アウェイケニング:ACT2


EPISODE 024 「Awakening(目覚め) ACT:2」




 一人寂しく帰路に向かう涼子の影を、より大きな影が呑み、そして横切った。

 走って来たのは一台の、グレーの改造マイクロバスだった。それは涼子の歩いている道路の少し先で停車した。



 停車したバスから、スーツを着こんだ一人の男性が出てきた。長身でホスト風の若い男性だった。


 男は車を降りるなり涼子を見ると、いかにも馴れ馴れしく声をかけてきた。

「あ、こんにちは!」


 声をかけられた涼子が怪訝な表情を作った。いかにも知り合いといった風な声のかけ方だが、彼女はこんな人を知らない。


 胸騒ぎがした。レイから貰った”説明書き”の内容を彼女は思い出す。




……


…………




 ――茨城さん、君の友人と、そして君自身のために、この内容をよく読んで欲しい。あの冊子は、そのような書き出しで始まっていた。





 まだ君の友達の野原さんが、なぜこんな目に遭ったのか、誰が彼女をこんな目に遭わせたのか、それはまだわかっていない。だけど私達は気を付けるべき事がある。君の友達をこんな目に遭わせた奴らには、恐らく仲間がいる。



 そして彼らが茨城さんの事を狙う可能性は、正直言って高い。

 私の友人と一緒に調べている最中だが、その仲間がどんなヤツか、具体的な事はまだわからない。だけど、いくつか注意するべきものがある。



 要注意リスト1:大きな車。たとえばワゴン車やマイクロバス。人や荷物を運びやすく便利な分、誘拐事件などでも悪用されやすい。茨城さんの近くでが急にそうした車が停車したりしたら、黄色信号。



 要注意リスト2:突然声をかけてくる男性。知らない人なのに気さくに声をかけてくるスーツの若い男性などがいたら、特に危険。即赤信号。



 危険を感じたら、次のページに書いてあるようにすること――。


…………


……




 見慣れぬ大きな車と、突然声をかけてくる男性。レイのくれたマニュアルに沿うならば既に状況は赤信号――。見知らぬ男は手を振ってこちらに近寄って来る。涼子は男性と顔を合わせないように、緊張した顔で道を進む。


(どうしよう……。えっと、こういう時は……)


 こういう時はどうすればいい? 何を頼れば良い? 思考を巡らせた涼子は言いつけを思い出し、左手首につけた腕輪の内側にはめ込んである黒い宝石をグっと親指で押した。

 涼子は男性を無視して横に逸れ通り過ぎようとするが、涼子が横に逸れれば男性も横に動いて彼女の行く手を阻むように立ち塞がる。


「ねえねえ、無視しないでよ。オレ、別に怪しくなんかないしさ。君、かわいいね」

「あの……急いでるんで……」

 涼子はホスト風の男性をあしらって家路へ急ごうとする。


「奇遇だね。こっちも急いでる」

 男の横を通り過ぎようとする涼子の肩に、男性が手をかけた。その行いに涼子は生理的な恐怖を感じると、背筋を悪寒が駆け抜けた。



 涼子が逃げようとする。男は手に力を込める。肩にかけた涼子の通学カバンの紐をつかみ、奪い合いのような形になる。涼子も女子にしては多少力のあるほうだが、男の方が力は強い。


「やめてくださいっ」

 涼子が小さな声で拒絶の言葉を投げる。男は一向にそれに構わない。

「ちょっと落ち着いてよ。平気だって」

 男はそう言うが、涼子の心中は少しも平気ではなかった。



(どうしよう。こういう時……こういう時……!)


 抵抗する涼子の視界に、自らの通学カバンが映った。涼子は通学カバンにかけたキーホルダーを掴んだ。そうだ、これだ!



 キュキュキュキュキュキュキュキュキュキュ!!!


 涼子がキーホルダーのボタンを押すと、鳥の鳴き声を何倍にも高めたような甲高い音が一帯に響いた。防犯ブザー。あの日レイから受け取った荷物の中身の一つだ。



 書いてある事はそう多くなかったが、それでも涼子は、レイの作った説明書きを一生懸命読んで内容を覚えた。


 こういう時の対処も書いてあった。書いてあった内容。




 ――全力で逃げろ。



 涼子はカバンを諦め走り出す! しかしマイクロバスのドアから、窓からスーツ姿の男や緑の警備服を着た男たちが次々飛び出し現れる!



 逃げ出そうとするものの、涼子はあっという間に複数人の男に取り囲まれる格好となった。キュキュキュキュキュキュ……防犯ブザーの音はまだ鳴り続けている。

 その様子を目撃した一人の通りがかりの中年女性と、涼子の視線が合う。


「あ、あのっ、助けてください」

 涼子が女性に助けを求める。女性は携帯電話を取り出し、110番通報を行おうとする。そこへ一人の男性が歩み寄り、頭と首を掴み――


 ゴギリ。


 不快な音とともに、女性が目を剥いたまま地面へと伏せた。カシャン、と地面に落ちた携帯電話を、男が思い切り踏みつける。


「おい、それ止めろ」

 女性に凶行を振るった一人の男が、涼子を挟んで向かい側の男にアゴで指示した。

「あ、すみません」

 はじめに涼子を掴んだ男が、カバンからキーホルダーを乱暴に外す。ブザーはまださえずったままだ。



「……隊長、これどうやったら止まるんすか?」

「貸せ」


 向かいの男から投げられたキーホルダーを片手で取った男が、それをギュっと握りしめる。キーホルダー型防犯ブザーが、彼の握力に負けて一瞬にして砕けた。

 警報音が止まった。開いた手のひらから、壊れた電子部品やプラスチック片が零れ落ちる。


「こうすればいいだけだろ」

「アハハ……なるほど」

 最初のホスト風の男が苦笑いした。

「どうしてこんな簡単な事ができない」

「いやムリっす、自分、ただの追跡要員なんで」

 ホスト風の男は肩をすくめた。


「さて……お嬢さん、我々と一緒に来て貰おうか」

 凶行の男は、冷たい眼差しで涼子を見て、こう言った。

「……いやです」

 涼子は恐怖の表情を浮かべながらも、拒絶の意志を示した。


「意見は聞いてない。お前ら、捕獲しろ」

 凶行の男が冷たく言い放つと、同様にマイクロバスから降車した男たちを涼子へとけしかける。後から降りてきた者たちは緑色の警備服に身を包んでいる。その内の一人が強引に涼子の腕を掴む。



「いやっ、離して……」


 涼子は怯えた表情で彼らを拒むが、男たちは意に介そうとさえしない。彼女の脳裏をふと、中学時代受けたいじめの記憶と、その仕打ちを彼女に強いた人達の顔が駆け抜けた。




 ――――このままじゃダメだ。



 自覚した涼子は残る右手をブレザーのポケットに差し込むと、彼女の手のひらに収まるほのど小さな香水スプレーの瓶を取り出した。涼子がスプレーを相手に吹き付ける。


 スプレーをもろに浴びた男が、涼子を掴む手を離すと、ゲホゲホと咳き込み、涙を流しながらうずくまった。その威力に涼子自身も驚く。


「こいつ!」

「チ、催涙スプレーか」

 一見すると外見上は市販の女性向け香水スプレーでありながら、その正体は暴徒鎮圧用などに使われるものと同じ化学物質が含まれた本格的な催涙スプレー。これもレイがくれたアイテムの一つだ。



 次の男が遅いかかってくる。もう一度催涙スプレーを噴射。顔に浴びた男がその場で苦しそうにうずくまる。

 後ろからホスト風の男が涼子の首と腕を掴んだ。涼子が催涙スプレーを落とす。



「ごめんなさい!」「げふっ」


 涼子は左腕を前に出すと思い切り引き込み、左肘を男の腹部へと打ち込んだ。今はもうこの世にいない、親友に憧れて習った空手。ついに試合以外で使う日が来てしまうなんて、本気で考えた事はなかった。



 彼女を拘束する手が離れ、彼女が逃げ出す。正面に一人の男。掴もうとする手を左手で払い、そのまま体を半分沈み込ませるようにして、鳩尾みぞおちへの中段突きを深々と打ち込む。手ごたえ十分。


 涼子はその場で男に背を向けると、一回転するようにして後ろ回し蹴りを繰り出した。


「イヤーッ!」

 普段は比較的大人しく、声も小さめの涼子が吼えた。涼子の足が、中段突きのダメージで下がった男の頭部を綺麗に捉えた。




 師匠センセイから教わった事はきちんと守る。インパクトの瞬間、逆に怪我をしないよう足首に力を込め、衝撃に備える。


 ――後ろ回し蹴り命中。そのまま右足を引くようにして振り抜き、片足立ちの残心を決める。少女と侮った男が、鋭い刀のような一撃を受けて地に沈む。

 と同時にズン、と涼子が蹴り終えた右足を思い切り地面に降ろす。路上に土煙が小さく舞う。



「はぁ……はぁ……」


 空手の姿勢で構える涼子。構えは教本通り綺麗に決まっているが、恐怖と緊張で呼吸が整わず、蹴った右足がガクガクと震えていた。涼子の精神は既にパニック状態に陥っている。それでも本能だけで自然と動けたのは、日々の稽古で身体が動きをきちんと覚えていたからだ。



「最近のガキは運動能力が落ちてるって聞いてたが……」

 涼子の動きを見ていた凶行の男が言った。三人の仲間が倒されても、男は臆する事なく近づいてくると、涼子にこう言い放った。


「いいだろう。俺が少し遊んでやる」


 その男の名は、藤本 いさお。そこで咳き込み倒れている警備服の男たちも含めて、彼らをとりまとめるリーダー格の人物だ。



 涼子は構えたまま動かない。……いや、動けないといっても良い。緊張で足が震え、立っているのが精いっぱいだった。


「空手か、一発打ってこい」

 藤本は更に一歩進むと、涼子を挑発するようなことを口走った。

「……」

 涼子は答えない。チラリと歩道と車道を隔たるフェンスの先を見る。車は走って来ない。

「打たないならこっちからいくぞ」

 その時、涼子が横を向き、フェンスを飛び越えて逃げようとした。だが藤本が涼子の首を掴み、その逃亡を阻止した。



「誰が逃げて良いと言った」

 藤本の暴力的な目が涼子を震え上がらせた。



 半ば反射的に、涼子が藤本の顔面めがけて右の上段突きを放った。藤本はあえて、それを避けなかった。拳は藤本のアゴを捉えたはずだったのに、相手は避けず、拳も当たったのに、まるで手ごたえがなかった。


 拳は命中したが、藤本の首から上は微動だにもしない。まるで、大地に根を張った木を殴りつけたかのような、不気味なまでの手ごたえのなさ。

 涼子は一瞬だけ、自らの拳と相手の間に、拳の到達を阻む紫の薄い膜が見えたような気がした。


「……こんなもんか」

 退屈そうな声で藤本が吐き捨てると、その瞳を紫色に光らせた。

 直後バチバチ、と藤本の手から小さな閃光が発生。涼子の身体を電撃が駆け抜ける。一瞬にして視界がホワイトアウトし、彼女は意識を失った。



「さっさと連れてくぞ。おい、早く立て」

 藤本は意識を失った涼子を肩に背負うと、地面に伏せた仲間を蹴り上げる。


「こいつらどうします?」

 ホスト風の男は催涙スプレーを浴びてうずくまる二人を指さす。

「置いてけ、ババアの処理でもさせとく」

 藤本が容赦なく言った。


「ダットサイト、お前もだ。子供相手に油断しやがって」

「すいません隊長」

 ホスト風の男、ダットサイトが頭を下げた。


「他の車両と合流してとっとと運ぶぞ」

「はい」

 催涙スプレーを受けた二人を捨ててスーツと警備服の男たちはマイクロバスに乗り込むと、意識を失った涼子を連れ、どこかへと発進した。





EPISODE「Awakening(目覚め):ACT3」へ続く。



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