139.不毛-Barren-

1991年6月10日(月)PM:13:35 中央区人工迷宮地下一階西ブロック


「おっと、思わず好奇心で、本題を忘れる所でした」


「本題? 大方は予想はつくが、私が素直にやらせると思うか?」


「先に仕掛けてきたのはアルマ・ファン=バンサンクル=ソナー。そしてその対峙を邪魔したのは、桐原君とそのお友達。あなた方裏組織の方々もご存知の通り、私にはあの権限があります。権限持ちのあなたならば、わからないわけはない」


「あぁ、わかっている。だがな、私から言わせればそれがどうした? だ!!」


「な? 何を言っている?」


「状況は余りわからないが、彼等はアルマ・ファン=バンサンクル=ソナーを守ろうとした、という事だな?」


 古川 美咲(フルカワ ミサキ)の言葉に、狼狽する形藁 伝二(ナリワラ デンジ)。

 彼女の言葉の意図が理解出来ないからだ。

 放つ言葉にも統一性が無くなっていく。


「あぁ、そうだ。その通りですよ」


「ならばその意図を汲んでやるだけだ」


「何を言って?」


「権限持ち? だから何だ? そんなの糞食らえだ!! アルマ・ファン=バンサンクル=ソナーも含め、彼等を害するというならば、私は形藁、貴様と戦うと言っている」


 古川の言葉に唖然として、即座に反論出来ない形藁。

 しばしの沈黙が二人の間に流れる。


「あ・あなたの言ってる事は、てめぇの言ってる事は、なんていうか・・支離滅裂じゃないんですか? あなた? 自分の立場を理解してるんです? てめぇはあの組織の、最高幹部七人の一人なんじゃないんですか? 矛盾ですよ矛盾。組織の人間が、それも上層部の人間が、組織の意図を無視するって、どうゆう事なんです? 不合理じゃありませんか? 日本人て、組織に従順で勤勉なんじゃないんですか?」


 素の言葉遣いが一体どれなのだろう。

 それすらわからない。

 言葉がバラバラになっている形藁。

 しかし、彼は心底狼狽していた。

 そんな事も気付いていない。


「一体どれが素の話し方なのか知らないが、形藁、貴様は勘違いしている。大人が面識のある子供を守る。ただそれだけ。それ以上でもそれ以下でもない」


「建前も本音も何も、それが本心という事ですか? 建前も何もなくそう言う事が、どんな問題を引き起こすか、理解しているのですか?」


「あぁ、理解しているさ。確かに日本人は建前と本音を使い分けている。だが実際には、ただの奴隷気質なんだと私は思っている。戦後ここまで短期間に国として復興出来たのは、その日本人としての気質のおかげではあるだろうがな。だが自分で考える事もせず本音を隠して、唯々諾々と従っているだけなのは良い事なのだろうか? 時と場合にもよるだろうし、一概にどっちが良いとも悪いとも言えないだろう。だがな、私は思うんだ。日本人ってのは、我慢しすぎなんじゃないのかとな。それに、感情論的に然程問題になるとは私は思っていない。アグワット・カンタルス=メルダーとアリアット・カンタルス=メルダーの亡骸を見てきた。アンジェラの目撃した内容と状況から考えて、殺したのは形藁お前だろ? 焼け爛れてはっきりとはわからなかったが、どう見てもそれ以外の損傷もあった。権限上は問題ないかもしれんが、あれを見て、感情論的に、何の感慨も無くお前の正当性を認めると思うか? 思うと考えてるんだろうがな」


「いや、あなたの言ってる事は理解出来ない。一体何を言っているんですか? 感情論? 法というのは、感情に左右されるんですか?」


「人間である以上、感情そのものを抜きにして、判断なんて出来るものじゃない。ここでお前と言い争ってもおそらく平行線なんだろうけどな。そもそも私は、お前とこんな事を言い合う為に、ここにいるわけじゃない。目的を果たす為にも、こんな所で時間を無駄に過ごすわけにはいかない。だがな、彼等をあくまでも害するというなら戦うまでだ」


 アンジェラは、河村 正嗣(カワムラ マサツグ)も桐原 悠斗(キリハラ ユウト)の側に寝かせている。

 魔力での保護も終わらせていた。


「アンジェラ、そいつらの事はまかせた」


 言葉を発する事も無く彼女は頷く。

 顔を少し後ろに向け、横目で確認した古川。

 再び形藁に顔を戻した。


 彼は渦巻く様々な思考の中。

 ある考えに辿り着いた。

 大義名分はこちらにある。

 邪魔者は排除するべしという結論だ。


「古川所長。あなたの言ってる事はさっぱりわかりません。下の者は上の者の指示に、疑問を差し挟む事もなく従えばいいと私は思っています。私とあなたは立場的には上下関係はありません。しかし、組織は違えども、尊寿すべき法は同じはず。ならば大義はこちらにあるのだ。故に私は自分の当初の目的を果たす。邪魔するというのであれば、あなたも叩きのめすまでです」


「そうか。ならば私も全力で貴様の相手をするだけだ。形藁副師団長。それが例え貴様達と対立する事になろうとな」


 睨み合う古川と形藁。

 まさに一触即発の状態だ。

 形藁の、血に塗れた巨大な拳。

 いまにも古川に殴りかからんとしている。


 対する古川。

 腰のホルダーに差し込まれているP220WC。

 右手でいつでも抜ける状態にしていた。


 左手を突如天井に掲げた古川。

 囁くように連続で言霊を唱える。


≪熱層気流≫


≪雨雲遅雨≫


≪擬鏡眼魔力≫


 囁くように唱えられた。

 その為、形藁には古川の言葉はほとんど聞こえていない。

 一つ目の言霊で、皮膚表面を覆い始める熱を帯びた気流。


 天井にくっくつように拡がっていく雨雲。

 それが二つ目の言霊による術だ。

 十メートル以上広がっていく。

 物理的には有り得ない低速度で、雨が降り始めた。


 古川の目の正面。

 眼鏡のレンズのように展開された魔力の膜。

 これらのうち、形藁が見えているのは雨雲だけだ。


 低速の雨を降らす雨雲。

 攻撃にも防御にも使えそうもない魔術。

 その使用に、虚を疲れた形藁。


「こんな低速の雨を降らせて何の意味が? どう見てもただの雨なんですが? 降る速度がやけに遅いだけで」


「そうだ。ただの降るのが遅い雨だよ」


 あっさりと肯定した古川。

 ますます困惑する形藁。

 彼は古川の少し離れた背後、彼女が守ろうとしている者達を見た。

 そこでは、古川との間に、膝丈ぐらいの火の壁を形成したアンジェラ。

 視線を古川に戻した形藁。


「私を倒すのではないのですか?」


「あぁ、そのつもりだ。別に私がどんな魔術を使おうとも自由だろう」


「いや、確かにそうですが」


 低速とは言えども、雨が降っている。

 徐々にずぶ濡れになっていく形藁。


「いや、ますます意味がわからない。私もですが、あなただって服が水を吸っているでしょうに」


 そこで形藁は自分の考え違いに気付く。

 暗がりではっきりと断言は出来ない。

 しかし、古川の髪の毛やバイクスーツ。

 雨の水滴が触れた感じがしないのだ。


 何かこの無駄な雨雲にも、遅い雨にも意味がある。

 そう考えた形藁。

 自分から攻め込むつもりだった考えを改めた。


 普通に考えれば、無駄なこれらの術。

 何かの布石なのだろうか。

 一度そう考えてしまうと、無闇に動く事は憚られる。


 彼の頭の中を様々な知識、様々な可能性が巡った。

 しかしどの考えも、この雨に意味を見出せない。

 もし彼が、古川について、ちゃんと調べていれば、行動の意味を把握する事が出来ただろう。

 だが形藁は相手が誰であろうとも、力押しで握りつぶせると思っていた。


「攻めてこないのか?」


 挑発するかのように中指を立てる古川。

 手前に何度も繰り返し、折り曲げる動作をする。

 普段ならば安い挑発は、圧倒的パワーで捻り潰す形藁。

 だが、この時は躊躇していた。


 降り続ける低速の雨。

 睨み合う二人。

 一速触発の状態。

 どちらも中々動く事はなかった。


 十年前に戦った時は、火と風をメインの攻撃方法にしていた。

 その記憶から、どうするべきか迷う形藁。

 体を濡らす意味を考える。

 しかし、理由を思いつかない。


 何か他に別の意味があると思考。

 床を満たして範囲を拡大していく水。

 形藁は、今はフルパワーを出せない。

 それでも、圧倒的な力だ。


 どんな小細工を仕掛けてきても、力で捻り潰す。

 改めて、自分の戦い方。

 その圧倒的力を思い出していた。


 透明な為、普通は肉眼で見る事は出来ない。

 だが、左右で計十二本。

 背骨に向うように生えている手。


 一番大きな両手を含めて、血に塗れている手もある。

 しかしほとんどは、古川には認識不可能。

 そう解釈した形藁は、手加減無用で古川に殴りかかった。

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