109.硬化-Harden-
1991年6月10日(月)PM:12:04 中央区西七丁目通
「三井 龍人(ミツイ タツヒト)、私の事を知っているのね。さすが探偵という所かしら。そうね、私も仕事で来てなければ、口説かれてみたいわね。もっとも私の本当の姿を見て、同じ事が言えるとは思わないけど」
その言葉に肩を竦める龍人。
冷笑としか取れないファーミア・メルトクスルの表情。
「いい女は嬉しそうに笑ってる方がいいと思うけどね」
「そう? 残念ね。嬉しそうに笑いながら、標的を甚振る趣味はないのよ」
「それで、そんなに殺気塗れで俺に何か御用なのかね?」
「ええ、おとなしく死んでくれないかしら?」
「そう言われて、おとなしく命を差し出すような馬鹿は、そうそういないと思うけどね?」
再び肩を竦める龍人。
しかし、ファーは冷笑のまま、靴を脱いだ。
「普通そうよね。それでは実力行使させてもらいますね」
冷笑から一転、嬉しそうな表情になったファー。
「なんか嬉しそうだな?」
「うふふふ、抵抗してくれなきゃ楽しくありませんしね」
歓喜の表情が徐々に、狂喜の表情に変わっていく。
彼女の変化に、龍人はごくりと唾を飲み込んだ。
ファーの素肌が金髪に覆われ、手足の爪が鋭くなっていく。
どちらかというと、美しいという言葉が似合う顔も変化。
口が大きく裂け、前に盛り上がっていったのだ。
「まじで狼化族かよ。そりゃ、そうそう手を出すわけにはいかないわな・・・」
目の前の女性は、既に人間ではない。
一般的には人狼と呼ばれる姿になっている。
その場を通行していた人々。
彼女の変化の過程を、全て見ている。
その場に足を止めて、しばしの疑問顔になった。
「何かの撮影?」
「で・・・でも、あの人ちょっと前まであんな姿じゃなかったわよね?」
「そ・そんな馬鹿な事あるわけ?」
≪第一狼化(ファーストウルフ)≫
どんなものも切り裂きそうな手足の爪。
計二十本の爪が、その言葉により更に伸びていく。
まるで爪に合わせるかのようだ。
手と足もサイズを大きく変えた。
≪第二狼化(セカンドウルフ)≫
しなやかな全身の金色の体毛。
全てがまるでレイピアのように硬化。
しかし不思議と服を激しくぶち破る事ない。
穴を開ける事も無かった。
「おいおい、なんだよこれ。全身凶器じゃないかよ。ゆっくり見てる場合じゃなかった・・・」
≪ロウプ ガロウ レンフォルセメント デス キャパシテス≫
「――聞き取りにくいな、おい」
龍人の僅かな呟き。
その言葉の通りファーの発生は、若干聞き取りにくい。
発声器官も、変化してるのだろう。
「ワたシは、ドんナとキでモ、てハぬカなイ」
その言葉と同時。
その場で左回りに一回転したファー。
ただそれだけの動作。
周囲に血の臭いと肉槐が散らばった。
一瞬で、地獄絵図と様変わりする。
「おいおい・・・無関係な人達にも問答無用かよ・・・」
「コんナ、かリそメだケへイわノくニ、だレもシんジつカらメをソらシて」
「ま・まぁ言いたい事はわからないでもないが・・・」
周囲にいた人達は即死だろう。
呻き声一つあげなかった。
その光景を見てしまった人達。
目の前の惨事の咀嚼が終了。
叫び声や悲鳴、泣き声をあげはじめた。
龍人は目の前の人狼ファーから目を逸らすわけにもいかない。
周囲の喧騒等に、構っている余裕はなかった。
「ジゅウねンいジょウまエ、わタしヲこンなカらダにシたニんゲんタち、フくシゅウすラかナわヌこトに、ゼつボうシかケた。デもイまハ、かンしャしテいルきモちモあル」
――仮にこの場から逃げたとする。
執拗に追いかけて来そうだ。
標的が俺なんだろう。
けど、この場から逃げれば無差別に攻撃しそうだな。
俺は別に偽善者じゃないからな。
だから、赤の他人がどうなろうが知った事じゃない。
でも、本気で戦わないと俺が死ぬ。
自分の攻撃で巻き込む。
それはさすがに、寝覚めが悪くなりそうだ。
たどすると、邪魔な一般人のいない場所に移動する。
それしかないか・・・。
「十年以上前って何の話しだ?」
龍人の瞳が緑白に輝き出す。
体を、緑白の薄い闘気の膜、のようなものが覆いだした。
「ハなシはオわリ。かクせイしャよ、ゼんリょクでコい。タのシもウ」
この近くで人の少ない所。
頭をフル回転させて、この近辺の地図を思い出す龍人。
豊平川に出れればいいが、何処をどう通ったとしても人はいる。
いっそ切り捨てるか?
――そんな事を思うが、深く考える時間は与えられなかった。
突如真直ぐ突っ込んでくるファー。
膨れ上がった手足。
それをを差し引いても、ありえない速度だった。
避ける事は不可能だと瞬時に判断。
真上から振り下ろされた一薙ぎ。
相手の手首辺りに、前腕がぶつかるように防ぐ。
その衝撃は、龍人が想像する以上だった。
攻撃を防いだだけで、少し痺れた右腕。
足元のコンクリートの歩道が、衝撃で陥没。
体を駆け巡る激痛。
闘気を纏っていなければ、一撃で即死しかねない威力だ。
繰り出された右腕の突きを、後ろに下がり回避。
同時に風の刃を複数射出。
全て信じられない速度で避けられる。
更に追撃してくるファー。
時に紙一重で躱し、時に攻撃の衝撃を受け流す。
しかし、攻撃は非常に重い。
徐々に龍人の腕の、耐久力を削っていく。
腹部に直撃を喰らった龍人。
彼は、衝撃と共に吹き飛ばされる。
闘気のおかげで爪が突き刺さる事はなかった。
しかし、その衝撃だけでもダメージは侮れない。
口の端から垂れてきた血を拭う。
時に突き出され、時に振りぬける爪撃を避ける龍人。
躱しながら反撃の糸口を思案する。
なんとか相手の攻撃の反動を利用し、距離を取った。
「さスがダ。だガこウげキすルよユうスらナいノなラ、わタしニはカてナい」
「俺の全力を見たいと思っているのか? ここじゃ、余計な奴らがいて本気をだせないんだけどな」
「ほウ? ほンきデいッてイるノか?」
「本気も本気。超マジだぞ」
激しい遣り合いから一転。
睨み合っている二人。
だが、僅かな時間で周囲は悲惨な状態だった。
紙のように引き裂かれた路上駐車の車。
所々、五本の爪に切り裂かれている民家や電柱。
恐怖と絶望と現実を受け入れられない人々。
彼等彼女等の泣き叫びや金切り声。
ゆったりと走っている市電。
その中から、この光景を、まるで他人事のように眺めている人々。
「そレがホんトなラ、なッとクでキるイちゲきヲわタしニはナっテみセろ」
「やれやれ、そう簡単には乗ってはくれないか」
「あタりマえダ」
「いいぜ、放ってやるよ。本気の一撃を」
「わタしハこコかラうゴかナい、エんリょナくブちカまセ」
「上等だ。逃げんなよ」
龍人の右腕を中心に、風が集まる。
極小の台風の如く加速してゆく。
その風に周囲の物が巻き上げられ始めた。
粉々のガラスやコンクリートの破片。
集束していた風の加速が瞬時に止まる。
彼の右腕の周囲。
そこだけに、物凄い密度の竜巻が回転している。
「いくぜ」
「コい」
瞬時にファーの真上に飛んだ龍人。
振り下ろされる左腕。
上から下に解き放たれた竜巻。
彼女の動きを封じ、瞬時に放たれた場所を抉っていた。
抉られた穴。
その中で、様々な破片に埋もれているファー。
彼女は、うつ伏せに倒れている。
さほどダメージになっている様子もない。
即座に立ち上がり、穴から外へ飛んだ。
周囲を見渡し、龍人の存在を探す彼女。
放った風の勢いで、しばし空を飛んだのだろう。
龍人は、北側の何かの倉庫のような所。
そこの屋上に一瞬姿が見えた。
彼の存在を確認したファー。
先程の衝撃で、若干重い体。
奮い立たせて追いかける。
倉庫の前から飛び上がり、屋上に辿り着くファー。
龍人は、社宅のような建物の、向こう側に消えていった。
「ニがサなイ」
≪ロウプ ガロウ ジェ スプポセ アウスシ ウン フェウ デボラント≫
手足の爪を中心に、全身に火を纏ったファー。
前方に勢いよく飛び上がりなら、同時に詠唱を開始する。
≪ロウプ ガロウ レ トウル レ チエル デビエント ドッウン コウプ ペルギャント サ スブスタンス≫
業火に包まれたままに、一直線に突撃をするファー。
立ち塞がるコンクリートの壁を削っていく。
小学校の校庭の端を走っていく龍人。
彼に即座に追いついた。
追いついただけではない。
そのまま龍人に突貫する。
僅かな差で気付いた龍人。
風の力も利用し横に飛び退く。
直撃は避けた。
だが、残念ながら火で燃えた彼女。
剱山の如き毛に撫でられた。
右手、右足等の右半身。
背後を中心にズタズタにされた龍人。
衝突の衝撃で校庭を転がっていく。
血をだらだらと垂らしている。
痛みに顔を顰めつつ、吹き飛ばれた衝撃のベクトルを変えた。
校庭と向こう側の道路を隔ててるフェンスを飛び越える。
「ドこマでニげルつモりダ」
同様にフェンスを飛び越えたファー。
龍人が視界に入るや否や再び詠唱を開始。
≪ロウプ ガロウ レ トウル レ チエル デビエント ドッウン コウプ ペルギャント サ スブスタンス≫
加速し豊平川の階段状の堤防を削っていく。
そのまま、龍人に直進していくファー。
しかし今度は龍人も予期していたのだろう。
先程よりも距離が近い。
にも関わらず、直進する彼女を余裕をもって避けた。
更に自らの体を風で飛ばす。
血を撒き散らした龍人。
豊平川の真ん中にある小島。
その一つに、転がりながら辿り着いた。
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