第25話『15年』
午前10時50分。
俺達が月原総合病院の前に到着すると、そこには既にワンピース姿のスーツ姿の森さんが立っていた。
「湊先生、森さん、おはようございます」
「おはよう、みんな」
湊先生は笑顔でそう言うけど、森さんは……表情が硬いな。もうすぐ日下さんと15年ぶりの再会だから緊張しているのだろう。
「そんな強張った表情をしたら先輩が恐がってしまいますよ」
「……仕方ないだろう。15年ぶりに再会するんだ。それに、妻に相談し、色々とアドバイスを受けた上で日下さんと会おうと決断したのだ」
森さん、奥さんのことをとても信頼しているんだな。
森さんの場合は元々がなかなかの強面だからなぁ。しかも、スキンヘッド。顔面はまだしも、髪の方は15年前と変わっているみたいなので、今の森さんの姿を見て日下さんがどう思うのか。
「ここで悩んでいても仕方ありませんよ。それに、いつまでもここにいるとそのうち……熱中症になって倒れると思いますから。さあ、日下さんの所へ早く行きましょう」
「……そ、そうだね。藍沢さん」
どうして、森さんは俺のことを見るときは引きつった笑みを浮かべているのか。まさか、昨日のことで俺に恐怖心を抱いてしまったのかな。
受付で面会の手続きをして、俺達は日下さんが入院している10階の1001号室へと向かう。
――コンコン。
湊先生が病室の扉をノックすると、
「はーい」
中から日下さんの声が聞こえた。
「……日下の声だ」
森さん、額に汗を浮かべているぞ。本当に緊張しているんだな。
「行きますよ」
俺がそう言うと、湊先生は小さく頷いて病室の扉を開ける。
湊先生を先頭に俺達は病室に中に入る。森さんは緊張していることもあって、渚と咲に背中を押されながら入ってきた。
「みんな、来てくれたんだね。ありがとう。ええと……」
やっぱり、森さんの姿を見て言葉を失ってしまったか。
「その……頭がとても輝いている男性はどちら様ですか?」
「……俺だよ。森治だ。その……髪の方は15年の間にハゲてきたから、自主的にスキンヘッドにしているだけだ」
15年経てば出で立ちも変わる人はいるよな。
「そうですか。……おひさしぶりですね、森先生」
「……ひさしぶりだな、日下。あまり……変わっていないな」
「15年間眠り続けましたからね。森先生は……やっぱり変わりましたね。特に頭が。あと、顔のしわがいくつか増えたような」
「俺も今年で50歳になったからな。35歳のときから15年も経てば、しわは増える。しかし、髪は減っていくのだ。逆ならいいのだが」
「ふふっ、そうですか」
これがオヤジギャグなのか、それとも50歳ならではの悲哀なのかは分からないけれど、日下さんは楽しそうに笑っている。きっと、15年前も今みたいに笑っていたときはあったんだろうな。
そして、日下さんの笑い声が聞こえなくなったところで、
「……日下」
「はい」
「……あの時は本当に申し訳なかった。課題のことで酷く怒ったこと、日下が電車に轢かれた瞬間を見たのに、何もできずに逃げてしまったこと……本当に申し訳ない。15年、日下を眠らせたのは俺のせいだ。……申し訳ない」
森さんは日下さんに向かって深く頭を下げた。
森さんは日下さんに15年前のことを謝った。そのことに対して、日下さんはどう思うのか。
「……顔を上げてください、森先生」
日下さんは真剣な表情をして森先生にそう言った。
「……麻衣ちゃん達から先生の話は聞きました。私が自ら電車に轢かれたことで、その原因が追及され……森先生が月原高校を解雇されたこと。そして、何度も転職をすることになってしまったこと。私こそ……本当に申し訳ありませんでした」
「何を言っているんだ! 俺は日下が受験勉強を頑張っていて、だから課題をうっかり忘れてしまったことを分かっていた。それなのに、きつい言葉で、きつい態度で日下を怒ってしまったんだ。私がもっと言葉を選んで、冷静でいられれば……日下が15年も眠ることはなかったかもしれないじゃないか」
「……そうかもしれませんね」
日下さんは森さんのことが好きだったからこそ、課題を忘れたことにきつく怒ったことで、絶望感のようなものを抱いてしまった。森さんの言うように、言葉を選んだり、冷静になったりすれば違っていたかもしれない。
「電車に轢かれたことで、私は15年というとても大きな時間を眠ることに費やし、森先生には職を失うことになってしまいました。それは変わらない事実です。あのときの森先生の言葉や態度はきつく、酷いと思った人は当然いるはずです」
「……そうだな」
「でも、私は信じています。あんな風に叱った森先生の心には……私のことを心配した温かい気持ちがあったことを。いや、実際にはあったでしょう? 15年経った今だから、それが分かったんです」
「日下……」
「他の人が何を言おうと、私はその考えを曲げません」
15年眠り続けた結果、身体的にはそこまで変化はなかったけど、精神的には大きく成長したのかもしれないな。
日下さんは目に涙を浮かべて、
「私にとって、森先生は恩師です。今までありがとうございました」
そう言うと日下さんの体が若干前に傾いた。もしかしたら、今できる精一杯の森さんへのお辞儀なのかも。
「……そう言ってくれると少しは救われるよ」
「そうですか」
「しかし……日下は成長したのに、俺はまるで成長していないな。15年前、自分の感情に任せて日下のことを激しく怒り、今回は……日下に何を言われるのかが恐くて、湊達や妻に説得されてようやく会う決断をした。私に足りないのは……日下がどう思うかと考えることなのだろう」
「……何歳になっても日々、勉強なのかもしれませんね」
「そうだな」
日々、勉強か。確かに、俺も今年になってから色々なことがあったけれど、その度にたくさんのことを学んできた気がする。
「すまない。そろそろ塾の方に行かないといけないんだ」
「そうですか。また……遊びに来てくださいね」
「分かった。そのときは……俺の家族と一緒に来るよ」
「……ええ」
日下さん、ちょっと悲しげな笑みを浮かべているな。昨日、俺達から森さんが結婚して2人の子供がいるとはいえ……改めて、本人から言われると辛いのだろう。
「最後に、藍沢さん」
「はい」
すると、森さんは目を鋭くさせて俺のことを見てくる。
「……君はいったい何者なんだ? 見た目は子供だが、子供とは思えない気がする」
さすがに、今までの俺を見ていたらただの子供とは思えないか。
「……俺は、夏休みだから彩花の家に遊びに来ている知り合いの子供ですよ。今はね」
まあ、わざわざ正体を明かす必要はないだろう。彼には子供ともは思えない子供ということにしておこう。
「そうか。みなさんのおかげだが、特に君には助けられたよ。ありがとう」
「いえいえ。日下さんと和解できて良かったですね」
「……15年ぶりに一歩を踏み出せる気がするよ。では、俺はこれで失礼する」
森さんは俺達に深いお辞儀をすると、静かに病室を出て行く。その後ろ姿は今までよりも更に大きく、そして広く感じるのであった。
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