第50話 On the other hand, in Purgatory...

 寝ても煉獄、醒めても地獄

 嗚呼、

 嗚呼、

 嗚呼―――


    †


「…………」


 静かな目覚めであった。

 目覚める感覚は、常と同じものだった。


「嗚呼……」


 小さく口を突いて出る吐息。喉の震えが音と鳴り、周囲の空気をも振るわせる。

 呼吸をすることに意識を向ける。息を吸うには、まず腹に溜まったものを全て吐き出さなければならない。


「諷―――」


 吹いた風が旋を巻き、周囲の空気を巻き込み、巻き上げ、巻いていく。

 小さな旋風にゆっくりと力を与え、徐々に大きく強くなっていくそれを見つめながら、しかし漸く異変に気づく。


 吐く息が、終わらない。


「―――?」


 ゆっくりと、しかし確実に、旋風は大きくなっている。

 やがてひゅうひゅうと空気が鳴り出し、ごうごうと怒涛のように流れ出しても、なお吐息が途切れない。


「―――!?」


 何か言葉にしようにも、開いた口からは吐息が漏れ続けていて声に鳴らない。

 まずは漏れ出るものをどうにかしなければと、出口に手を当てて塞いでしまおうと試みた。


 それが拙かった。


「っ―――!」


 既に大風となった旋風が、行き場を失い荒れた。

 長い髪が吹き上げられて暴れ、衣服の裾も風に煽られてばたばたとはためいた。

 口の中に塞ぎ込まれた旋風は、口腔内で荒れ狂い内部を小さく切りつけていく。

 指の隙間から、鮮血が霧となって散った。



    †



 黒檀の廊下を、ガッチャンガッチャンと大きな足音を立てながら、ゆっくりと歩いていた。


「ふぅむ……いったい此処は何処なのだ……」


 手にした黄金の小槌を時折ぱしぱしと手のひらに打ちつけながら、辺りを見回しつつ長く続く廊下を行く。

 材質の不明な黒の石柱が並び、間には様々な謎の生物を模した石像が向かい合わせに並んでいる。

 巨大な獅子の像の前で立ち止まり、まじまじと見上げながら、王はひとり語散る。


「ふぅむ! 見事なものだ、我が居城にも是非欲しいな!」


 にこりと笑って像を愛でていると、すぐ側の扉が勢いよく内側から弾け飛ぶようにして開かれた。


「む……何事だ? この気配は……奴か!?」


 勇み、ガチャガチャと大きな音を立てて駆け出した。



    †



「こはっ―――……!」


 最早抑えることは叶わなかった。

 耳には轟々という風の音しか届かず、周囲に注意を向けることもできずに、ひたすらに風を吐き出し続ける。


「くぅ……!」


 不意に吹き飛びそうになる体を、椅子に押さえつけるので精一杯だった。

 口を正面に向けると、部屋の扉が勢いよく開かれ、そこから部屋中に巻いていた風が逃げるように出て行った。

 内部に荒れ狂っていた旋風は、逃げ口を得たことで多少落ち着きを見せ始めた。

 だが、自分の口から吐き出され続ける風は、尚も勢いを増して暴々と音を上げて巻いていた。

 これは全て出し切るしかない―――そう覚悟を決めた矢先のことだった。


「おい魔女王! いったい何が起きてるんだ!」


 聞き覚えのある声が、正面の打ち開かれた扉の向こうから聞こえてきた。

 彼女は、咄嗟に叫んだ。


「ハーデス! 避けてください!!」



    †



「なに……むおぉっ!?」


 こちらに向けて警告を発した魔女王の口から、黄金の光が一直線に放たれた。

 王は咄嗟に手にした小槌で光の先端を打ち、体勢を左に崩しながら右側後方へと逸らした。

 ドガガガガガ!! と、石造りの壁面を轟音とともにブチ抜き、上方に逸らされたことで顎を振った魔女王の首の動きに合わせて極太の光線が斜め打ちに壁や柱や天井などを薙ぎ払った。

 しばらく直上に伸びていた黄金の光は、次第に勢力を衰えさせながら赤に色を変え、やがてフッと消えた。


「――――」


 ぱらら、と、瓦礫の崩れる音がした。


「むぅ……いったい、何がどうしたというのだ……」


 横倒れになった姿からやおら身を起こした王が、ブチ抜かれて空洞となった扉の縁に手を掛けて、室内に入る。

 風に煽られ、光に焼かれて、真っ赤な絨毯は所々に焦げ痕を付けてよれてしまっており、火の吹き消えた燭台や壁に掛かっていた装飾品も、粗方倒されたり落とされたりしていた。

 そんな暴威の中心、玉座に収まる魔女王に目を向けると、彼女は胸を反らして発射口を直上に向けていた姿勢から、かくん、と糸の切れた人形のように崩れるところだった。


「お、おい―――」


 王が手を伸ばして安否を確認しようとした矢先、魔女王に変化が現れる。


「スゥ―――――……』


 黄金色の極太光を吐き出したその口で、今度は紫と赤で構成された塵のようなものを吸い込み始めたのだ。


「これは……!? くっ、よせ魔女王! を吸い込んではならん!」


 王は伸ばしかけていた手を再度伸ばし、魔女王の口元を掴んで吸い込みを抑えた。


『―――――」


 静かに開かれた魔女王の瞳、その右眼に真っ赤な光が複雑怪奇な紋様を描き出していた。


「遅かったか……ならば!」


 王は空いた手に黄金の小槌を展開し、さらにそれを一振り、二振りして拡声器のような形に変容させると、それを魔女王の額に押し当て、そして大きく息を吸い、


「カァァ――――ッ!!」


「ッッッ!!!?』


 音が振動となって周囲を揺さ振るほどの大音声を浴びせ掛けた。

 それを直接真正面で受けた魔女王の右眼が赤に、左目が黄金の光を放ち、右の目から一筋の赤光が、王の左胸を貫いた。


「ぐぉっ!? ……くっ、捕まえたぞ!」


 王は自身の胸を貫いた光を手で掴むと、それを大きく外に振り払うようにして、魔女王の右眼から


『――――!!」


 ずるり、と、魔女王の右目から赤い光で構成されたが引き出される。


「《裁定》!」


 王が一喝とともに黄金の小槌を振り下ろし、に叩きつけると、ブシャァ!と液体を撒き散らす音を立てて霧散した。


「無事か! おい!」


 一呼吸置いて、王は改めて魔女王の肩をがくがくと揺すり、頬をぺちぺちと叩いて正気を確かめる。


「あの、痛い……いたいです……』


「おお! 無事だったか!」


 ようやく王が離れると、魔女王は一度大きくため息を吐いて、額に手を当ててゆっくりと目を開けた。その色は、やはり赤と金の二色のままだ。


『はぁ……頭が痛い……いったい、何が起こったのです?」


「我も分からん! だがひとつ言えるのは、ということだ」


「それって、どういう……』


 ぱらら、と、瓦礫の崩れる音がした。


「何奴!」


 王がバッ!と振り返る。それに特に驚く様子もなく、やってきた者は崩れた壁からひょこりと頭を覗かせて、部屋の中を見回していた。


『わぁ~~~……今回は派手にやったねぇ魔王様』


「魔王だと……?」


『ん? あれれ? 魔王様じゃない……』


 くるりと丸い目をぱちくりと瞬かせ、それは背の薄紫の羽根をぱたぱたと羽ばたいてふよふよと室内に進入した。


『あー。えーと、めいおーさま? 何やってんのこんなところでー? 魔王様はー?』


 ふよりふよりと浮遊しながら、それは王の巨躯を避け、背後を覗き込むようにして玉座を見た。


『え、っと……?」


 未だ困惑した状態の魔女王が、眉根を寄せて赤と金の眼でそれと視線を交わす。


『はわ! 魔女さまー! えー、何やってんのこんなところでー? 魔王様はー?』


 そうして、それはくるりくるりと身を回しながら、前後左右から居心地悪く玉座に収まる魔女王を検めた。


「あの……?』


『ん――――? ふんふんふん……ん――――――??』


 ずい、と顔を寄せて、魔女王の赤い右目を覗き込む。そこにある紋様をじっくりと観察してから、それは「ん!」とひとつ肯いて、ようやく離れた。


『魔女さま、んだね! びっくりだよー!』


『えっ……」


「おい小娘、それはいったいどういう意味だ?」


 絶句する魔女王に代わり、王が両腕を広げてくるくると回りだしたそれに詰問する。


『えー? どういうって、そのままの意味だよー。魔女さまがー、! じゃあじゃあー、してー? おもしろーいねー!』


 あははははー、と笑いながら、くるりくるりと回り続けるそれを置いて、王と魔女王が顔を見合わせる。


「なるほどな……!」


「な、何か分かったんですか、ハーデス?』


「うむ! まず第一に、此処は渾沌の海に最も近い場所――俗に《魔界》と呼ばれる世界だろう」


『魔界、ですか……?」


 困惑顔で尋ねる魔女王に、王はしたり顔で答える。


「うむ! 我も来るのは初めてだが、成程、このような世界なのだな。またひとつ賢くなってしまった!」


「はぁ……それで、どうやって帰るんです?』


「うむ。恐らくだが、我々が此方へ来るのと《入れ替わる》形で、本来此方側に在るべきものが彼方側へ移動しているだろうから、其奴らを此方側へ連れ戻せばよい」


『連れ戻す、といっても、どうやって?」


「それは分からん!」


 バァッ! と両手を振り上げて言う王に、魔女王は何か言いたそうに唇を噛んだが、それよりも先に右の赤眼から光線が放たれた。


「うおおお!?」


 光線は王の頬に直撃してジュッ!と音を立て、煙を上げてその皮膚を焦がした。


「な、何をするのだ貴様!」


「あっあっ、ごめんなさい、あの、勝手に……!』


 魔女王自身も慌てた様子で、両の手で右眼を覆い、赤光を塞き止めた。


『えぇと、それじゃあ、ひとまず帰る方法を探してみませんか? このまま此処に居ては色々とまずいような気がしますし……」


『あ! じゃあじゃあー、私が案内してあげるよー!』


 くるりくるりと身を回していたものが、右手を掲げて名乗りを上げた。


『魔界も結構広いからねー、どこかに帰り道が在るかもしれないよー? 探してみよー! 私もー、? っていうのに行ってみたいしー! 本物の魔王様もいるかもだしねー』


「ふん、此奴を信用するわけではないが、ほかに頼るべくもないのでは仕方がない。おい小娘! 貴様に道案内をさせてやろう!」


『むむむ。小娘じゃありませんー。私にはリリンって魔王様に付けてもらった名前があるんだからねー!』


「ではリリン。案内をお願いできますか?』


『はいはーい! この私にドーンとお任せあれってねー! じゃあじゃあー、ひとまず《混沌の海》? に一番近いところに行ってみよー!』


「ふむ。そこには何があるのだ?」


 リリンは一度くるりと身を回して、両手を広げて言った。


『えーっとねー、《世界樹》? とにかくでっかい木みたいのがあるんだよー。その根っこのところにでっかい神殿があるの。私たちは《万魔殿パンデモニウム》って呼んでるよー」



    †

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る