283.酸味-Acidity-

1991年7月19日(金)PM:20:38 中央区白紙邸一階


 テーブルを挟んで座っている白紙 元魏(シラカミ モトギ)と白紙 彩耶(シラカミ アヤ)。

 中央には猫の絵のワインボトルと、二つのワイングラス。

 ワインボトルを手に取った彩耶。

 静かにワイングラスに注ぎ始める。


「迷宮の入口の警備は機動隊で、迷宮内に出動しているのは特殊技術隊。なんでこんな面倒な事してるんだろうね。他の部隊も出動させればいいのに」


 淡い黄色のワインが注がれたグラス。

 彩耶からを受け取った元魏。


「それでも動きの早い方だったとは思いますけどね」


 自分の分のワイングラスにも注いだ彩耶。

 二人は乾杯にワイングラスを軽く打ち付ける。

 それぞれが香りを楽しんだ後、一口飲んだ。


「まぁそうなんだけどね。今頃攻略希望者の条件の選定に、政府はぐだぐだしてるんだろうな。精霊庁は蚊帳の外でさ」


「縄張り争いなのでしょうね。それに民意の反応を恐れているとかもあるのかもしれませんね。表向き存在は秘匿されてるとはいえ、十年前の東京も、今回の大通りも報道規制が掛かる前に放送されてしまっていますから」


 彩耶はチーズを一切れ口に入れる。

 その後でワイングラスに口を付けた。

 口の中に広がるスッキリとした酸味。


「十年前みたいに、真実を好評しろというデモがまた現れるかもね」


「どうでしょうね?」


「政府は大混乱が起きる事を恐れて公表に二の足を踏んでいるのだろうけど。いつまでも隠しきれるわけでもないんだよね。実際、暗黙の了解なだけで、関係者以外でも知ってる人間はいる訳なんだし。それにしても、伽耶の無鉄砲ぶりには困ったものだね。沙耶が止めてくれるかなと思ったけど」


 ワインをチーズと共に喉に流し込んだ元魏。


「今回に限っては沙耶も色々と思う所があったんでしょうね」


「彩耶から聞いた時は、もう驚いて職場を投げ出してでも向かおうかと思ったよ」


「実際に会いにいくとあっけらかんとしてましたね。伽耶はともかく沙耶は引き摺るかなとも思いましたが」


 飲み干された元魏のワイングラス。

 再びワインを注ぐ彩耶。


「二週間ぶりぐらいだったのに、寂しかったの一言もなかったな」


 少しだけ淋しそうな元魏。


「子供は私達が思ってる以上にわかってるんでしょうね」


「怖いもの知らずなのは似て欲しくなかったけどな」


 元魏の言葉に、一瞬彩耶の眉がぴくりと動いた。


「元魏さん、何か仰いましたか?」


 にこやかに微笑む彩耶、しかし瞳は笑ってない。

 元魏の眉毛がピクリと動き、顔が引き攣った。


「あ・・彩耶さん、そ・そんな怒らないでくれよ」


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1991年7月20日(土)AM:11:14 中央区精霊学園札幌校第六研究所一階療養室一○二号


 ベッドに寝かされている青年。

 その側で椅子に座っている黒髪黒眼の少女。


「髪の毛大分伸びたよね。カットしないの? 短い方が似合ってると思うよ。ウチはそう思う」


「改めて、そう真顔で言われると、某照れるでござるよ」


 少女は手拭で青年の汗を優しく拭った。


「申し訳ない」


「動けないのだから、誰かがやらないと。ウチ達、何でこんなに好待遇なんだろうね? 治療まで受けさせて貰えて。即刻処刑されてもおかしくないし、牢獄行きで放置されたっておかしくないのにさ」


「・・・・そうでござるな」


 窓と扉には厳重な結界が施されている。

 更に扉の外側には、警備服を着た屈強な男が二人。

 まるで守るかのように立っていた。


「お嬢様達も元気そうでしたね」


 扉の左側に立っていた男が口を開いた。


「そうだな。まさか労いの言葉を掛けに来るとは思わなかったが」


「それ聞いたら怒りますよ」


「あぁ、万里江お嬢様の前では口が裂けても言えないな」


「小さい頃から結構お転婆でしたからね」


 懐かしむような表情の二人。


「舞花お嬢様がお生まれになってからは、徐々にお転婆はなりを潜めてはいますけど」


「いまだに独断しがちだけどね。あんまり無駄話してるのばれると後が怖いし、真面目に職務に励もうか」


「はい、そうですね」


 二人は姿勢を正すと、無言になった。


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1991年7月20日(土)AM:11:42 中央区中央警察署四階


「まぁしかし、良く宮ちゃんが大人しく休んだな」


 缶コーヒーを一口飲んだ笠柿 大二郎(カサガキ ダイジロウ)。


「俺も休むと言ったからな」


 飄々とした表情の古居 篤(フルイ アツシ)。

 何でも無い事のようにそう言った。


「え? おいおい、後で知ったら怒るんじゃないか? いや、拗ねるぞ?」


「最近ほとんど家に帰ってないようだったしな。たまにはリフレッシュさせねばいけないだろ? そんな事よりお前こそ、こんな所で油売ってていいのか?」


「いや、いいわけないんだけどよ。西田が署長に呼ばれて絞られ中なんだわ。まさか置いていくわけにもいかないだろ?」


 深い溜息を吐いた笠柿。


「署長も自分の部下が殺害された事件の捜査権限を持ってかれてイライラしてるのだろうな」


「あぁ、あの鋼鉄の魂とまで言われてた人が、人目も憚らず号泣したわけだしな。俺達だって同僚が二人殺されて正直心穏やかじゃないけどな。皆すげーピリピリしてるよ」


「当然だろうな。だが状況を考えると内通者がいると考えるのが妥当か」


「あぁ、ホシに情報を流した人物がいなきゃ襲撃なんて出来るわけがないからな」


「それで仕事の方はどうなんだ?」


「また血を抜かれた仏さ」


「これで二件目か」


「あぁ、手掛かりの欠片も見つかりやしないしな。これから聞き込みだよ。龍人の足取りはどうだ?」


「駄目だな。全く掴めていない。こっそり調べてるからってのもあるが。余り大っぴらにも動けないしな。車が事務所に無い以上、何処かで見つかるかと思ったんだが」


「俺もそれとなく他部署で聞いてみたんだがな。それらしいのは発見されてない。区外へ移動したのかね?」


 缶コーヒーで喉を潤す笠柿。

 古居は入れてあったお茶を一口啜った。


「あぁあれぇ、古居さん、何でいるんですか?」


 突然空いた扉の側に立っている女性。

 仕事中はまず見られないワンピース姿の笹木 宮(ササキ ミヤ)。

 予想外の彼女の登場。

 あんぐりを口を開けたままの古居と笠柿。


「いや。大二郎に呼び出されてな」


 言い訳のように呟いた古居。


「嘘ですね」


 即答、それも断定口調の宮。


「おいおい、俺を巻き込むなよ?」


 若干困った表情の笠柿。


「ばれたか」


「ばれたかじゃないですよ。古居さん、行きますよ」


 笠柿の側を通り、古居の側まで歩いた宮。

 彼の手を掴むと、有無を言わせず立たせた。


「行くって何処に?」


「嘘吐いた罰です。私達に付き合ってもらいます」


「あははは、古居さん、年頃の女の子とデートなんて役得じゃないか?」


「私一人じゃないですよ。笠柿さんも来ます?」


 宮の言葉に、一瞬あっけに取られた笠柿。


「悪いがこちとら仕事中なんでね」


 缶コーヒーの残りを一気に流し込んだ笠柿。


「ここ閉めなきゃいけないだろうしな。お邪魔した」


 古居と宮を置いて、笠柿は先に部屋を退出しようとした。


「そもそも、宮ちゃんは何でここに来たんだ?」


「昨日は古居さんも休むって言ってましたけど、本当かどうか確認する為です。それに昨日忘れ物もしましたしね。そう言えば笠柿さん」


 半分程体を廊下に突き出していた笠柿。

 宮の声に、若干不自然な体勢で振り向く。


「何だ?」


「こないだ西田さんと偉そうな感じの人が仲良さそうに話ししてましたけど、誰かわかります?」


「偉そうな感じだけでわかるわけないだろうが? 署内の人間じゃないなら、本店の同期とかなんじゃないのか? それこそ本人に聞けよ?」


「えぇっといや、実は私、西田さんとちゃんと会話した事ないんですよね。だから聞き難くて」


「そうかよ? 飯食う時にでも、覚えてたら聞いてみるわ。それじゃな。お二人さんは楽しんでくればいい」


 片手を軽く上げた笠柿。

 今後こそその場を後にした。

 古居の助けを求めるような眼差し。

 意図して無視したのがばればれだった。

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