アウェイケニング:ACT1


- A Tear shines in the Darkness city. -



EPISODE 023 「Awakening(目覚め):ACT1」



 東京北部の裏路地は壮絶な戦場と化し……いや、今やもう、その地はただの墓場だった。ガレキが散らばり、硝煙と粉塵が混じって空気を汚し、血と肉が転がり……そして最後にただ一人の男だけが立っていた。



 敵対者の全てが死に絶え、戦場は死の静寂に包まれていた。




 ――やがて、静寂を破るツインローターのエンジン音が近づいてきた。テレパス経由の通信。

『”コウノトリ”よりファイアストームへ、現場に到着。付近に着陸できる良い場所がないためロープを降ろす』


 PSY(サイ)由来のステルス迷彩を解いて上空に現れたのは、以前のオレンジチーク処刑任務で乗って来たのとは違うタイプのヘリコプター。ツインローター式の大型輸送機で、愛称は【コウノトリ】。

 コウノトリの後部ハッチが開きロープが垂らされると、ファイアストームは荷物を持って速やかにコウノトリへと搭乗した。



 この機体のオリジナル機を開発したのはアメリカ合衆国の大手航空機会社。アメリカ軍内での呼び名はV-32。日本国内でも知名度高く、20年ほど近く前にアメリカ軍などで運用が開始され、今も紛争地帯の第一線で活躍するツインローターヘリ「オスプレイ」の後に開発されたモデルだ。


 特徴としてはあれよりも更に大型で、大出力で、タフ。大は小を兼ねるアメリカンな思想をそのまま反映したような作り。格納庫内は非常に広く、コウノトリは装甲車の一台ぐらいならその腹部に抱えたまま空を飛ばせるだけの大きな懐とパワーを持っている。



「こんにちは。ファイアストーム」

 搭乗し、荷物を降ろす彼をコウノトリ内で出迎えたのは一人の人物だった。髪型はフレンチボブにパーマをかけた茶髪、それと大きな丸メガネが印象的な女性。薄緑色のYシャツに、どこぞのファッションセンターで買って来たのかと思うような、白く地味なセーター。


 首もとには緩くネクタイを締めており、大きなメガネに似合わず顔つきは鋭く、いかにも冷静で知的な印象を受ける。ファイアストームは彼女の事を知っている。



 彼女のコードネームは【フラット】。ファイアストームと同じく、”組織”に属するエージェントにして、能力者の一人だ。

「フラット」

「今日は良い天気ね」

 抑揚のない声で彼女が言った。彼女なりの挨拶だ。

「今日が良い天気になるか、それはこれから次第だ」

 ファイアストームは答える。


「空の色の見え方が違っても、天気の見え方は変わらないわ」

「変わるさ、立ってる場所が変われば」

「少なくとも今、私達のいる場所は同じよ。何飲む?」



 フラットは自身が椅子代わりにしてたクーラーボックスから腰を上げると、蓋を開けた。中には消毒用にも使えるミネラルウォーターやアルコールのほか、スポーツドリンク、ジュース類、栄養補給用のゼリーなどが入っている。

「チェリーコークを」


 ファイアストームが飲み物を指定する。このクーラーボックスは彼が要求した積載要望荷物の中に含まれているものだ。ゆえにランナップも彼は知っている。


「ごめんなさい。それ、今飲み終わった所」

 だが、フラットはそう答えると、座席脇に置かれた空き缶の方に手を向けた。

「……遅かったか」

「おいしそうだったから」


「……普通の水と、ココナッツウォーターを」

「ラッキーね。それ、まだ飲んでないの」

 フラットは紙コップにミネラルウォーターを少量注ぐと、それをファイアストームに直接手渡す。彼は埃と血の混じった口内を水ですすぎ、機体の隅へと吐き捨てる。


 操縦席へ向かうファイアストームに、フラットはクーラーボックスからジュースの入った500ミリペットボトルを取り出し、彼へと投げた。ファイアストームが片手で受け取る。

 ボトルのキャップを開けジュースを喉に流し込むと、ファイアストームが操縦士に声をかける。


「急に来て貰ってすまないな」

「このまま本部に帰投すればいいのか?」

 操縦士が尋ねる。



「いや、だがとりあえずは横浜方面に向けて飛ばしてくれ。細かい指示はミラ36号がするから、それに従ってくれるか」

「了解」


 操縦士との会話を終えたファイアストームが戻って来る。フラットがウェットタオルを投げつけると、ジュース片手にそれを受け取り、汚れた顔を拭く。


「今日は本部に居たのか?」

「私は基本的に本部に住んでるから。住みやすいしね」

「それでコウノトリの護衛か」

「まあそんなところ。丈一郎さんが「コウノトリの護衛がてら様子を見て来い」って命令したから」

「すまないな」


 ファイアストームは血と埃を拭きとったタオルを壁かけの小型ダストシュートに捨て、それからブリーフケースへと歩む。

 フラットは再度クーラーボックスの上に腰かけ、出掛け前に行っていたとおぼしきスマートフォンのパズルゲームアプリを再開させる。


「べつにいいわ。今日も暇でずっとパズルしてたし。その様子だとサイキッカーでも居たの」

 フラットがファイアストームの姿を一瞥する。彼の紺のスーツと白いYシャツは血と埃で汚れきっている。彼がブリーフケースのチャックを開けると、中からソフィアの白いドローンが現れ、ファイアストームに飛びついた。


「1対4、サイキッカーは二人いた」

「あなたにしては控えめな人数差ね。相手は誰だったの」


「さあな。まだ正体不明だ。後で調べあげはするが、まあ……”西だった”連中の残党でない事は確かだ」


「そう。わかったら教えてね」


『レイレイ……無事で良かった』

 ソフィアのドローンは、ファイアストームに正面から抱き着き、張り付くように触手をくっつけている。オレンジの光が上目遣いにレイを見上げる。レイが優しく彼女のドローンを右手で撫でた。

「よくじっとしててくれた」

『言ったでしょ。レイレイのためなら何でもするって』



「ソフィア、さっきはすまなかった」

『ううん、いいの。……レイレイ、怪我してる』

 ソフィアのドローンが高度をレイの頭の高さまで上げると、「36」の数字が刻印されたドローンが細い触手を伸ばし、彼の頬の傷をそっと撫でた。

「たいしたダメージじゃない」


 ファイアストームが左腕の義手を外し、脱落させる。【レイジング・ゲアフォウル】、あくまで保険代わりに持ってきた代物だが、持ってきて正解だった。

 予定よりも少々激しく不測の事もあったが、戦闘によって壊れる事も無かった。正直このまま装着したままでも良さそうだったが、同種のスペア・アームを積載荷物として指定していたため、今が交換時。さっそくファイアストームは予備の【レイジング・ゲアフォウル】の装着を開始する。


「ソフィア。それでどうだ」

『GPS追跡中。もう学校を出たよ。想定された下校ルート上にいます』

 ソフィアはドローンを遠隔操作しつつ、ファイアストームらの現在地より離れた所から、PCモニター上の情報を注意深く監視する。



「よし、そのまま監視を続けろ。今日が最初の大きな峠になる」

『わかりまし……アアっ!』

 ファイアストームからの指示を承諾しかけたその時、ソフィアが奇声をあげた。


「どうした」

 ファイアストームが尋ねると、彼女は答えた。


『よくないです。対象による【星屑ほしくずの腕輪】の作動を確認……ファイアストーム。あなたの読みが当たっちゃったみたい……』

「あまり当たって欲しくない読みではあったがな……。ミラ、GPS情報の追跡を継続と、操縦士へのナビを」

『了解』


「これで終わりじゃないの」

 フラットが抑揚ない声で訊いた。ファイアストームはスペアアームへの換装を完了させ、Yシャツのボタンを留めなおしている。


「いや、ここからが正念場だ」

 答えるファイアストームの顔つきは険しかった。

 ――先ほどの戦いは、これから続く地獄の戦いの、その中でもっとも軽い前哨戦に過ぎない。もっと悪い事はこれから起こる、経験から彼はそれを自覚していた。



「よかったら、私も手伝うわよ」

 するとフラットはそう申し出た。彼女はファイアストームと目を合わせず、パズルゲームに意識を割いている。彼女のスマートフォンの右上には15:42の時刻表示。


「フラット、これはお前の仕事じゃない」

「別にトレーニングの一環よ。それにあなたすぐ暴れるから、日中は私が居た方が後処理が楽よ。合理性は大事でしょ」



 ☘



 ホームルームの終わった直後の教室、期末試験の準備のために担任教師が教室から退室し、クラスメイトたちも帰路につく者、部活に向かう者など、それぞれの生徒がそれぞれの行き先を目指して分かれてゆく。

 期末試験前だからか、それどもあの事件があったせいか、教室に居残ったまま携帯ゲームやマンガを取り出して遊ぼうという生徒はいない。


 茨城 涼子が教室の後ろを見た。……机の一つに置かれた花瓶。彼女レナに似合わない陰気な菊の花が、一輪。



 日はまだ高い。涼子がスマートフォンをポケットから取り出すと、一件のメッセージを受信していた。送信者……坂本 レイ。

 「今日は寄り道をせず、真っすぐ帰宅して下さい。下校時も必ず腕輪を着用してくださいね」との内容。


 メッセージ送信時刻は15時14分。20分ほど前のことだ。涼子は彼からのメッセージを読むと、カバンから銀色のブレスレットを取り出す。



 それは不思議な材質の、不思議なブレスレットだった。金属製のブレスレットのような触り心地でありながら、金属特有の冷たさは感じず、腕にはめると手首のサイズに合わせて縮み、腕と一つになったかのようにフィットする。



 銀色のブレスレットには、涼子は読めないどころか、その文字の名すら知らないような奇妙な文字――サンスクリットという言語の文字列が細かく薄金色に刻まれており、光に当てるとその文字がうっすらと浮かび上がる。無論、涼子には読めないが。


 それとブレスレットの表側には小さな青い宝石、裏側にも白と黒の宝石が埋め込まれている。涼子にはその腕輪の正しい価値はわからないが、腕輪の装飾などを見ても安物でないことぐらいは一応わかる。


 異性経験も交際経験も一切ない涼子だ。ゆえに、このブレスレットは何か交際相手から貰ったとか、一晩と引き換えに誰かから貰ったとか、そのような類のものでは一切ない。




 ――この腕輪にまつわるエピソードは数日前にさかのぼる。レイと横浜で再会し、公園で彼の調査中間報告を受けたあの日、涼子はひとつのアタッシュケースを受け取り、持ち帰った。


 涼子はレイが望んだ通り、もしくはそれ以上に律儀で真面目な少女だった。


 家に帰るまで絶対に開けてはならない。という彼の言いつけを涼子はきちんと守り、自宅までケースを持ち帰った後、彼からコミュニケーションアプリ経由でカギの開錠番号を教えて貰った。



 ケースの中には今回の事件の調査資料などが入っていた。そしてその中に一つ、この呪文のような文字が細かく刻まれた銀色の腕輪が、説明書きと一緒に収められていた。


 腕輪の名前は【星屑ほしくずの腕輪】。そう説明書きに書いてあった。説明書きはもう捨ててしまったが。



 ……別に彼女がそうしたかったわけではない。説明書きに「読み終わったら破いて半分を自宅、半分をコンビニのゴミ箱に入れて処分(破き方はシュレッダーが理想)」と書いてあったから、そうしたまでに過ぎない。


 シュレッダーは流石になかったが、残り半分を近くのコンビニのゴミ箱に、ファミリーチキンを食べ終わったあとのゴミと一緒に放り込んで帰って来るところまでは言いつけ通り実行した。



 レイの作った調査報告を自宅で念入りに読んだが、あまりにショックな内容だった。だが、「成果に過度の期待はしないで欲しいと」渡されたその内容はとても詳細で、法律業務や相談業務・個人契約などにうとい高校一年生の少女にも調査報告書の理解がしやすいように、あちこちに付箋ふせん注釈ちゅうしゃく、わかりやすい言葉で簡潔にまとめた「補足資料および簡易版」なる冊子までもが付属しており、几帳面かつ親切というほかなかった。



 完了後の事を置いても調査依頼の前金および契約料はたったの三万円。にも関わらず彼の生真面目さと熱意は相当のもので、レイに調査の大部分、調査の費用コストまでもを依存している現状で、涼子ができることといえば、せめて彼を裏切らないように、彼の言いつけをきちんと一つ一つ、できる範囲で聞くことぐらいだった。



 微力びりきであると涼子は思っているが、それがレイ本人にとってはどれほど感謝に値することかなど、本人は知る由もない。


 学校内では教師やクラスメイトの目、そして「校則」という、少年少女の未来を人質にとった一方的な強制ルールがあるために外してはいるが、それ以外は例え下校時であっても逐一この腕輪を装着しておくことを、涼子は徹底している。それが、レイの言いつけだから。



 この腕輪が何なのかは涼子にはまったくわからない。この腕輪をつけておくことに、どんな意味があるのだろう。涼子には皆目見当がつかない。だが、自分と、そして彼にとっては見ず知らずの、でも涼子にとっては世界で唯一無二の親友である麗菜のため、調査を引き受けてくれる彼を裏切ることなど出来ない。人として一番大切なことだけはわかっていた。




 涼子は学校を出ると今日も一人帰り道を往く。学生服の上からコートを着てはいるが、この時期はとても冷える。だがそれ以上に冷えるのは彼女の心だった。どうしてここには一つの影しかないだろう。一緒に帰り道を歩いた親友の事がとても恋しい。でも麗菜はもう戻らない。その事実が日々彼女の心を苦しめ続ける。


 ――その時、涼子の影を覆い尽くす、より大きな影が通過した。


 そして一台の、グレーのマイクロバスが彼女の帰路を阻むように立ち塞がった。




EPISODE「Awakening(目覚め):ACT2」へ続く。


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