052.幼虫-Larvae-

1991年6月1日(土)PM:17:32 中央区謎の建物一階


 相模 健二(サガミ ケンジ)は一人、ただひたすら穴を監視している。

 二階に向かった三人は、どうなったのだろうか。

 彼はそんな事を考えていた。


 実際にはそんなに時間は経過していない。

 しかし一人ただ待つというのは、時間を長く感じるものだ。


「穴の中にはいって調べておくのも手だが、問題は明かりになるようなものが、何もないって事だよな」


 ただ単に手持ち無沙汰に、安易に考えた事。

 肝心の中を見る為の、明かりになるようなものが見つからない。


「近藤さんでもいれば、便利な松明になるんだけどな」


 そんな他愛も無い事を口にしてみた所で、明かりが出来上がるわけでもない。

 一人いろいろ思案してみる健二。

 元々あまり頭の良いほうではない彼では、名案は浮かばなかった。

 それでも何か、名案を捻り出そうと、脳をフル回転させる。

 思考に意識を集中させていた為、近づいてくる人の気配に気付くのが遅れた。


「相模弟か?」


 突然かけられた声に、即座に反応出来ない。

 側に近寄ってくる人影に、少し逡巡してから顔を向ける。

 そこには、彼も何度か関わった事のある男が立っていた。


「みつ・・・探偵さんか。何でこんな所に?」


「一応人探しかな? そっちこそ何で?」


「兄貴と二人で、ちょっとした事件を調べてたら、こんな所に辿り着いた感じかな。兄貴の健一と、更に三井君、桐原君が上の階にいるぞ」


「義彦と桐原君もいるのか。何ともまぁ」


「三井君と桐原君は攫われた女の子を助けに来たようだけど、お前の捜し人もその人か?」


「いや、俺の捜し人は緑髪の男性だな」


「緑髪の男? 今の所は見かけてないな。二階かこの穴の中ならわからないけど」


「そういえばその穴は何だ? 周囲の屍から考えると蟻の巣か?」


「おそらくだがな」


「潜ったのか?」


「まだだな。潜ろうにも、明かりがねぇからな」


「明かりね?」


 煙草を一本取り出し、火をつけた三井 龍人(ミツイ タツヒト)。

 煙草の煙を燻らせている。


「明かりがあればいいのか?」


「あれば穴に入るのもありかな、とは思っている」


「そうか」


 火をつける事もなく、右手のジッポで適当に遊んでいる。


「あんまり得意じゃないんだけどな」


「ん? 何を――」


 言葉を続けようとした健二は、その光景を見て絶句した。

 右手で遊んでたジッポに、いつの間にか火を点けている。

 その火が一際大きくなった。

 気付けば閉じられているジッポ。


 火は消える事もなく、赤々と燃えあがっている。

 その炎が龍人の右手の上で、まん丸に集まった。

 徐々に光源として周囲を照らしてゆく。

 揺らめきながら安定した炎の球。


「なっ!?」


「そんなに驚く事か?」


「驚くも何も・・・おまえは風・・じゃ?」


「別に四属性のうち、一つしか使えないとは言ってないだろ」


「ぁがぅ・・確かに・・・。これが才能の差・・か?」


 後半は呟きにしかならず、龍人の耳には届かなかった。


「そんで光源は用意したから、穴の中を探索する事は出来るわけだが、どうするよ?」


 健二に真面目な視線を向ける龍人。

 その眼差しをうけて、健二は冷静に務めるように努力する。

 それでも、狼狽は隠す事は出来なかった。


「――せっかく準備してもらったし、行こうじゃないか」


「わかった」


 龍人は穴の縁まで歩み寄り、穴の中を覗く。

 同じ様に、穴の縁まで歩いてきた健二。

 龍人は、自らが練り上げた炎の球を、ゆっくりと二つに分裂させてゆく。


「近藤さんみたいに、ちゃっちゃとはやっぱ出来ねぇな」


 自嘲ともとれる囁き。

 それでも、得意属性でもないのに、十秒程であっさりと行うその能力。

 健二は舌を巻いた。

 そこで、ある疑問に気付く。


「二つに分裂させてどうするんだ?」


「どうする? こうするのさ」


 分裂した炎の球。

 片方は左の掌で、徐々に元の大きさに戻りながら揺れている。

 右の手の掌の球も、徐々に元の大きさに戻りだしていた。

 左手の炎の球が、分裂前の大きさに戻っていく。

 完全に戻ると、ポイッと穴の中に放った。


 放られた炎の球は、周囲を照らしながら落下してゆく。

 程なく地面に到達、土の上で周囲を照らし始めた。

 早く降りてこいよと言わんばかりに、揺らめいている。

 龍人の行動を健二はじっと見ていた。


 穴の中の、照らせる範囲の状況を理解した龍人。

 一切の躊躇もなく飛び降りた。

 その高さは七メートルから八メートル程だろう。


「相良弟、お前も早く来いよ」


「――警戒するとか、そうゆう考えはないのかよ」


 独り言のように呟いてから、龍人にならって穴の中に飛び降りた。

 地面が思いのほか柔らかいからなのか、思った程の衝撃を感じない健二。

 しかしこんな穴になっているなら、建物の基礎の構造はずたずたなんじゃないのか?

 と、余り意味の無い事を考えていた。


 改めて穴の中の、最初の部屋を見渡してみる。

 光源があるとは言え、やはりはっきりとは判断出来ない。

 それでも基礎だったらしい、金属らしきものや、コンクリートらしきものも見える。


 光源の役割を果たしている龍人が、部屋の中を壁ぎりぎりに一周。

 横幅は四メートル程度、奥行きは十メートル程度だろうか?

 どうやら横倒しの卵形のようだ。

 そして進める道は一箇所のみ。


 龍人と健二は、お互いに視線を交わらせる。

 二人同時に頷くと、唯一進める横穴に歩き出す。

 しばらく歩くと、最初の部屋と同じ様な感じの、入り口に辿り着く。


 既に黒い蟻は全滅したのか、ここまで一体も遭遇する事はなかった。

 何もないと思ったその部屋を、中心まで歩を進める。

 二人はそこで、自分たちの考えが、思い違いであった事を悟った。


 入り口と反対側、部屋の最奥に蠢く物。

 半透明の、びっしりと長い毛の生えた芋虫。

 二メートル近くあるだろうか?

 これがおそらく蟻の幼虫って事なんだろう。


 数えてみると、そこにいる芋虫は十体。

 闖入者に気付いたのだろうか?

 二人目掛けてゆっくり這いより出した。


 見たくないものを見たかのような表情の二人。

 何か言葉を発する事もない。

 ひたすら、汚物でもみるかのような視線を向ける。


 どちらが最初に動いたのだろうか?

 いくつもの風の刃に、切り刻まれる芋虫。

 地面の土が、円錐状に盛り上がり、芋虫が天井に縫い付けられる。


 ひたすら作業のように行う二人。

 そこにはどのような感情があったのだろうか?

 ものの数秒で、芋虫は亡骸に、変わり果てていた。


 二人は一度顔を見合わせた後、無言で来た道を戻る。

 戻る間、一切言葉を交わす事はない。

 ただただ周囲を警戒しながら進む。


 そして穴の入口の、丁度真下まで戻ってきた。

 健二は無言で、足元の土を盛り上げて行く。

 二人が乗れる大きさで盛り上げて行った。


 徐々に、穴の外の一階部分が見えてくる。

 一階に戻った二人。

 呼吸を止めていたわけでもないのに、一気に息を吐き出し再び吸い込んだ。


 女王蟻が何故いなかったのだろうか?

 健二が思い至ったのは、その時になってからだった。


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1991年6月1日(土)PM:17:33 中央区謎の建物二階


 一つ目の部屋のドアや壁から、いくつもの拳大の尖った石が飛び出す。

 数秒後、穴だらけのドアが外側に倒れた。

 しばらく呆然としてると、部屋から出て来る黒いローブの奴。

 おもむろに右手をこちらに向ける。


 その時、僕の横を何かが通り過ぎた。

 健一さんが放ったと思われる、拳大の丸い岩塊。

 しかし奴は無造作に、それを右手で払いのけた。

 ただそれだけで、弾かれて奴の背後の壁を貫通して行く。


「っ!? 弾いただとっ!!」


 驚愕の症状の健一さん。


≪ツハ≫


「たぶん詠唱呪文だっ!! 詠唱させるな!」


 詠唱呪文は、何となくどんなものか想像がつく。

 渋い顔をしながら、健一さんは再び岩塊を射出。

 黒いローブは体をこちらに向けながら、今度は左手で無造作に岩塊を払い退けた。


≪オウツン≫


 弾かれたように、僕は黒いローブに突っ込む。

 健一さんの岩塊は、何が理由か分からないが効かないようだ。

 ならば詠唱妨害もかねて、接近攻撃ならばどうだろうか?


 距離は数メートル、弾丸のように真っ直ぐ突っ込む。

 再び射出された岩塊が、僕の横を通過する。

 奴は今度は右手で無造作に弾いた。


 弾く理由がさっぱりわからない以上、接近で相手出来るのかもわからない。

 高速で射出される岩塊を弾く事から、接近した方が危険な可能性も有る。

 それでも、何もしないでいれば、間違いなく簡単に命を刈られるのは目に見えてた。


 僕の体を突き動かしたのは、何だったのだろうか?

 死ぬ事へ恐怖?

 殺意を向ける相手への恐怖?


 正直怖くて怖くて、今すぐにでもこの場を逃げ出したい。

 でももし、そんな事をしたとしても、きっと逃げ切れないと思う。

 逃げ切れないなら前に進むしかない。


 体が震えているのか震えていないのかも、よくわからなかった。

 ただ僕は、伊都亜さんを連れ戻す為に、ここに来ているのだ。

 その感情に体を奮い立たせる。


 奴の目の前に躍り出た僕は、右の拳に全力を込めて突き出す。

 健一さんの岩塊の連打で、詠唱を止められていた奴は特に反応しない。

 左頬に直撃、金属音が響きわたる。

 その場から、仰け反る事すらもなく、奴は受け止めた。


 僕は続けて、左と右の拳を連続で叩き込む。

 殴っている感触は間違いなくある。

 それなのに、奴は全く微動だにしない。


 気付けば奴の右手が、僕の胸の前にあった。

 咄嗟に僕は後ろに飛びつつ、両手を胸の前に交差させる。

 先程とは少し異なる言葉を、奴は早口に唱えた。


≪ツハ オウツン エコ ヒズコル セナカア スオレ≫


 奴の右手に、尖った拳大の石塊が精製されていく。

 詠唱が終わると同時に、射出された。

 僕の前に構えていた両手に、衝撃が走る。

 吹き飛ばされた僕を、健一さんが受け止めてくれた。

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