第67話『朝スパ-女湯-』

 直人先輩と別れて女湯の暖簾をくぐる。

 脱衣所にはほとんど人がいない。午前6時半過ぎという早い時間なので、温泉に入り来るような人はいないのかな。特に若い人は。脱衣所にいるのは年配の方だけだ。

「まあ、人が多いよりはいいかな」

 温泉はゆっくりと入りたいし。そういえば、一昨日の夜に絢さんと来たときもこんな感じだったな。

 服を脱いで、タオルを持って大浴場に入る。

 大浴場の中もあまり人はいない。ただ、朝陽が入っているおかげで一昨日の夜よりも印象が違う。明るいときにこんなに広いお風呂に入れるのは旅行ならではだよね。

「あっ、彩花ちゃん!」

 どこからか絢さんの声が聞こえる。こういうところは声が響くから、絢さんがどこにいるのか分かりにくい。

 周りを見渡してみると、洗い場の所に絢さん、遥香さん、奈央さんがいた。彼女達がいるだけで、女湯の中が急に華やかなイメージになった気が。私と目が合ったからのか、絢さんが手を振ってくる。ということは、直人先輩は男湯で隼人さんと会っているのかな。

「おはようございます、皆さん」

「おはよう、彩花ちゃん」

「おはようございます、彩花さん」

「おはよう、彩花ちゃん」

 みんな、髪を洗っているところだった。私の近くから、遥香さん、絢さん、奈央さんという並びで座っている。

「じゃあ、遥香さんの隣に座っていいですか?」

「はい、どうぞ」

 私は遥香さんの隣に座って、髪を洗い始める。そういえば、大浴場でこうして知っている人の隣で髪や体を洗うのは久しぶりかも。ゴールデンウィークに直人先輩のご家族や渚先輩と一緒に温泉へ行ったときは、部屋付きの露天風呂で済ませていたから。

「彩花さん」

「何ですか? 遥香さん」

「その……元の体に戻ってからはどうですか? 直人さんとはその……仲良く過ごすことができているでしょうか」

「はい、おかげさまで。直人先輩のことは信頼していますから。それに、やっぱり自分の体が一番いいなって」

 昨晩は直人先輩と……数え切れないくらいに一つになったし、今朝は先輩に特製アイマスクをしてあげたし。遥香さんと体が入れ替わったことで、こうして今までのように先輩と一緒にいられる時間がより愛おしく思えるようになった。

「そうですか、良かったです。その……直人さんには随分と甘えさせてもらったので、私が原因で2人の間に何かトラブルが起きていないかどうか心配で」

「いえ、そんな……」

 まあ、遥香さんに色々と優しくしていたことに嫉妬しているのは事実だけれど、それは致し方ない事情があってのことで。私も絢さんに優しくしてもらっていたことも事実で。遥香さんと入れ替わっていた分だけ、今までよりもちょっとだけ甘えようと心に決めた。直人先輩も同じように考えているみたい。

「そういえば、遥香さんの方は絢さんとどうですか?」

 小声でそう訊くと、遥香さんは途端に顔が赤くなっていく。

「私は、その……昨日の夜、絢ちゃんと色々とし、しちゃいました……」

「そ、そうなんですね」

 遥香さんと体が入れ替わって絢さんとの……えっちな経験があるからか、絢さんとどんなことをしたのかが想像できてしまい、気付けば顔が熱くなっていた。鏡をちらっと見たら、思いの外に顔が赤くなっていたのが分かった。

「もう、彩花さんまで顔を赤くならないでください……」

「ご、ごめんなさい」

「……それにしても、彩花さんってスタイルがいいですよね。体が入れ替わっていたときそう思っていたんですよ。胸が重くて……」

「何だか、その……すみません」

「いいんですよ。羨ましいと思っていたくらいですから」

「遥香だって十分に大きいじゃないか。私なんて大きいって言われたことないよ……」

 ははっ、と絢さんはちょっと寂しそうに笑っている。そこまでがっかりするほど胸が小さいとは思わないけれど。

 体操着や水着へ着替えるときに、友達から服を脱ぐと凄いって言われることが何度もあった。あと、直人先輩と一緒に住み始めてからも大きくなり続けているし。

「ひゃあっ!」

 右の脇腹のところをすっ、と指で撫でられたことがくすぐったくて、思わずそんな声を挙げてしまった。

「ごめんなさい。彩花さんの肌がとても綺麗だったので思わず。そういえば、直人さんが彩花さんは脇腹が弱いって言っていたのを忘れていました」

「そ、そうですか……」

 私が脇腹を触られるのが苦手っていうのを教えるときって、え、えっちなことをするときしかないんじゃないかな。普段、直人先輩はそんなことはしないから。

「……あ、彩花さん?」

「いえ、何でもないですよ。ただ……後で直人先輩と話さなければならないことができただけですので。決して遥香さんのせいではないので安心してください」

「は、はい」

「でも……」

 遥香さんの左の脇腹をすっ、と指で撫でると、

「ひゃあっ!」

 と、遥香さんは体をビクつかせて可愛らしい声を挙げた。

「お返しです、遥香さん」

「うううっ、ビックリしちゃいました……」

「ははっ、遥香も脇腹が弱いんだよ。彩花さんなら分かっていると思うけれど」

「そうだったんですか」

 一昨日の夜、絢さんに脇腹をさすられたときにくすぐったかったのは、遥香さんが元々脇腹を触られることに弱かった所為だったからなんだ。

「……いいなぁ。みんな、好きな人にそんなことをしてもらって。隼人とはまだ口づけまでしかしてもらったことないよ」

 へえ、坂井さんって意外と奥手なんだ。直人先輩と雰囲気が似ているし、奈央さんともいい雰囲気だから、てっきりそういうことは経験済みかと。

「奈央ちゃんの方から誘って、お兄ちゃんのことをリードしてあげればいいんじゃない?」

「……で、できるかなぁ。でも、恥ずかしいだろうな、きっと……」

 奈央さん、そういうときのことを妄想……ううん、想像しているからか顔が真っ赤だ。この状態で温泉に入ってしまったらすぐにのぼせてしまいそうなくらいに。

「ねえ、彩花ちゃん。藍沢君とはどうだったの? そういう経験、しているんじゃない?」

「……数え切れないくらいにしていますよ」

「じゃあ、その……初めてした時ってどうだったのかな。その、藍沢君は隼人と似ているから、参考になるかなと思って……」

「……なるほど。直人先輩とは……私の方から誘いました。でも、それは告白されて付き合い始めた夜だったので、普段よりも良い雰囲気でしたね。ですから、私から誘うこともできましたし、直人先輩もそれをすんなりと受け入れてくれたような気がします」

 あの日のことを思い出すと、嬉しい気持ちと恥ずかしい気持ちが同時に湧き上がってくる。でも、まだ1ヶ月も経っていないんだよね。

「そっか……私も付き合い始めた日に勇気を出して誘えば良かったなぁ。分かったよ。ありがとう、彩花ちゃん。私も、頃合いを見計らって頑張ってみるね」

「……頑張ってください。奈央さんが誘えば、隼人さんならきっと……」

「……うん」

 奈央さんは笑みを浮かべていた。ただ、遥香さんと絢さんを挟んだ状況で彼女と話したためか、2人は顔を真っ赤にしながら黙々と体を洗っていた。

「さあ、絢ちゃん。私達は先に湯船に浸かろうか」

「そうだね、遥香」

 2人は体に付いていた泡をシャワーで落として、ここから逃げるようにして湯船の方へと行ってしまった。恥ずかしくなっちゃったのかな。その直後に奈央さんが2人の所へと向かった。

 私も髪と体を洗って、3人が入っている湯船へと向かう。

「ふうっ、気持ちいいですね」

「そうですね、彩花さん」

「温泉はみんなで入った方がより気持ちいいね」

「ええ。まさか、皆さんと入れるなんて、直人先輩と一緒にこのホテルに来たときは想像もしなかったですよ。ただ、皆さんのおかげで今回の旅行が楽しいものになりました」

「私もです、彩花さん。色々なことがありましたけれどね」

「……ええ」

 遥香さんとの入れ替わりに、既に亡くなっている水代さんとの会話。こんなこと、二度と体験できないだろうなぁ。もちろん、氷高さんとの決着も。それだけに思い出深い旅行になった。直人先輩と一緒にいられる時間があまりなかったのが唯一の残念なことだけれど。家に帰るまで先輩にベッタリしていようかな。

 とりあえず、今は温泉に浸かって、少しでも旅行気分を味わうことにしよう。

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