第四節 - 開戦 -

開戦(オープン・ファイア):ACT1


A Tear shines in the Darkness city.

 ‐ Fire in the Rain ‐  (邦題:雨の中の灯火)




第四節 【開戦】



EPISODE 018 「オープン・ファイア ACT:1」



 レイが大学への潜入調査を行ってから二日後、横浜東部の公園で二人は会う事になった。公園には子供の姿などなく、犬の散歩中の主婦が一人二人見えるだけだ。



 二人が出会ったのは、涼子が依頼した調査の中間報告のためだ。涼子は学校帰りのため制服姿、レイは紺のスーツの上に灰色のコートを羽織った格好だ。

 ついこの間、大学の自治を侵してまで潜入した際に染めたレイの髪の色は既に戻っており、またいつもの白髪交じりの黒髪だった。



 公園のベンチに並んで座る。手の痛くなるような寒さの中で、お互いの手に握られたコンビニのホットコーヒーだけがただ一つの温もりだった。



「あの、今日はありがとうございます」

 涼子が隣に座る探偵を見て軽く頭を下げる。

「礼を言うのは私の方だよ。どうしても直接報告する必要があった」



「あの、それで……何かわかりましたか」

 涼子が尋ねた。最初に来るとわかっていた質問でありながらも、レイには内心、その質問に答えずに済むならばという気持ちもある。


 涼子とは目を合わせないまま、レイはこう答えた。

「ああ。だけど聞くのがかなり辛い内容になると思う。聞いたら君は確実に後悔する。……そういう話はあえて聞かないって選択肢もある。どうする」

「……全部教えてください。知らなかったら私、前に進めません」


 これから自らが出そうとしている回答は、まだ十六歳の少女にはあまりにも過酷で、残酷すぎる。


 彼の問いかけは、レイが彼女に与えられたせめてもの選択肢ではあった。だが涼子はその選択肢を受け取らなかった。彼女は踏みとどまらなかった。

 レイは観念したように目を閉じると、カバンからクリアバインダーを取り出し、ページを開いた。


「わかった。……結論から言うと、茨城さんの友達の野原さんは、自殺なんかじゃない。……十中八九他殺だ」

「そんな……!」


 レイの口から語られた衝撃的な内容に涼子は絶句し、口を両手で覆う。

 涼子の姿を横目に見る。レイは無言でコーヒーを口にする。公園から散歩中の犬の鳴き声が聞こえる。


「……茨城さん、友達のお葬式には」

 沈黙を割ってレイが尋ねる。涼子はまだ口を抑え、うつむいている。



「……出ました」



「棺の中は見たかい……?」

 レイがそう続けて尋ねた時、涼子の脳内でフラッシュバックが起こった。




 ――あれは、雨の降る日曜日の朝。

 黒い傘


 麗菜の家。


 憔悴しきった麗菜の母。



 まるで他人のように無言で、目さえ合わせない麗菜の彼氏。


 



 和室に置かれた祭壇、線香、その向こうに置かれた……白い棺。


 「これよりご焼香となりますが、まこと恐縮ではございますが、ご故人の棺の蓋に手をかける事は、ご遠慮くださるよう――」





「……いいえ……。……見せて、もらえませんでした……」

 涼子は絞り出すような声で答えた。


「出来るだけソフトに言うけど……。友達のご遺体には「素人が見てもこれは自殺なはずがない」。そうわかるような傷があった」


「どうして……」

 涼子はまだうつむいたままだ。その姿をレイは心配した。



「辛い時は我慢しない方が良い。報告もまた次の機会だって良い」

「……大丈夫です」

 そう言うと、涼子は体を起こす。


(強い子だ。……でも)

「強くなんか、なる必要ない」

 レイが言ったが、涼子はそれを拒絶するようなそぶりを見せる。


「まだ平気です。……続けてください」

 深く深呼吸すると彼女はそう答えた。


 レイは調査報告を再開する。

「……わかった。この事件には続きがある……被害者は一人じゃない」

「どういうことですか……?」


「そのままの意味だ。事件を調べたら、君の友達の見つかった場所で、同時刻に、複数の遺体が発見されてる事がわかった。被害者は全員女性。全員、表向きは”自殺”ということで処理されている」


 レイがクリアバインダーのページをめくる。レイが徹夜で作った今回の事件の調査報告書で、”自殺現場”とされている場所のこと、同日同場所で”自殺”と処理された遺体の内、素性のわかった少女の生前の写真や年齢・職業が記されている。直接的な遺体の写真などショッキングすぎるものについては報告書からは省かれていた。


「あの……坂本さん。その子たちも誰かに、殺されたって……こと……ですか」


「理解が早い。……その通りだ。茨城さん、今のうちに忠告しておくけど……この事は誰にも言っちゃダメだ。友達にも、家族や遺族にも……警察にもだ」


 レイは険しい表情を浮かべると、涼子にそのように忠告を行った。


「警察にも……ですか?」

「そうだ」

 レイは肯定した。

「どこからどう見ても他殺の事件が、事故・自殺・行方不明になるということ……。可能性は大きくわけて二つだ。警察の手に負えない事件か、もしくは……警察そのものが犯人に抱き込まれてる……仲良しってことだ」


 状況は、レイにとってすら当初想定していたものより悪かった。事件現場から出そろった人体パーツは七体分。ただDNAがバラバラだったり、共通して行方不明な胴体以外にも、頭部だけないとか片手だけがないとか、そういうものもある。



 更に悪い事に、警察はそれ以上の調査を打ち切っている。身元のわかった麗菜をはじめとする三人の少女は、犠牲者の中でも治療痕や他の遺留品が発見されたお陰とか、家族側から捜索願があらかじめ出ていたなどの理由で「たまたま」身元が判明しただけに過ぎない。


 この上ない皮肉だが、この三人は「”犠牲者の中では”運が良かった」のである。だがそんな事、例えレイの口からでもどのように言えようか。



「そんな……どうしたら……」

「茨城さんよく聞いてくれ。……私はこの事件、安全を考慮するならば、ここで調査を打ち切るべきだと考えてる。これ以上詳しい死因や犯人を調べても、警察は取り合ってくれないだろう。何より危険だ」



「もう、これ以上調べることが、できないって、そういうこと……ですか……?」

 動揺する涼子へと、レイがややためらいがちに告げた内容は、優しくも非情だった。


「出来ないとはいってない。だが、そうすべきだと、私は考えてる。探偵といっても漫画やドラマとは違う。捜査権は持ってないし、逮捕権も持ってない。ちょっと調べものが上手で、そういう道具も少し持ってるだけの一般市民だ」

「似たような事……この間も言われた気がします」



 探偵はフィクションで描かれる存在とは違う。涼子がそんな話を聞かされるのは二度目だ。そしてその度に、がっかりしてきた。


「笠原さんのとこか。確かに……言いそうだ」

 レイが鼻を軽く鳴らし、自嘲気味に言った。


「私も余り好きな論調じゃないけどな。……だが、もし真相に辿り着いて犯人がわかっても、警察は相手にしちゃくれない。裁判所も同じだ。この国の警察がさじを投げたら、裁判官も一緒になってさじを投げる。この国は、そういう主義なんだ」



 レイは厳しい口調で続ける。

「仮に犯人がわかっても、法律で裁けないぞ。あるいはこれ以上調べる事で、逆に君が逮捕されたり、口封じで危害を加えられたりするかもしれない。それぐらい危険だ。もしもそうなった時、ただの相談屋で、探偵で、代書だいしょ屋の私には……君の未来と、君の命の責任までは取れない」


 そう言うと涼子は気を落とし、だんまりとうつむいてしまった。



 涼子は何を言おうか、一生懸命言葉を探した。探して探して、やがてぽつりと

「……あの、アクセサリーは、見つかりましたか」

 そう尋ねた。


 レイは、こう答えた。

「いや。遺留品の中に君が探しているものはなかった。遺族にも渡っていない。私も夜中に現場に行って、金属探知機で公園内を探したが、やはりなかった」

「そうですか……」

 涼子がコーヒーを一口、口に運ぶ。



 彼女は、たどたどしい口調で、自分の気持ちを話し始めた。

「あの……色々聞かされて、まだちょっと実感わかなくて、ちょっとショックで……。でも、レナちゃん、凄い声優のお仕事頑張ってて……レナちゃんの未来と、命が、どうして奪われちゃったのか……」

「わかるよ」



「わたしは……どうしてこうなっちゃったのか、ちゃんと知りたいです。犯人を捕まえられないのは……わかりました。でも、せめて、レナちゃんのアクセサリーがどうなったのかだけでも、知りたい」

「わかるよ……」


「でも、無理なんですよね……」

「本当に、知りたいのか」

「はい」

 涼子の眼差しを見て、レイはすぐに言葉を渡そうとしたが、迷った。





 ――あなたのせいで、また人が死ぬ。


 あなたが、争いを引き起こす。

 あなたさえ何もしなければ。

 あなたさえいなければ。





 軽い耳鳴りと共に、レイの脳裏を呪いの言葉がよぎる。レイはしばらく悩んだが、結局口を開き、少女に語り掛けた。


「……確かに私はやめるべきだとは言った。……無理だと言った覚えはない。だがこれ以上の調査は本当に危険だ。君の身体生命に危険が及ぶかもしれない。そしてそうなったら、警察は間違いなく君を見捨てるだろう」


 レイは言った。

「俺もこれ以上調査するなら、汚い調査をすることになるかもしれない。君も汚れてしまうかもしれない。真実に近づく事で、君はもっと傷ついて、「知らなければ良かった」と後悔するかもしれない。

 それでも君は、危険を冒しても、手を汚す事になっても、どんな事をしても、それを取り戻したいか」



「わたしは……」

「正直に言って欲しい。ここでやめておく事は勇気ある判断だ。調査不履行扱いにして調査料は一切請求しないし、受け取ったお金も返す」


 レイが真っすぐ涼子の目を見つめた。涼子も弱々しい声ながら、レイの目をしっかりと見つめ、自らの意志を伝えた。

「わたしは、レナちゃんのアクセサリー、絶対に見つけたい。です……」

(それが、レナちゃんとの約束だから……)


 その意志を受け取ったレイは、深く大きなため息をついた。レイ自身、自分の事を頑固な人間だと思っているが、この少女も大概かもしれないと感じていた。



「……わかった。だが危険で過酷な旅になるぞ。そのためには、私の言う事を必ず、きちんと聞いて、約束を守れるかい?」

「はい」


 レイが観念すると、今後のために彼女に約束を結ばせた。この船に乗りかかった時点で、多少は覚悟のあった事だ。だがこの先の危険に踏み込むならば、若く経験の乏しく、この世の闇に対して暗い少女の手綱を握る事は、一番重要な事だ。


「よし、約束だぞ。茨城さん、家に自分だけの部屋は?」

「あります」

「家族は入って来る?」

「あまり、入って来ないです」

「よし。それじゃこれを渡しておく」


 そう言うと、レイは自分の荷物とは別に、もう一つ手に持ってきた小型のアタッシュケースを涼子の足元に置いた。アタッシュケースはデパートの買い物用の紙袋の中に収められていた。

「これは……?」


「中に”説明書き”は入れてある。カギをかけてある。君が家に帰ったらLINEで開錠キーを教えるから、それまでこれは絶対に開けないように。それでもわからない事があったら、LINEでもTwitterのDM(ダイレクトメッセージ)でも良いから質問してくれ」


「わかりました」

「あと、スマホを今少しだけ貸して欲しい」


 レイは涼子の持ってるスマートフォンを借りると、自分の持ってきたタブレットPCに接続する。涼子には一体何をしているのかわからなかったが、彼女のスマートフォンはすぐに彼女自身の手元に返された。


「これでよし、ありがとう。……調査は継続する。茨城さん、もし困った事があったり、怪しい人影を見たりすることがあったら、いつでも連絡して欲しい。必ず事件の真相は突き止めるし、微力ではあるが、君の事も必ず守る」



 そう言うとレイはベンチから立ち上がり、遠くを見つめた。


「……」

 それから二人は別れ、涼子は片手に持てるほどのアタッシュケースが入った紙袋と、その小さな少女の背では背負いきれないほどの事実を抱えて、自宅へと帰宅した。


 ☘



 夜のオフィスビルの一室、一人分だけのデスクが置かれた広い部屋で、その机の持ち主は本革の大きく黒いチェアに腰かけていた。若い男はウグイス色のスーツに真っ赤なネクタイを締めており、彼の目線の先にはPCモニター。モニターには動画サイトにアップロードされた「ヘビとマングースの戦い」のショーの様子。


 トントンと、扉をノックする音に男は気づく。

「入って良いよ」

「失礼します」

 入室してきたのはスーツを着た若い女性。

「何か用かな?」

 男がモニターから視線を外し微笑んだ。


「ダットサイト経由で”警備課”からこのような資料が。調査任務に関してです」

「――あぁー、僕が遊ばせていた件?」

「はい、急ぎ指示を欲しいと」


 女性がファイルの入った封筒をチェアの男に渡す。男は顔をしかめ、いかにも嫌そうに封筒の中のホチキス止めされた資料をめくりはじめる。


「なんだ……警備課はこんなものを急に回して……」

「ダットサイトに対象エリアの観測を行わせていたところ、事件を嗅ぎまわっているネズミを発見。さらには何らかの第三者と接触を図っているという報告が」

「またつまらない週刊誌記者の中年男か? そういうのは日中に……ん?」



 夜につまらない報告と資料を上げてこられたと思い男は不機嫌だったが、一枚のページを見ると手がピタリと止まり、笑みを浮かべた。


「あー、それで急ぎ……。藤本さん、わかってるじゃないか……」

「何か気になる報告が?」

「うん。こっちのネズミは興味がある……。女子高生の子かあ……ああ、そそられる……、もっと近くで観たい……ウウッ……」


 ニコニコとした表情の男は、チェアに座ったまま天井を見上げると身体を小さく痙攣させた。男のズボンにジワリと小さな染みが浮かびあがる。



 女性秘書はクスリと笑うと、自らのポケットからハンカチを取り出し、彼のズボンの一部分に出来た小さな染みを撫でるようにして拭く。



「あらあら。すぐに替えのものを用意いたします」


 男が手放し机に置かれた報告書には一枚の写真。公園のベンチに座っている、制服と着た少女と、その傍に立つスーツ姿の男性が写されている。


「……警備課の藤本さんに伝えて。この女の子とはもっとお近づきになりたい。すぐにでも連れてきて欲しい。男の方は記者か何からしいけど、興味がないから”処分”しておいて」


 一瞬の放心ののち、その男は笑みを浮かべ天井を仰いだまま、秘書の女性に警備課への伝言を伝える。

「かしこまりました。すぐに警備課に連絡を回します」

「ウンウン。頼むよ……」





 闇より這いずる悪意の怪物が、その牙を剥こうとしていた。




EPISODE「オープン・ファイア ACT:2」へ続く。

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