第44話 How to Play The Game./3

 真実など、知ってしまえば陳腐だ。



    †


 暗中を疾駆し、そして彼は。


「……チッ」


 目の前には死体がある。だが人のものではない。

 それは猫であった。黒ぶち、茶とら、三毛、まだら……多種多様な猫たちが、見るも無残な姿で山となっている。

 どの個体も急所を切り裂かれており、人為的な虐殺であることが伺えた。


「“いったい、誰がこんなことを……”と、言うのだろうね……」


 死神の仕事は、死者の魂を冥府へと誘うこと。

 死を悲嘆することや、死者を弔うことは本来であればしない。


「こんなことはよくあることさ」


 人間は生命の中に於いて強い力を持つ種のひとつだ。

 人間たちもそのことは分かっているから、自分たちで自分を律し、力を制御しているのが常だ。

 だが時折、その制御を手放すものがいる。

 制御を離れた力は暴走し、特に弱者に対して暴虐を振るう。


「たとえば、こんな風に」


 これが、生命の中に於いて最も罪深いモノの正体だ。

 人間はその内に《邪》を飼っている。


「…………」


 人間によって殺された動物の魂は、死した人間たちの魂とは別に管理が為される。

 それは彼の管轄ではなかった。


「すぐ、代わりの者が来るから……」


 踵を返し、彼は再び闇の中へと沈んでいった。



    †


 夜の闇の中、ゆっくりとした足取りで歩く影がひとつ。

 その右手はコートのポケットに突っ込まれているが、左手はまた別の小さな影へと伸びている。

 その影が、背中を丸め、ゆっくりと歩いているのは、その小さな影の歩幅に合わせてのことだった。


「ハァ―――……、損な役回りだなァ、オレって……」


 留守居を任された、というよりも、子守りを押し付けられた形だ。

 こうして夜も更けた時間帯に外を出歩いているのも、その延長線上と言える。


「なぁーもう帰ろうぜー。明日ンなればみんな帰ってくるしよォー」


「いや!」


「これだもんなァ――……」


 男の手をグイグイ引いて歩く少女の眉は立っていた。なんなら頬も膨らんでいた。

 昼間、ショッピングモールで寝落ちし、そのまま夜まで寝ていた紫緒は、気付けば家にショウと二人だったのだ。

 ショウは頼りになる男だ。料理もできる。だけど紫緒はショウのことが好きではなかった。正確に言うと、ショウと二人きりにされるのが嫌だった。……いや、トーヤと二人きりにされるよりは、まだマシだったかもしれない。


「……うぅ、ぅ、ぅー……!」


 トーヤとショウは、紫緒を「ガキンチョ」扱いするから嫌いだ。ショウはこうして嫌々ながら付き合ってくれるが、トーヤなら絶対にこうはならない。

 トーヤを怖れるわけではない。機嫌がいいときはお菓子やおもちゃをくれもするし、一緒に遊ぶこともある。だけど機嫌が悪いとき、特に“仕事”の前と後のときは最悪だ。


「あーもー、泣くなって、ほら。オレが臣也ンとこまで連れてってやるから……」


「……いい、自分で歩く」


 鼻をスンスン鳴らし、零れる涙を手の甲で拭いながら、差し出された手を握りしめて少女は前へと進む。

 もう日付も変わろうという時刻。男は欠伸を噛み殺しながら、少女に手を引かれてゆっくりとしたペースで歩いていた。


 それが幸いした。


「は……?」


 ガチャン、と。

 男の目の前を何かが過ぎり、落ち、割れた。

 足を止めて視線を下げると、それが小さな植木鉢だと分かった。


「うわ、なんだこ――」


 れ、と言葉を続ける前に、一歩身を引いたその鼻先をもう一度植木鉢が過ぎった。

 明らかに攻撃を受けている。


「っ、くそッ!」


「え、なに、わっ!?」


 紫緒を庇うように抱き上げ、身を低く前へと飛び込むように跳ねる。

 ついさっきまで自分たちがいた場所に、今度は複数の植木鉢がガチャガチャとけたたましい音を立てて落下した。


「おいおいなんなんだこりゃァ……」


 頭上目掛けて落とされているのは明白だ。何者かは分からないが相手はこちらの命を狙っている。この場に留まり続けるのは危険だが、腕の中の紫緒を庇いながら全速力で逃げることはできない。勿論、放っておくなど論外だ。


「あら、まだ生きているようね……」


 視線の先、先ほどまで背後だった方向から、一人の女がコツ、コツ、と靴を鳴らして歩み出てきた。オフホワイトのバイクスーツに、さらりと伸びた銀髪。深夜だというのに目元を覆っていた薄いブルーのサングラスを外して、女はこちらを品定めするように目を細めた。


「ふぅん……あなた、中々イイわね……」


「ぁ? 急に出てきて何言ってんだこのアマ。ってか、テメェの仕業かこれ?」


 紫緒を抱き上げるようにして立ち上がり、一歩を引く。

 彼我の距離は数歩分。殺ろうと思えば殺れる位置だ。

 一見したところ、女は武器の類を手にしていないが、長く伸びた髪の裏、背中や腰に得物を隠し持っていたりする可能性は十分ある。全身を覆うバイクスーツも、その内側に何かを隠すことは十分可能だ。女の刺客は、男と違って得物を隠す場所が豊富にある。

 危険だ。


「チッ……なんでこんなときに……」


「ショウ……」


「ぁん? 心配すンな。言ったろ、オレが臣也ンとこまで連れてってやるってよ」


 紫緒に笑みを返し、ショウは改めて正面の女を見る。だが、


「ショウ……!」


「なンだ―――ッ!?」


 ガツン、と。


 男の頭上に、植木鉢が直撃した。



    †


「ショウ! ショウ、起きて! ショウ……!」


 土を被り、伸びた男を、少女が揺り起こそうとしている。

 その背後から、別の影が二つ進み出てくる。オフホワイトのバイクスーツに黒髪の長身と、黒を基調としたエプロンドレスにラズベリー色のツインテールの少女。


「あーらら、伸びてら。よっぽど当たり所が良かったのかね」


「えー違うよー。鬼喇キラちゃんの力が強すぎたんだよー」


「俺が馬鹿だって言いたいのか……?」


「察し早ーい」


「このやろう……」


「やーん、鬼喇ちゃん怖ーい。アハハハハ」


 などとやり合いながら、女たちは伸びた男と少女を取り囲む。


「で? こいつどーすんの?」


「さぁ……そこまでは聞いてないけど」


「ほっとけばいいんじゃなーい? 用があるのって、こっちのチビっちゃいのでしょ?」


 エプロンドレスの少女は、ショッピングウィンドウの前で腰を屈めて中のものを見るように、紫緒に向けて笑いかける。

 紫緒は、ショウの背にしがみつくようにし、縮こまるしかなかった。


「あーらら、嫌われてやんの。だっせー」


「むー、鬼喇ちゃんが怖がらせるからでしょー」


「人のせいにすんなって。とにかく、こいつを連れて行けばいいんだろ」


 そう言うと、紫緒の首根っこを掴み、ひょいと持ち上げ、宙吊りにしてしまう。


「い、いや! 放して!」


「おい、ちょ、暴れんなよ……!」


 手足をばたばたと動かし、どうにか拘束を解こうと懸命に暴れるが、もう一人の女が歩み寄り、手を鼻先にかざすと、それも大人しくなった。


「おいおい何嗅がせたんだ? 大丈夫なんだろうな」


「平気よ、人体には無害だし、量も僅かだもの。あまり騒がれても困るわ」


「そりゃあそうだけどよ……」


「じゃあ、目的は達成だね? よーし、帰ろ帰ろー」


 そうして、女たちは紫緒を連れて去っていく。僅かに意識を取り戻した男がその背に向かって手を伸ばすが、彼女たちは気付かない。


「く、そ……」


 男の意識が、再び闇へと沈んでいった。



    †

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