い出す元魅。

 最初の三人までは彼女も気付かなかった。

 四人目の形藁 樹(ナリワラ イツキ)。

 彼女の首筋に、小さな二つの傷を見つけた。

 それは本当偶然のようなものだ。


 それから貧血で訪れた生徒達は一人の例外もない。

 首筋に二つの小さな傷があった。

 元魅の脳裏に浮かぶのは一つ。

 俗称として一般的に吸血鬼(ヴァンパイア)と呼ばれている存在。

 夜魔族(ヤマゾク)の生徒達。


「知る限りは三人。ヴラドは鉄格子の中。そうなるとアティナとアルマの二人だが・・・。アティナは今日のこの時間は美咲と一緒のはず。消去法で行けばアルマという事になる。しかし、そんな事をして見つかれば自身だけでなく、残党仲間(ビーストファング)もただではすまないとわかっているはず。吸血衝動が理性を上回った? だとしても小等部だけに集中するのはおかしい。普通に考えればアルマの在籍している中等部に集中するはず。それとも理性は残っていて、疑惑の目を逸らす為? いや、そんな不浄な娘とは思えなかった。とりあえずファビオに追加報告するか。だが、その前にアルマの様子でも聞いてみるか」


 受話器を持ち上げた元魅。

 手馴れた操作でナンバーボタンを押していく。


「元魅だけど、惠理香? うん、アルマ今日何か可笑しい所なかった? え? 今説教してるって? 彼女何したんだよ?」


 微笑とも苦笑とも判別つかない表情の元魅。


「勢い余って窓ガラスぶち壊したって本当何してんだよ。あぁ、うんわかった。楽しみにしてるよ。それで、彼女から血の香りしてる?」


 何気なく聞いたかのような元魅。

 だが、惠理香もファビオから貧血の件は報告を受けてる。

 そう聞いているので直球だった。


「そうか。わかったよ。ありがと」


 受話器を静かに置いた元魅。

 顎に手を当てて考える。


「私達の把握していない夜魔族(ヤマゾク)がいる。いや、吸血能力を持つ誰かがいるという事か? もしそうだとしたら探すのは厄介だな」


 立ち上がった元魅。

 彼女は保健室を後にした。


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1991年7月24日(水)PM:17:04 中央区精霊学園札幌校小等部一階


 制服姿の黒瓜 伊砂(クロウリ イズナ)。

 彼女は理科準備室に立っている。

 丸い耳を萎れさせて、ただ立っているだけだ。


 瞳の光沢(ハイライト)は消失していた。

 誰が見ても正常な状態ではないとわかる。

 彼女には、目の前に立っている男。

 浅村 有(アサムラ タモツ)の姿すら映ってはいない。


 血を吸われ吸血鬼(ヴァンパイア)となった浅村。

 彼にも、夜魔族(ヤマゾク)が元々持っている能力。

 そのいくつかが発現していた。


 発現した能力の一つである魅了(チャーム)。

 本来は相手の心を引き付けて夢中にさせる効果なのだ。

 しかし浅村は眷属となって日がまだ浅い。

 魅了(チャーム)を完全には扱いきれていなかった。


 彼を眷属にした吸血鬼(ヴァンパイア)が精神系の能力が得意ではない。

 その事も影響している。

 だが、浅村にはわからない事だった。


 浅村に出来るのは相手を無意識化状態にするだけだ。

 ただ、相手はその間自身に何が起きたのか記憶に残らない。

 これは魅了(チャーム)の特性でもある。


 今彼の目の前で、魅了(チャーム)に捕われている伊砂。

 彼女は、浅村に何をされているのかもわからない。

 伊砂を背後から抱き締めた浅村。

 右手は太腿を下から上に這わせていく。

 左手は腰から徐々に上へ向かっていた。

 本の微かに伊砂の瞳に光沢(ハイライト)が灯り煌く。


 浅村は自身で理解してない。

 彼は樹の血を吸った。

 その事により、彼女の中に眠っている力。

 一部を取り込んでいた。


 もし樹が自身の力を深く理解。

 制御出来てしていれば結果は違っただろう。

 浅村の魅了(チャーム)に捕われる事もなかった。

 伊砂も浅村の魅了(チャーム)を抵抗(レジスト)出来ていただろう。


 浅村は十六人目の莉早南までは吸血するだけだった。

 心の中を駆け巡る衝動を抑え込んだ。

 何とか吸血するだけに留めていた。


 今日まで一度も失敗する事が無かった事実。

 その事により、箍が外れて衝動に呑まれ始めている。

 彼の鋭い犬歯が首筋に突き刺さると、伊砂は微かに呻く。

 誰にも聞こえる事のない小さな呻きだった。

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