124.四散-Spread-

1991年6月10日(月)PM:12:37 中央区西七丁目通


 一人足早に歩く三井 義彦(ミツイ ヨシヒコ)。

 よく知る気配を感じ、後ろを振り返った。

 白髪に白髭の顔が一つ。


「じじぃ?」


「探したぞい。馬鹿弟子」


「いろいろと手解き受けてるのは間違いないが、あんたの弟子になった覚えはない」


「あいかわらずよ」


「で、この忙しい時に何のようだ?」


「あやつがの。五月蝿くて」


「いや意味わかんないけど?」


 歩いてきた老人が差し出した物。

 二つ持っている竹刀袋の一つだ。


「謝るまでは絶対許さないけど、謝る前に死なれるのはごめんだそうじゃ。全く自分で言えばいいものを。謝るまでは、話しもしたくないそうじゃ」


「謝るって何にだよ」


「それは儂にはわからんぞ。お主とこやつの間の事だからの」


「なんだよそれ?」


「全く、女心のわからない鈍感弟子じゃの」


「何言ってんの?」


「まったく、そっちの手解きもするべきかの」


「ほんと何言ってるんだよ? そんなことより、それでじじぃは、これを渡しに来たってわけか?」


「それもあるがの。美咲ちゃんに頼まれていた事もあるんじゃよ。地下区画に向うのじゃろ? 儂もそこに用があるのじゃ。中に入ってからは別行動じゃがな」


「勝手に付いて来ればいいだろ?」


「そうさせてもらうかの。ともかくじゃ、この異常事態の収拾はせねばならぬからの。もし頼まれていなくても、動いたんじゃがな」


「独り言のつもりなら、俺に聞こえるように言うのやめれ」


「なんじゃ? あいかわらずつれない奴よ」


「付いて来るのは勝手だが、先に吹雪の所にいくつもりだぞ」


「吹雪ちゃんなら、学校にはおらんぞ。おそらく地下区画じゃ」


「どうゆう事だ? そもそも何で知ってるんだよ?」


「あそこの先生の一人が、儂の弟子なんじゃよ。それで話しを聞いたんじゃ」


「それで?」


「どうやら捕縛されて、連れて行かれたようじゃな」


「吹雪がか?」


「相手が手練だった、というのもあるかもしれんが。お前さんと違って、心を押し殺して全力開放は、彼女は出来ないじゃろうしな」


「確かにそうかもな。それじゃ、真直ぐ地下区画に向うしかないって事か」


「そうじゃな」


 通りを進んでいく二人。

 辿り着いたのは一見普通の建物。


「どう見ても普通の建物だな」


「そうじゃな。だからこそ、今まで露見しなかったのかもしれんがな」


「確かにそうかもしれない」


 扉に手をかける義彦。

 軽く引っ張る位では、びくともしなかった。


「鍵か何かが必要って事か?」


「ふむ。そんな事、美咲ちゃんは言っておらんかったがな。どうす――」


 義彦は、両手に更に力を込めた。

 有無を言わさず、力任せに扉を引き剥がす。


「問答無用じゃの」


「無駄な時間を掛けてる余裕はない」


「吹雪ちゃんが心配なんじゃな」


「当たり前だろ」


「こやつが聞いたら、いや聞こえているじゃろうがな」


 呟くようにそう言った彼。

 その言葉は、義彦には聞こえなかった。


「先行くぞ」


 義彦が先頭になって進んで行く。


「ここか?」


「そのようじゃな」


 いつの間に出したのだろう。

 古川 美咲(フルカワ ミサキ)に送られていた地下区画の資料。

 その資料の、コピーが握られている。


「開けるぞ」


「壊すぞ、いや斬るぞ、の間違いじゃないのかの?」


「何でもいいだろ」


 竹刀袋に入れられていた一振りの日本刀。

 取り出した義彦は柄と鞘を持つ。

 抜刀した刃は、薄っすらと黒光りしていた。


 放たれた斬撃は、目の前の扉を容易く両断。

 開け放たれたその中には螺旋状の階段。

 二人は躊躇すらしない。

 地下へ向っている螺旋状の階段、その中へと消えて行った。


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1991年6月10日(月)PM:12:59 中央区特殊能力研究所地下二階


 超至近距離で、魔力の高まりを感じた濁理 莉里奈(ダクリ リリナ)。

 白紙 元魏(シラカミ モトギ)が張った結界。

 その存在の為、彼女はここから出る事は出来ない。


 魔力の高まりの原因は直ぐにわかった。

 しかし、ここから出る事が出来ない。

 彼女には、どうしようもなかった。


 恐慌しそうな意識。

 恐怖で震える体。


 そこへ血相を変えた元魏が走ってきた。

 彼は即座に結界を解除。

 莉里奈が手に握っていた魔力の高まりの原因を奪い取る。


「くっ。解除は間に合わないか」


 階段とは反対側に、元魏はそれを投げた。

 その上で、飛んでいったそれ。

 幾重にも氷の壁で閉じ込める。


 元魏はもう一人。

 反対側に寝かせてある人狼。

 今だ意識を失ったまま。

 彼に駆け寄ろうとした。


 時間が十三時丁度になる。

 爆炎に蹂躙される室内。

 煙が晴れていく。

 お姫様抱っこされている莉里奈。


「何故助けたの?」


「君が死ねば、伽耶と沙耶はその事に、罪悪感を抱いてしまうだろうからね。それに敵側の人間だとは言え、命を見殺しにするわけにはいかない。もう一人は助けられなかったけど」


 悔しそうな表情になる元魏。


「医者なものでね。どうしてもそう考えてしまうんだ」


 元魏は優しい声でそう続けた。


「でも一歩間違えば、あなただってただじゃすまなかった。死んでたかもしれない」


「そうだね。死んでたかもしれない。それでもなのさ」


 莉里奈はそれ以上何も言えなかった。

 ただ唇を噛んだだけだ。


 あの爆炎の瞬間。

元魏は莉里奈に覆いかぶさった。

 その上で土の壁を、何重にも作り出す。

 何とか爆炎をやり過ごしたのだ。


 死への恐怖から一転。

 助かった安堵感。

 彼女は腰を抜かしてしまった。


 その事を見抜いた元魏。

 彼にお姫様抱っこされている。

 抵抗はしたが、儚い抵抗でだった。

 ほぼ無理やり運ばれている形だ。


 自分はこんな所で、何をしているのだ。

 そんな思いに囚われる莉里奈。


 状況から考えて、この爆発。

 おそらく形藁 伝二(ナリワラ デンジ)の意図したものだろう。

 そう考えると、仲間達の無事を祈るしかなかった。


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1991年6月10日(月)PM:12:59 中央区環状通


 指示した朝霧 拓真(アサギリ タクマ)。

 駒方 星絵(コマガタ ホシエ)は車を止めた。

 後ろにいた拓真。

 突然、魔力の高まりを感じる。

 解除は間に合わないと判断したのだ。


 即座に全員に退避を命令する。

 出来れば人狼達も助けたかった。

 しかし、発動まで数十秒しかないだろう。


 拓真の車椅子を押す堤 火伊那(ツツミ カイナ)。

 星絵に手を握られている朝霧 紗那(アサギリ サナ)。

 友星 中(トモボシ アタル)が、最後尾にいた。


 溜まっていた鬱憤。

 まるで、吐き出したかのようだ。

 車の後部が激しく吹き飛ぶ。


 その衝撃と余波。

 彼等とは反対方向に、宙を舞っていく。

 そのまま、弾き飛ばされた車。

 路上駐車している他の車に衝突。

 盛大に減り込み、破壊して止まった。


 爆発の衝撃と余波。

 は拓真達にも襲い掛かる。

 吹き飛ばされた彼等。


 車椅子から投げ出された拓真。

 飛んで行った車の方を向いた。

 原型を留めないほどに破壊されている。


 あの爆発の規模。

 彼らは無事ではないだろう。

 そう思うと拓真は歯噛みするしかない。


 立ち上がった他の四人。

 似たような思いなのだろう。

 表情に悔しさが、滲み出ていた。


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1991年6月10日(月)PM:12:59 中央区石山通


 空を眺めている瀬賀澤 万里江(セガサワ マリエ)。

 夕凪 舞花(ユウナギ マイカ)と手を繋いでいる。

 小学校の直ぐ側。

 横断歩道橋の上にいた。


 何をするわけでもない。

 ただ眺めているだけだ。

 異常事態なのは理解している。

 しかし、今の舞花を一人、置いていく気持ちにはならない。


 何が起こるかわからない状況。

 彼女を連れて行くなどは論外だ。

 現状何が起きているのか。

 状況がどうなっているのかは、さっぱりわからない。


 彼女が倒した二人の人狼。

 黒鬼の力を使い覆ってある。

 空気は遮断していない。

 なので窒息する事はないだろう。


 意識を取り戻して、目を開けても闇しか見えない。

 体も動かせないはずだ。

 魔力の高まりは感じている。


 発生元は二人の人狼。

 なので彼女は気にもしてなかった。

 そこで聞こえてきた、くぐもった音。


 爆音か何かのようだ。

 しかし、ここから見て人狼二人に変化はない。

 一度確認した万里江は、再び顔を前に戻した。


「見にいかなくていいの?」


 舞花が静かに、そう万里江に聞いた。


「大丈夫だろうさ。舞花が気にする事じゃないし」


「うん、そうだね。皆大丈夫かな?」


「義彦や吹雪は大丈夫だろうさ。若干不安な面子もいるけど」


「うん」


「動こうにも、情報が皆無だからね」


「・・・・うん、そうだね」

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