142.担架-Stretcher-

1991年6月10日(月)PM:13:51 中央区人工迷宮地下一階西ブロック


 前方から聞こえてくる足音。

 誰かが唾を飲み込む音が聞こえた。

 近付いてきているのは間違いない。


 いつでも飛び出せるように身構えているアンジェラ。

 河村 正嗣(カワムラ マサツグ)は、緊張した面持ち。

 隣の沢谷 有紀(サワヤ ユキ)も同様だ。


 アルマ・ファン=バンサンクル=ソナー。

 彼女は動こうとして、痛みで顔を顰めた。

 桐原 悠斗(キリハラ ユウト)も苦悶の表情。


 先頭にいる古川 美咲(フルカワ ミサキ)。

 相手を見極めようと、じっと見ている。

 現れたのは、一振りの刀を持つ少女。

 青髪でショートカットだ。


「鬼穂か。おまえがここにいるって事は?」


「はい。主様は既に、下の階に到達しており、発生源がその階にある事を確認しております」  彼女の登場に安堵した古川。

 他の五人は反応に困っていた。

 逆に少女は首を傾げている。


「処理は任せて欲しいとの事でした。また相当量の魔力の波動を感じる為、破壊時の魔力の奔流が激しいと予想されます。破壊が完了するまでは、決して下の階には降りないようにとの事」


「わかった。しかし、他の面子が向ってしまう可能性もあるんだよな」


「万全とは言えませんが、主様が全ての昇り階段を確認した上で、一時的に魔術により封鎖する手筈となっております。その上で破壊に向うとの事でした」


「そうか」


 納得したかのように、頷く古川。

「また巴様、白磁様の両名、義彦様、吹雪様他、数名を迷宮内から退避させました。他のメンバーは未確認との事です」


「巴と白磁には指示したが、義彦と吹雪が迷宮内にいたのは何でだ?」


「申し訳ありません。詳細までは聞かされてないので」


「いや、そうか。ありがとう。とりあえず、任せて問題なさそうだな」


 一人納得している古川。

 しかし、他の五人は完全に置いてきぼり。

 彼女はやっとその事に思い至った。


「あぁ、彼女は土御門 鬼穂(ツチミカド キホ)。味方だから安心してくれ」


「鬼穂と申します。以後お見知りおきを、お願いいたします」


 一礼した彼女は、五人に順番に微笑んだ。


「さて、それならば、ここに長居するわけにはいかないが、どうやって負傷者を運んだものか?」


「私なら自分で歩けますから」


 内臓を貫かれて一番重症のはずのアルマ。

 何でもないかのように立ち上がった。


「いやまて? 一番重症なはずじゃ?」


「まだ完全に回復したわけじゃないけど、私も常人じゃないから。これだけの時間休んでいれば、動けるぐらいまでは回復するわ」


 言葉の通りだった。

 破れた服から見える貫かれた部分。

 既に傷口は塞がっている。


「確かに傷は塞がっているようだな。だが無理そうなら教えなさい」


「そうね。その時は教える」


「それじゃあ桐原君と、少年をどうやって運ぶか?」


 そこで、正嗣の側に近づいたアンジェラ。


「アンジェラが運びます。黒髪の少女様、お願いがございます」


「は・はい」


 自分が話しかけられていると気付いた有紀。

 そう反応する事しか出来なかった。


「申し訳ありませんが、一度手を離して頂けますでしょうか?」


「は・はい」


 有紀が手を離したのを確認したアンジェラ。

 今度は正嗣に視線を向けた。


「痛みが走らないように、カバーはしておりますが、少々我慢してくださいませ」


「わ・わかりました」


 正嗣は何をされるかもわからない。

 しかし思わず、そう答えてしまった。


 両手の指先から、糸を出していくアンジェラ。

 糸を操り、何かを形作っていく。

 とても精密で、精緻な指先の動作。


 しばらくして、即席の担架を製作していると理解。

 器用な彼女の動きを、全員がじっと見つめている。

 六人全員が、感嘆した表情で眺めていた。


 しばらくして完成した、蜘蛛糸担架。

 正嗣をゆっくりと持ち上げて乗せた。

 そのパワフルさに、当人と古川、鬼穂以外の四人。

 驚きの眼差しになっている。


 更にアンジェラは、担架の下に手を差し入れた。

 正嗣の体を、担架に蜘蛛糸で固定していく。


 下部には、縦四列横二列に車輪を作成してあった。

 引っ張るか押すかすれば、移動出来る形だ。

 正嗣のが完成した。

 今度は悠斗の側に移動して、同じように作業していく。


 こうして出来上がった二台の即席担架。

 正嗣のは前にアンジェラ、後ろに有紀が並ぶ。

 悠斗の担架には、前にアルマが、鬼穂が後ろに陣取る形で押していった。


 古川が一番驚いたのが、アルマ。

 彼女が、率先して協力してくれている事だった。

 実際には、押しているのは有紀と鬼穂。

 アンジェラとアルマは前方を警戒している。


 古川は殿として、後方を警戒する事にした。

 場の流れで、決定した布陣。

 こうして、古川達の迷宮からの撤退がスタート。


 道中に二度、小鬼(ゴブリン)の小規模な群れと遭遇。

 しかし、古川が参戦する事もない。

 アンジェラとアルマにより、排除される形となった。


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1991年6月10日(月)PM:14:44 中央区大通公園一丁目


 突然襲った地震のような振動と揺れ。

 その後、徐々に消失し始めた。

 テレビ塔上空の黒い球体。


 まるで、エネルギーの供給が止まったかのようだ。

 萎む様に縮小していく。

 プラズマのような光も、徐々に弱くなっている。

 そして、視界から完全に消失する事となった。


「美咲達は、発生源の排除に成功したようね」


「そうね。でもこの惨状どうするのかしら?」


「そこは、私達の管轄ではないわ」


 白紙 彩耶(シラカミ アヤ)の独り言のような呟き。

 思わず反応を返した山中 惠理香(ヤマナカ エリカ)。


「独り言のつもりだったから、何か恥ずかしいじゃないの」


「聞こえるように呟かれたら、反応返しちゃうよ」


 二人の眼前に転がる数多の亡骸の数々。

 このうちの人ならざる者達の亡骸。

 おそらく、様々な研究機関に提供する形になるのだろう。

 実際どの程度の数が、研究に利用可能なのか。

 それは二人には、わからない事であった。


 ふと周囲を見渡す彩耶。

 浅田 緑(アサダ ミドリ)は片膝をついていた。

 肩で息をしながら空を眺めている。


 斧を放り投げている田中 竜二(タナカ リュウジ)。

 大の字で寝っ転がっていた。

 ランスを抱えるように持っている、金本 厚志(カナモト アツシ)。

 その場にへたり込んでいた。


 膝に手を乗せて立っている、七原 繭香(ナナハラ マユカ)。

 何とか支えているようだ。

 四人とも表情から、極度の緊張。

 それに長時間の戦闘により、疲労困憊なのが良くわかった。


 砂原 佐結(サワラ サユ)だけは違う。

 銃を腰のホルスターに戻している。

 少し疲労は見えるものの、無表情で立っていた。


「あの娘は実戦経験、豊富みたいだけど、前からいたっけ?」


「いいえ、新しく配属された新人の一人よ」


「そうなんだ。でも新人の立ち振る舞いじゃないんじゃない?」


「惠理香もそう思う?」


「思うよ。でも即戦力はありがたいんじゃないの?」


「そうなんだけどね。ところで、ここまで来たのだから最後までいてくれるわよね?」


「私は一応、一介の教師なだけなんですけど?」


 彩耶の言葉に、憮然とした惠理香。

「あら? ただの一介の教師様なら、平然とここにいるのはおかしいでしょうに」


「いや確かにそうなんだけどさ」


 そんな事もお構いなしな彩耶。

 彼女の言葉に、惠理香は反論出来なかった。


「ふふふ。美咲と肩を並べる魔術師様でしょうに。一応確認してくるから、惠理香はここで皆を見ててね」


「え!? もうわかったわよ。わかりました。まったく・・・」


 不貞腐れるような表情になった惠理香。

 微笑みの表情から、真面目な表情に戻った彩耶。


「浅田、田中、金本、七原はそのまま休んでいなさい。砂原はまだ動けるかしら?」


 無表情だった砂原。

 自分が声をかけられると、思ってなかったのだろう。

 一瞬きょとんとしたが、直ぐに元の無表情に戻った。


「大丈夫です」


「そう。なら申し訳ないけど、私と一緒に、残敵がいないか確認するわよ」


「わかりました」


「西側からいくわ。着いてきてね」


「はい」


 その場から離れていく二人。

 懐かしいものでも見るかのような眼差し。

 惠理香は、何とはなしに眺めていた。

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