特別編-SSV-

前編

特別編-SSV-




 9月1日、日曜日。

 季節は秋。でも、夏休みの最終日。

 夏と秋の間にあるような気がしたこの一日を、俺は彩花と一緒に自宅でのんびり過ごそうと決めた。

 朝食後、ソファーに彩花と並んで座り、彼女の淹れてくれた温かいコーヒーを一口飲む。

「……美味しい」

「ふふっ、良かったです」

 彩花は嬉しそうな様子で、俺の腕をぎゅっと抱いてきて、そっと寄り掛かってきた。そのことで、コーヒーの香りに彩花の匂いが混ざる。より落ち着くことができて、幸せな気持ちにさせてくれる。


「思い返せば、高校最初の夏休みは色々なことがありました。もちろん、一番大きかったのは直人先輩と恋人として付き合うようになったことですが」

「俺も一番はそれだな。今後の人生にも関わることだからね」


 夏休みに入った頃は精神的なダメージがかなり大きくて、彩花と恋人として付き合うまで色々なことがあった。色々な意味で、高校2年の夏は本当に忘れられない夏になったよ。


「付き合い始めてからも色々なことがありましたもんね。私の実家に挨拶に行ったら、直人先輩がお父さんに殴られて、旅行に行けば私が入れ替わりを体験して、旅行から帰ってきたらその直後に直人先輩の体が小さくなって」

「……40日前後で経験したとは思えないくらいの濃さだったな」


 1学期が遠い昔のように思えるほどだ。

 夏がこれだけ激動だったので、秋はできるだけ平和に過ごしたいところ。文化祭や修学旅行という高校生活の中でも指折りのイベントが待っているけれど。


「そうだ、直人先輩。旅行とか小さくなった先輩ももちろんですけど、あのことも個人的には思い出深いです。私の実家に行った直後にあった……」

「……ああ、あのときの話か」


 彩花や茜さんの新しい一面を見たというか。思い返すと微笑ましいな。

 それが起こったのは、俺が彩花と一緒に、彼女の御両親に挨拶をしに行った2日後のことだった。




*****




 8月13日、火曜日。

 今日も朝からよく晴れていて、月原市は真夏日の予想になっている。全国的にも暑く、ところによっては猛暑日になるところもあるそうだ。

 こんな日は涼しい家の中でゆっくりするのが一番。だけれど、俺は、


「直人先輩。紅茶を淹れました」

「ありがとう、彩花」

「どうです? 課題は順調ですか?」

「そこまで難しくないからな。彩花の方は?」

「もうほとんど終わりました」


 好きなことをするわけではない。

 夏休みの課題はもちろんのこと、入院していて期末試験を受けることができなかったので、それについての特別課題を片付けていた。

 夏休みに入ってからも入院をしたり、故郷に帰ったりして課題に手を付けなかった日が多かった。なので、今もそれなりに残っている状況。昨日から再び本格的に取り組んでおり、今日も朝からずっとやっている。

 今から必死にやらなければ、夏休みの間に終わらないというわけではない。ただ、彩花と恋人として付き合い始めたので、課題なんてさっさと片付けて彩花と一緒に夏休みを満喫したいのだ。

 昨日から彩花と一緒にリビングで課題をやっているけれど、初日からコツコツとやり続けていた彩花はほとんど終わっているようだ。


「彩花はちゃんと課題をやって偉いな」


 そう言って、俺が彩花の頭を撫でると、彼女は嬉しそうに笑った。

 そういえば、これまで課題に集中していてあまり見てなかったけれど、今日の彩花はとても可愛いな。黒色のノースリーブの縦セーターがよく似合っている。


「どうしたんですか? そんなに私のことをじっと見て」

「その服、よく似合っていると思ってさ。可愛いし、でも大人っぽくも見えるし」

「……直人先輩にそう言われると、服を脱いで先輩のことを抱きしめたくなっちゃいます」

「服装も褒めたのに脱がないでくれよ」


 ただ、服を脱いだときの彩花も綺麗だけれど。それを言ったら、本当に服を脱いで俺のことを抱きしめかねないので言わないでおくか。


「さあ、あと少しで終わるので頑張らないと!」

「おう、頑張れ。俺も特別課題は今日中に終わらせたいな」


 特別課題は全教科についてだからな。特に難しいわけじゃないけど、実技教科まであると気持ち的にキツい。

 ただ、やらなければ終わらないので、俺は課題プリントの回答欄に答えを埋めていく。最初こそはやる気がまだあるけれど、段々と惰性で答えを書く感覚になっているな。


「やった! これで全部終わりました!」

「おっ! お疲れ様、彩花」


 彩花は夏休みの課題が終わったのか。インターハイまでは女バスのサポートもあったのに、初日からコツコツと課題をやっていたそうだし。偉いな。


「あぁ、昨日から集中して課題をやっていたからか、胸が凝っちゃいました。直人先輩、すみませんが揉んでくれませんか?」

「……えっ?」


 胸が凝るから揉んでほしい? 彩花のその言葉に耳を疑ったけれど、確かに彩花はそう言ったよな。

 でも、胸が凝るってことは、もしかして……。


「彩花、今すぐに病院に行って検査受けた方がいいんじゃないか?」

「えっ?」


 俺は彩花の両肩をしっかりと掴む。


「だって、胸にしこりがあるって思っているんだろう? もしかしたら、乳がんかもしれない! だから、一刻も早く……」

「違います! 凝っているのは胸じゃなくて肩です! ただ、付き合うようになってから直人先輩に胸を揉まれる機会が多いですし、今日も揉んでもらいたいなって思ったら胸が凝ったと言い間違えてしまいまして……」

「……そういうことか。とりあえず、体調が悪いってわけじゃなくて安心した」

「いえいえ、こちらこそ何だかすみません。はい……」


 彩花は髪の色に負けないくらいに顔を真っ赤にしている。とりあえず、彩花の体調に問題はなさそうで安心した。あと、胸が凝ったと言い間違えた理由も彼女らしいな。


「分かった。休憩がてらに彩花の胸……じゃなくて肩を揉もう」

「ありがとうございます。先輩さえ良ければ胸の方も揉んでいいですから」

「……それについては、気持ちだけ受け取っておくよ」


 俺は彩花の背後に回って、両手で彼女の肩を揉み始める。結構凝ってるな。昨日から夏休みの課題を頑張ってやっていたからかな。


「あっ……」

「痛かったか?」

「いえ、そんなことありません。ちょうどいい強さです。気持ち良くて……んっ」


 その後も、気持ちいいのか彩花は可愛らしい声を幾度となく漏らす。わざとかもしれないけれど、可愛いので何も言わないでおくか。

 ただ、こうして彩花の肩を揉んでいると、彩花の強い温もりと優しく甘い匂いが伝わってくるな。


「課題が終わって、直人先輩に気持ち良くしてもらえるなんて幸せですね」

「そう言ってくれると揉み甲斐があるな」

「揉み甲斐があるって言われると何だか厭らしいです。それにしても、さっきの直人先輩の慌てぶりは凄かったですね」

「胸が凝るって言われたらなぁ。かなり焦った」

「でも、焦ってくれて嬉しかったです。可愛かったですよ。そんな人が恋人になって私は幸せ者ですね。直人先輩、大好きです」

「……俺も好きだよ」


 馬鹿にされなくて良かった。

 ただ、恋人が病気かもしれないと思ったので焦ってしまったのだ。これまでに、俺の大切な人達に色々なことがあったから。


「このくらいでいいかな」

「ありがとうございます。肩、だいぶ楽になりました」

「それなら良かった。あと、課題を終わらせた彩花にご褒美だ」


 俺は後ろから彩花のことを抱きしめ、回り込むようにして彩花に口づけをする。ご褒美とは言ったけれど、彩花の肩を揉んでいるうちに口づけをしたくなったのだ。こうしていると、疲れが取れていくな。

 唇を離すと、彩花はうっとりとした表情で俺のことを見つめていた。


「とても素敵なご褒美ですね、先輩。ありがとうございます」

「そう言ってくれて良かった」

「ええ。直人先輩が課題を終わらせたら、私からご褒美をあげないと」

「……楽しみにしてる。頑張るよ」

「はい、頑張ってくださいね」


 そう言うと、今度は彩花から口づけをしてきた。これまでにたくさん口づけをしてきたけれど、恋人になってからの口づけはよりいいなと思う。

 ――ピーンポーン。

 エントランスからの呼び出し音が鳴る。それにビックリして、思わず彩花から体を離した。

「私が出ますね」

 夕方のこの時間に来るとなると宅配便かな。それとも、渚や咲が夏休みの課題に苦しんで、俺に助けを求めてきたとか。

 俺も気になるので彩花の後ろに立つと、モニターには茜さんが映っていた。


『やっほー。彩花と直人君にお届け物だよー』

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