275.視線-Gaze-
1991年7月15日(月)PM:13:58 中央区三井探偵事務所一階
一人立っている笠柿 大二郎(カサガキ ダイジロウ)。
ぼんやりと空を眺めている。
彼は、普段のスーツ姿ではない。
ティーシャツにハーフパンツという出で立ちだ。
靴もスニーカーと普段余り見られない格好だった。
「あれ? 笠柿さん、非番の日だったんですね?」
厳つい顔で、近寄り難い雰囲気を醸し出している彼。
気さくに声を掛けたのは一人の少女。
十二紋 柚香(ジュウニモン ユズカ)だ。
デニムのショートパンツに、薄い桃色のシャツ姿。
何処か普段より大人びて見える。
「おう、柚香。今日はまた大人っぽい格好で来たな。そして何故近藤がいる?」
柚香の後から歩いてきた近藤 勇実(コンドウ イサミ)。
ジーパンに半袖のポロシャツを着ていた。
「笠柿さん、久しぶり。俺は護衛みたいなもんだな。昨日の今日だからって事でな」
「まぁ、真っ当に生きているみたいだな」
「真っ当ねぇ? 仕事的に真っ当って言葉を当てはめていいものなのかね? まぁ、いいけどさ」
お互いに微妙な顔をしている。
「お二人は知り合いだったんですね?」
「あぁまぁ一応な」
「もっとも当時は敵対している関係だったが」
近藤の言葉に、余計な情報を追加する笠柿。
「えっと? あの? 敵対?」
「笠柿さん、もう少し言葉を選びましょうや」
近藤の言葉にも、彼は気にする様子はない。
「職業柄な。昔の話しだから、気にするな」
「気にするなと言われましても・・」
困惑の表情の柚香。
「そんな事より、龍人の行方だ。柚香ちゃん、鍵開けてくれ」
「あ? はい。わかりました」
何か言いたそうな近藤。
彼を無視して、事態を先に進行させた笠柿。
手に持っているバック。
そこから鍵を取り出した柚香。
「あぁ、柚香ちゃん、先に入るのは俺か笠柿さんね。一応念の為にな」
近藤の言葉に、一度頷いた柚香。
一度深呼吸をしてから扉の鍵を回した。
「鍵を開けました」
「どっちが先に行きます?」
「近藤は柚香ちゃんの護衛なんだろ? 後から守りながら入って来い」
そう言うと前に進む笠柿。
扉を開けると、周囲を警戒しつつ中に入る。
外は曇り空の為、室内に入ってくる日の光は僅かなだけだ。
「今更ですけど、笠柿さんが、最後に会ったのっていつなんですか?」
背後から聞こえてくる柚香の声。
「あぁ、そう言えば言ってなかったな。最後に直接会ったのは十二日、日付が変わる頃に帰った。そして十三日の午前中に電話で話しをして、午後に会う約束をしていたんだわ」
「変な所で律儀ですからね。約束していて無理になったなら連絡すると思いますし」
「まだ三日目なら考え過ぎなんじゃと言いたい所だが、職業柄そうも言えないからな」
近藤の言葉に首肯する笠柿と柚香。
「事務所見る限りじゃ、荒らされた感じじゃねぇな。書類が雑多に置いてあるのは、毎度の事だからな」
人の気配の感じない事務所。
「だが何だろうか? 事務所入った後から誰かに見られているような視線を感じる気がするな」
「笠柿さんもか。俺もだ」
「私も実は感じています」
三人ともが意見の一致を見る。
「三人ともが感覚がおかしくなったってのは、可能性として考え辛いよな」
ばらばらに周囲を見渡し隅々まで歩く。
だが、そこまで広いわけではない。
なので他に人がいるかどうかはすぐわかる。
「視線は感じるのに誰もいないとはこれいかに?」
近藤の問いに誰も答えられない。
答えられるのは、視線の主だけだろう。
「視線の感じる方向が時折動いてる感じがしませんか?」
「確かに柚香ちゃんに同意見だ」
「霊力? いや無理だろうな。少なくともそんな記録は見た事ない。遠くから魔眼で見てる? 遠視眼? いや、あれはあくまで遠くまで見れる眼だ。透視眼でもない限り、窓からじゃないと建物の中は見れない。それに視線は外からではなさそうだしなぁ」
独り言の如く呟く近藤。
「何処行ったか手掛かりらしいものはなさそうか」
笠柿の言葉に、近藤も柚香も肯定も否定も出来なかった。
「少なくとも昨日と今朝はいなかったみたいですね」
まとめてある新聞の束を確認している柚香の言葉だ。
「何でわかるんだ?」
素で疑問に思う笠柿。
近藤も疑問のようで、柚香に視線を向けた。
「龍人さん、泊まりとかではない限りは、新聞の夕刊を必ず購入してるんです。それも態々外で。外で買って外で読むのがいいじゃないかって前に言ってました。そして読んだ新聞は必ず持って帰ってくるんですよね。泊まりとかでも余程の事がない限りは夕刊買っているようですし、日課とでも言えばいいでしょうか」
一人屈んでいた柚香。
新聞を元に戻すと立ち上がった。
「帰ってきてないのがわかったとして、その理由が問題か」
顎に手を当て、眉間に皺を寄せる近藤。
笠柿は、机の上の書類を確認している。
「そうですね。戻らない理由が問題です」
「特に情報になりそうなものはないなぁ」
書類を見ていた笠柿は、諦めたように溢した。
「視線の感覚は相変わらず消えませんね」
「そうだな」
柚香の言葉に同意する笠柿。
近藤は、視線の原因を探るかのようだ。
ゆっくりと歩き出した。
「燃えそうな物が多いから、無闇に力は使えないか」
「おいおい、何するつもりだよ?」
若干物騒な近藤の言葉に、思わず突っ込む笠柿。
「何もしねえよ。こんなとこで火事起こすわけにもいかないしな」
間違いなく視線を感じている三人。
しかし、その発生源を特定する事が出来ない。
「視線が消えたような?」
「あぁ、確かに」
「一体何だったんだ?」
柚香の言葉に同意する近藤と笠柿。
「何らかの方法で誰かがここを監視していたと考えるべきなのかもな」
壁に設置されているスライド式レジスター。
存在理由としては、建物の外と内を自然に換気させる。
その為に備えられていた。
スライド式レジスターの外側の部分。
そこから、翅を広げて飛び立つ黒い小さな虫。
よく見れば、サイズこそかなり小さい。
しかし、人間の瞳のようなものが背面に一つ存在した。
まるで目指す場所が定まっているかのようだ。
迷い無く翅を静かに振動させていった。
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1991年7月15日(月)AM:14:09 中央区ハイツ坂上一階
テーブル席で、一人座っている女性。
ロイヤルミルクティーの入ったティーカップ。
彼女は優雅に口を付けた。
左の瞳が青く右が赤い。
俗に言うオッドアイの瞳。
髪色は赤紫だが、前髪の部分だけが鮮やかな赤色をしている。
「ここの紅茶、おいしいですわね。でも彼ならきっと飲んでいたのはコーヒーでしょうか? 私の入れるコーヒーは未だ飲んではくれませんのにね」
扉が開かれ、ドアチャイムの音が鳴り響いた。
「いらっしゃいませ」
深みのある綺麗な女性の声が店内に響く。
来店者とは知り合いのようだ。
何かを話ししているのが彼女にもわかった。
「五家の一つである赤魔家。何故あの家が私のような者を匿ってくれたのかはわかりません。しかし、折角手に入れた自由ですからね。利用しない手はありません」
彼女は感慨深いといような表情を浮かべる。
「あれから一年と少しの間、ひたすら焦がれていたあの方は我が手中。知識だけとは言え、他人の記憶を内包するというのは余り心地良い体験ではありませんでしたが、手に入れたこの新しい術は便利ですわ」
再び響くドアチャイムの音。
彼女は視線を移動させる。
スーツ姿の男が入店してきたのがわかった。
いらっしゃいませの声。
カウンターの奥から聞こえてくる。
スーツ姿の男の背中。
そこから飛び立った一匹の黒い虫。
彼女の側まで飛んできた。
黒い虫はそのまま彼女に向かう。
そして髪の中に消えていく。
虫が消えた後、今まで無かった物がある。
そこに現れたのは黒い小さなヘアピンだった。
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