018.赤子-Baby-

1991年5月25日(土)PM:22:31 豊平区久下達の隠れ家三階


 三度目のナックル構成をした僕と、刀を手に持った彩耶さん。

 こんな短時間に構成を繰り返したのは久し振りだ。

 だからか、三度目のナックルは、所々構成がうまく出来ていなかった。

 それでも最低限、武器としては遜色ないと思う。


「彩耶さん、僕が扉を開けるので、何かあった時はよろしくお願いします」


「わかったわ。何もない事を願いたいけど」


 うまく動かせない手で、ドアノブを掴みゆっくりと回す。

 そして静かにドアを開けた。

 僕は様子を探るように、ゆっくりと室内を見定める。


 室内を見渡す僕の瞳に映った光景。

 ベッドの上で赤子と一緒に寝息をたてて眠る、伊麻奈ちゃんらしき少女。

 そしてそれを優しげでいて、悲しげな顔で見つめている女性。


 腰までありそうな紅い髪を、後ろの部分だけ軽く結んでいる。

 彼女は憂いを帯びた、紫色の瞳で椅子に座っていた。

 おそらく彼女が久下 眞彩(クゲ マアヤ)だろう。


 しかし何でここに赤子がいるんだ?

 そんな疑問を余所に、彩耶さんが歩き出した。

 周囲を警戒しながら、僕も続く。


 僕と彩耶さんは、ゆっくりと部屋の中に入っていく。

 椅子に座る彼女の前まで歩く。

 目の前まで歩いた上で、彩耶さんが声をかけた。


「久下 眞彩(クゲ マアヤ)さんですね」


 繊細そうで、弱々しい声が室内に響く。


「そうです。私が久下 眞彩(クゲ マアヤ)です。あなた方がここに来たという事は、おそらく兄達は負けたのですね」


「そうです」


 彩耶さんが簡潔に答えた。


「あなた方と戦う意思はありません。ご安心下さい」


 彼女はそこで、次の言葉に少し間をあけた。


 僕と彩耶さんは彼女の次の言葉を待つ。

 その後に彼女が呟いた言葉は衝撃だった。


「今回の事件の首謀者は私です」


 彼女が首謀者だって?

 首謀者は春眞じゃなかったのか?

 予想外の言葉に、僕はただただ驚いていた。


 座っている眞彩さんの前に、立ち尽くす僕と彩耶さん。

 彼女は何を言うでもなく、僕と彩耶さんに微笑みかけていた。

 赤子と伊麻奈ちゃんの寝息が聞こえてくる。


「ここではこの子達を起こしてしまうかもしれません」


 椅子から立ち上がり、僕と彩耶さんの横を通り過ぎる。

 三井さん、吹雪さんがいる部屋に彼女は行くようだ。

 僕と彩耶さんも彼女の後を続いて歩く。


 眞彩さんは、そのまま気絶した春眞の元へ向かった。

 何かを囁いているようだ。

 今度は長眞の元へ向かい同じように囁く。

 そして三井さんと吹雪さんの側へ。


「お久しぶりです。三井さん」


「・・・眞彩・・・か」


 吹雪さんはいつ意識を取り戻したのだろうか?

 三井さんの側に寄り添い、複雑な表情で眞彩さんをみている。

 その表情の真意は読み取れなかった。


「ごめんなさい。そして私達を止めてくれてありがとうございます」


 僕達四人に聞こえるように言ったんだろう。

 その後に深々と頭を下げた眞彩さん。


「一年前・・・俺が・・もっと早く・・助ける・・事が・・出来てれば・・・そもそも・・・こんな事には・・ならなかった・・」


「いいえ、あなたは私達の命を助けて下さいました。あなたがいなければ私達は一年前のあの日あの場所で命を失っていたでしょう。折角助けて頂いた命なのに、こんな事をしでかしてしまって申し訳ありません」


 頭を上げた眞彩さんの瞳に涙が浮かぶ。


「何て言えば・・・いいのか・・」


「三井兄様、無理しないで。声だすのも辛いんでしょ」


 しゃべり続ける三井さんを、吹雪さんが止めた。


「眞彩さん、いろいろと聞きたい事はありますが、あなたの兄達も含めて、手当てしなければならないので」


「そうですね」


 言った後に、彩耶さんはポケットから一枚の紙を取り出した。


「彩耶さん何を?」


「所長に連絡よ」


「連絡ってそれただの紙ですよね?」


「通信魔術ですね」


「そうよ、眞彩さん。やはりあなた方は、魔術についてある程度知識を持っているのね」


「魔術?」


「そう魔術、黒い襲撃者も久下兄弟のあの能力も魔術が絡んでいるわ。久下兄弟は、それだけではないようだけど」


「それじゃ眞彩さんも、何かの能力があるという事ですか?」


「そうなるわね。眞彩さん、あなたの能力を使えば、私達二人を倒す事も出来たんじゃないの?」


 そこで少し間があった。


「そうですね。出来たかもしれません」


「なら何故?」


「あの子達を起こしたくはありませんでした。それにこうなって、安心している自分がいます。もしかしたら、こうゆう結果になる事を、本当は心の何処かで望んでいたのかもしれません」


「・・・そう」


 それだけ言った彩耶さん。

 何かを囁くと紙に向かって話しはじめた。

 どうやら相手は所長のようだ。


「所長ですか? 彩耶です」


『そっちは終わったのか?』


「はい、何とか。全員満身創痍ですが」


『そうか。お疲れ様。こちらも粗方収拾はついた。すぐに医療班をそっちに行かせる』


「お願いします」


『それでどうだ、やはり魔術が絡んでいるのか?』


「はい。かなり高度な魔術です」


『目的はわからないが厄介だな』


「はい。報告は後日」


『わかった。また後で』


 そこでふと思い出したように、眞彩さんが言葉を発した。


「建物正面から見て右側に、安全に二階に上れる階段があります。そこを使ってください」


「所長、聞こえましたか?」


『聞こえた。ありがとうと言っといてくれ。そうだ、彩耶、元魏と娘達が心配してたぞ。連絡してやれ』


「わかりました。そうします」


 彩耶さんが何か囁くと、通信は終了したようだった。


「眞彩さん、所長がありがとうとの事です」


 少し微笑んだ眞彩さん。

 彩耶さんはまた違う紙をポケットから出す。

 一枚目はポケットにしまってから、何か囁いた。


「元魏さん、彩耶です。今大丈夫ですか?」


『彩耶、さすがに遅いから心配したぞ』


「ごめんなさい。とりあえず終了しました」


『そうか。わかった。伽耶と沙耶が逢いたがってるから、早く戻っておいで。ごめん、電話だ。ちょっと待ってくれ』


「はい」


 少しの時間、声が途切れた。


『俺達もそっちに向かう事になった。怪我人がいるのか?』


「はい。三井君が一番重症です」


『彼が? 一体どんな無茶な事をしたんだか? とりあえず急いでそっちに向かう』


「結界がありますので、注意して下さい。後建物正面から見て右側に、安全に二階に上がれる階段があるそうです。でも場所はわかるんですか?」


『由香さんから、所長に既に報告が上がっているからね』


「わかりました。出来るだけ早くお願いします。それでは」


 また何かを囁く彩耶さん。

 元魏さんとの通信を終えたようだ。

 その間誰も動くものはいなかった。


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1991年5月25日(土)PM:22:39 豊平区久下達の隠れ家三階


 階段から複数の足音が聞こえてくる。

 僕達が三階に行く前に倒した鬼人族(キジンゾク)。

 彩耶さんが戦った鬼人族(キジンゾク)達もいた。


 皆体の何処かしら抑えている。

 僕達と眞彩さんが一緒にいるのを見て、混乱しているようだ。

 それを見て取った眞彩さん。


「皆協力してくれてありがとう。でも負けてしまいました。ごめんなさい。彼らにはもう手出し無用です」


 一番手前の灰色の髪が、彼女に問いかける。


「よろしいのですか?」


「もういいんです。本当にごめんなさい」


「わかりました。負けちまったのは悔しいですが、眞彩さんがそうおっしゃるならば」


「あなた達と兄達の手当をしたいので、兄達を部屋の真ん中当たりに運んでいただけますか」


「わかりました。おまえら半分ついてこい」


 そうして階段側の長眞に六人。

 部屋の奥側の春眞に、六人に分かれて運び始める。

 運ぶのに六人もいらないとは思うが、突っ込むのはやめた。

 その間に、僕達に許可を求めた眞彩さん。

 奥の部屋に戻り、何かを手にまた戻ってきた。


 その手には大きめの救急箱。

 中から包帯などを取り出して僕達にも分けてくれた。

 吹雪さんと彩耶さんは、三井さんの血の染み込んだ包帯もどきを解いて手当てを始めた。

 眞彩さんは運ばれた春眞、長眞と他の鬼人族(キジンゾク)達の手当をしている。

 僕はただ見ているだけ、手当されるだけだった。


 敵対していた僕達と彼等が、一緒にいるのはなんか不思議な気分だ。

 何故こんな事をしでかしたのか、彼等には彼等なりの理由があるのかな?

 しばらくして、一通り手当てが終わった。

 僕は気になった事で、差し障りなさそうな内容のものを眞彩さんに聞いてみる。


「あの眞彩さん」


「はい」


「あれだけ凄い音を立てていたのに、眞彩さんは気付いていなかったようですが、何でですか?」


「奥の部屋は防音になっているようです。私達もここに住み始めてからしばらくは、気付きませんでした」


「それじゃ、あの赤子は眞彩さんの子供ですか?」


「はい、亞眞奈。私の子供です」


 眞彩さんはなんとも表現し難い表情をしている。

 僕がその表情の意味を知るのは後になってからだった。

 それからしばらく立って、元魏さん達が到着。

 疲労の極致にあった僕の意識はそこでフッと途切れた。

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