開戦(オープン・ファイア):ACT2

-あらすじ


 探偵の坂本 レイは涼子から、彼女の親友の自殺事件に関する調査を依頼される。

 レイは、若く金銭も持ち合わせていない涼子がビジネスパートナーとして信頼に値する相手か悩むが、涼子の誠実さに打たれ、彼女の依頼を受ける事に決めた。

 レイは情報屋のクロウラーから警察からの横流し資料を買い取るが、その中には常軌を逸した、おぞましい情報が記されていた。

 レイは調査を続行し、調査中の自殺事件に同じく巻き込まれたとみられる少女たちの情報を集める。


 だが、闇の中に潜む怪物は彼女たちの存在を見逃さなかった。


 際限のなき怪物ニンゲンの悪意が、その牙を剥こうとしていた――。



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EPISODE 019 「オープン・ファイア:ACT2」



 大学への調査に赴いてから数日後、東京都北部。オフィスエリアのビルやコンビニエンスストアなどの建物に囲まれるようにして存ずるのは、一軒のチェーン系コーヒーショップ。


 もう時間的にお昼時は過ぎているが、近くにオフィスビルが複数あるせいか、客足が絶える事はない。スーツを着たオフィスレディの二人組、参考書を読みふけるフリーターの男性、一人イヤホンをタブレットPCに繋いでテレビアニメを鑑賞する中年男性。



 ――そして奥の小さなテーブル席に一人座り、ノートパソコンのキーを叩く男性。縦縞の入った紺色のスーツに、青紫のネクタイ。背は低く、髪も結構な割合の白髪が目立つが、顔は若い。男が右腕にはめたデジタル腕時計の時刻を見る。時刻は14時42分を示している。


 彼が卓上に載せたノートPCは、アプリケーションを動作させている最中だ。百目(ヒャクメ)と書かれたソフトウェア。アプリケーションはクリック可能箇所などにところどころ大陸の中国語が書かれており、そのソフトウェアが中国人の作であることを匂わせる。



 アプリケーションの下部にはそれの作動状態を表示させる簡素な白背景のダイアログボックス。そのダイアログボックスでは目では追い切れないほどの速さでアプリケーションの作動状況を伝えるログが駆け抜け、次々現れる新たなログがさらに覆いかぶさってゆく……。



 男がコーヒーを少し飲み、またパソコンの脇に置く。

『レイレイ、進捗はどう?』

 男の頭に響くのは、まだ十台後半といったところか、若い女性の声。

「周辺の通信量が多い。かなり重いな」


 レイがパソコンの状態を見て顔をしかめる。パソコンは凄まじい勢いでガリガリと音を立てており、今にも絶叫と共に果ててしまいそうにさえ思える。


「ソフィア、周辺状況は」

『ネガティブ。今の所異常は見受けられません』

「引き続き周辺警戒を頼む」

『オーケー。 でもいいの? ここからじゃあんまりよく見えない』


 ソフィアのドローンが居るのは、レイが居るコーヒーショップの屋上だ。「81」の数字が刻まれたソフトボールほどのサイズの、卵状の白いドローンはボディを半分ほど姿を出し、店の前側と側面を監視している。


「いや、下手に動くな。特に正面のビルには警戒しろ。危ないとお前が判断したら正面は捨てても良い。側面だけでも十分守れる」

 いつも真面目なレイの声だが、今日は輪をかけたように真面目だ。こういう時は、彼女もあまりふざけないように心掛けている。


『うん』


 ドローンの中心のオレンジの淡い光が、正面から側面へと動く。


「早期に出さなきゃいけない手札カードこそ、レイズするギリギリまでは伏せておきたい」

 レイはポーカーに例えるようにして言った。


『わかったよレイレイ。でも死角ばっかりだし、低くて見晴らし悪いし、ここ退屈……』

 この場所は高さも低く、死角だらけで見晴らしは悪い。ソフィアが声のトーンを下げて不満を漏らした。


「悪いなソフィア。落ち着いたら今度一緒に映画観に行こう」

『ほんと!? 映画いきたい! 約束よ!』

 ソフィアの声のトーンが戻り、とても嬉しそうな様子がレイにも伝わって来る。レイはクスリと微笑む。

「ああ、映画今何やってるか、帰ったら調べよう」



 ☘


「――目標は?」

「まだ店を出てきていません」


 ノートパソコンを見ながら男は答える。映されているのはカフェの向かいの建物入口に設置された監視カメラ。解像度と角度が若干悪く、向かいのカフェの出入り口ぐらいは見えるが、その先まではわからない。


「もう、一時間近くになりますね」

 男が腕時計を見る。左腕にはめた腕時計の時刻は15時を示している。


「退店を見逃した。なんてことないだろうな?」

「かもしれません。……でも微弱ですが、何らかの電波がまだ発信されています」

 男の一人がパソコンの情報を見ながら答えた。


「何の電波だ? ソイツは通信電波なのか?」

「わかりません。ただ、男の入店直後からです」

「……」

「もう少し接近しますか」



「相手は新聞記者か何かの類だと聞いてる。感づかれるかもしれん」

「待ちますか」

「……いや、いかり、ターゲットがいるか軽くでいい、見て来い」

「了解」


 碇と呼ばれた男が返事すると、車のドアに手をかけ、車外へと出た。そのままグレーのワゴン車を背にして、碇は歩き出した。

 碇は対象の建物から少し離れて影となるような場所にあるコンビニの駐車場を離れ、信号を渡りカフェの向かい側の道路へ渡ると、そのまま真っすぐ道を歩く。


 ☘



 カフェ店内のレイは右腕の時計を見た。時刻は15時07分。そろそろ店に入って一時間になる。


 レイがこのカフェに来たのには相応の理由がある。この店の向かい側には七階建てのオフィスビルが建っているが、その階の一つにアイドル事務所が入っている。いわゆる水着ビデオなどを売り出してるグラビアアイドルの小さな事務所だ。


 レイはその事務所に関する手がかりを得ようとしていた。しかし直接建物内部に乗り込むわけにもいかないため、彼は一つの方法を取った。


 事務所関係者や、それらの情報を持つ人間が出入りするであろう向かいのカフェに入り、そこで通信傍受用のハッキングソフト「百目(ヒャクメ)」を起動させた。無論情報収集のためだ。

 卓上のノートパソコンは熱を放ち、冷却ファンは唸りをあげ、ハードディスクからはガリガリと音を立て続ける。


「ハイエンドモデルでこのザマか」

 レイがPCのバッテリー残量を確認する。わずか一時間の間に残量はほぼ三割といったところだ。

『それ、結構高かったのにね』



 大学の時はタブレットでも何とか持ちこたえてくれたが、大学は教室のいたる所に個人用のバッテリー充電器があり、講義中の通信負荷もそれほど重くはなかった。


「やはり、周辺オフィスで動かしてるPCの動作がこっちのマシンパワーに逆干渉を起こしてる。……有用なデータを取れていれば良いんだが」



『またあの義手……「セージ・オブ・オウル」付けて来れば良かったのに。あれについてる指向性集音装置があればもっと楽でしょ?』


 ソフィアが言った。彼女の言う通りだ。この間の大学への潜入で用いた「セージ・オブ・オウル」の義手があれば、あれに内臓された指向性集音装置でカフェのフロアの会話内容をまるごとカバーできたところだっただろう。


 だがレイは、今日はそれを持ってきていない。左腕につけているのも別の義手だ。


「そうなんだが……このエリアは既に危険域だ。ギリギリ最低限の備えは必要になる。特にこういう時期は」

『ベテランのカン?』

「そうだ」

(だが今日は……そろそろ潮時か)


 レイがPCに表示された時刻表示を見る。時刻は15時11分。百目を停止させ、PCのシャットダウンを開始する。そろそろ撤収する頃合いだ。


 その時、ソフィアの呼ぶ声が頭に響いた。

『レイレイ……』


「ソフィア? どうした?」

 ソフィアの声はいつもより小さい。レイが不審に思い聞き返す。





『すごく、よくない』

 いつもの明るく楽し気な彼女の声はそこにはない。彼女のその一言を聞いた時、レイは全てを察した。彼の心臓がドクン、と高鳴る。




「ついに来たか……全部で何人だ」



『見えるのは一人。右耳にインカム。黒いスーツで手ぶら』

「なら、何人か仲間が近くに居るな……。ソフィア、ドローン81(エイティ・ワン)をすぐに隠せ。お前も危険だ。絶対に見つかるな」



『わかった……レイレイはどうするの』

「おびき出して、叩く。ソフィア、81(エイティ・ワン)はその場で待機。周辺で良い場所を探してくれるか。急ぎだ」


『うん、すぐにやるね。……レイレイ、死なないで』


「バカだな」


 レイはノートパソコンを折りたたむと、相棒の不安が和らいでくれるようにと、微かな笑みを作った。

「俺が死んだことが一度でもあったか?」

『007(ダブルオーセブン)は二度死ぬのよ。……油断しないで』




 ☘




 店の向かいまで歩いてきた碇が、向かいの店内を見る。紺色のスーツの男が見えた。目標はまだ中に居る。右耳のインカムに手を当て、少し離れた車内に向けて報告を行う。


「目標を確認、まだ店内に居ます」

「よし、そのまま真っすぐ進め。直接は戻って来るな。回り道して帰って来い」

「了解」


 碇が時計を見る。時刻は15時13分になったところだ。彼はそのまま指示通り、大通りを真っすぐ進む。しばらく歩き続けたところで、中年男の声がインカムに聞こえた。



「碇、聞こえるか?」

「聞こえてます」



「命令変更だ。目標が店を出た。そのままUターンして尾行しろ」

「ひょっとしてバレましたか?」

「記者とはいえ所詮は常人の素人だ。バレたとは思わないが、逃がすな」

「了解です」

 碇は答えるとその場で反転し、紺スーツの男の追跡に入った。





『次の信号を右に、その後一時停止。左手の信号を渡ってください』

「追いつかれないか」

『青信号まであと14秒。間に合います』


 ソフィアが言ってから、きっかり十四秒後、交差点の信号の色が青に変わった。レイは横断歩道を歩いて渡る。ソフィアは衛星情報と交通システムの両方にアクセスし、レイに指示を行う。レイを黒スーツの男が早歩きで追う。



『右折、そのまま200メートル直進してください』

「追って来たか。それにしても……予測よりもこっちを補足するのが早い」


 レイが呟くように言った。涼子はともかく、レイはこの日の覚悟は出来ていた。備えも進めていた。迎え撃てる。



 ――だが、早い。今日の展開はレイの想定では最速でもあと一週間は先の出来事のはずだった。敵の対応が早すぎる。まさか「敵」も備えていたのか? それとも、急ぐ理由がある? あるいは出来た? 尾行してくる黒スーツの男に警戒を払いながらも、レイは色々思案する。



『どこからか情報が漏れた。初めから依頼人がマークされていた。相手に情報戦・電子戦のノウハウがあり、行動を読まれた。複数回答は認められます』


「いずれにしても厄介だ」

 レイは後方から向かってくる人の気配を感じる。まだ確認できるのは一人。



『レイレイ、そろそろドローン81番が通信可能限界、どうしよう』

「81番|はそのまま隠して動かすな。ドローン36番でナビを続けろ」

『了解。次の路地を左に入って。多分その先が最小限の人的被害で済むとおもう』

「わかった。ソフィア、ありがとう」



『ううん、レイレイのためなら、私なんでもする。……レイレイ、私もこの先を手伝いたい』

 ソフィアはそう申し出たが、レイは堅い表情で彼女の申し出を拒んだ。


「ダメだ。ここではドローンを一機たりとも失うわけにはいかない。この先の地獄、本当にお前が必要になる時が来る。ここは俺一人で全て叩く」



『でも……』

 いくら最低限の備えはあるといっても、本当に最低限、極めて軽装。加えて今の彼は……。レイをソフィアが心配する。


「だめだ”ミラ”。36番も待機して潜め。危険だ」

『……承知しました』

(わかってるのレイレイ。あなたはその”危険”を一人で背負おうとしているのよ……)



 レイの拒絶を受けたソフィアの表情をうかがい知ることは、レイにはできない。だが「ミラ」の暗い声を聴くと、彼の冷え切った心さえも罪悪感によって締め付けられた。



(……すまない、ソフィア)

 レイの後方からグレーのワゴン車が向かってくる。向かってくる車のエンジン音を彼は聞いた。



(来たな……この音、けいではない。一台だけ。多く見積もっても十人は超えない……この装備でも多分……やれるな)


 レイが路地へと入る。碇も続けて入る。ワゴン車も道路脇に停車し、そこから三人の男が現れた。

(全部で四人か……)

 レイはそのまま進み、やがて広さの取れた裏路地の突き当りに辿り着いた。レイの行く手をコンクリートのビルと壁とが阻む。


「ミラ、緊急コールだ。ロッジHQに繋げ」

『了解、今すぐ繋ぐね。……レイレイ、私、信じてるから……』

「ソフィア……ありがとう」



 その後ろに一人、二人、三人、四人……四人の男たちが追いつき、退路を塞ぐように立ちはだかる。三人は黒スーツ。一人は大柄な男。緑色の警備ズボンに、この厳冬の時期だというのに白の半袖Tシャツを上に一枚だけ。




 レイの目に映る景色が歪む。レイの目にはコンクリートの灰色の壁が真っ赤に染まって見えた。


 火の粉があたりに舞う。レイの足元に転がる焼けた頭蓋骨。半分ほど黒く焼け焦げた骸骨が、彼を後ろから抱きしめ、ケタケタと骨を鳴らしわらう。




 真っ赤に染まったコンクリートの壁に炎が奔り、文字が浮かび上がる。


 また沢山死ぬね

 ぜんぶあなたのせい

 あなたの引き金が全てを壊す




 そして正面に大きく浮かび上がる、オレンジの火をまだ宿した、焼け跡のような文字


 「あなたは争いと不幸を呼ぶ存在」





 ――黙れ。

 今度こそ、俺は救ってみせる。

 例えその為にどれだけ争いを産み、どれだけの屍を築く事になったとしても。

 俺は――。




 レイは右手でスーツの前ボタンを外し、それから首元をきつくしていたネクタイを少しだけ緩め、シャツの第一ボタンを外す。


 ブリーフケースを足元に置き、彼がもう一度突き当りの壁を向いた時、もう彼の足元の頭蓋骨や、彼を抱きしめる骸の姿はレイには見えず、コンクリート壁の色はグレーに戻り、その壁に描かれているのも、スプレーによる英語の落書きでしかなかった。


「捕まえたぞ」

「そこのあなた、ちょっといいかな……」


 体格の良い警備ズボンの男が呼び止めるようにレイに声をかけた。後ろのスーツの男たち三人が、懐に手を伸ばす。


 レイが左手にはめた人工皮膚手袋を静かに外し、ポケットに押し込んだ。隠していた漆黒の機械の左手を軽く握りしめる。



「良いとも。用件はわかっている……」

 レイは背を向けたまま呼びかけに応える。




 だが、お前たちは勘違いしている。自分たちは”処理”する側だと。しかし――


「今ならまだ、貴様らの狼藉ろうぜきを見逃してやらんこともない。だが、来るというのなら……」


 ――お前たちは”処理”される側の存在だ。


「目をえぐられ、手足をもがれ、生きたまま内臓を引きずり出されることになっても……命乞いをしないつもりでいるのならば、かかってこい……」




 俺の名はファイアストーム。炎の嵐となって荒れ狂い、貴様らのけがれた命を焼き尽くす。




EPISODE「オープン・ファイア ACT:3」へ続く。

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