第56話『消えた命、生まれた命。』

 水代さんのことを抱きしめてから数分ほどしたところで、晴実さんがようやく泣き止んだ。そのときの彼女はさっきよりも朗らかな笑みを浮かべていた。初めてお姉さんと一緒にいられるのが嬉しいのかな。

「……ねえ、晴実」

「なに? お姉ちゃん」

「あくまでも参考程度に……私の話を聞いてくれるかな。私がこのホテルで自殺したときの話なんだけれど」

「……うん」

 水代さんにとっては、自殺した直前の気持ちを晴実さんに知ってほしいのだろう。参考程度と彼女は言っているけれど、相良さんは何も悪くないことを伝えたいのが本音なんだと思う。

「悠子ちゃんと付き合うまで、私はいじめられていて寂しかった。けれど、悠子ちゃんと知り合って、付き合い始めて、夏休みになったら毎日一緒にいて。そんな時間がとても楽しかった。お互いの家族全員でこのホテルに来たときも……幸せだった」

「でも、その時……悠子さんはお姉ちゃんのことを……」

「……うん。ビーチで氷高さんと会っちゃって、未来が途端に見えなくなった。どうしようって不安になったの。そして、夕ご飯の後……悠子ちゃんから、友達の関係に戻ろうって言われて、彼女は部屋を出ていった」

「悠子さんがそう言って、部屋を出ていったからお姉ちゃんは寂しい想いをしたんでしょう? そして、死んでもいいって、思ったんでしょう?」

 俺も晴実さんと同じ認識だ。相良さんから恋人という関係を解消しようと言われ、彼女が部屋を出て行ってしまったことで、孤独と絶望に苛まれた。そして、自殺に至ったと。

「……凄く寂しかったよ。何でそんなことを言うの、って心の中で悠子ちゃんを責めたよ。死んでもいいと思ったよ。でもね……そう思ったのは、いじめから逃げたかったこと。そして、自分が死んでしまえば悠子ちゃんの受けるいじめが少しでも軽くなるんじゃないか、って思ったの。そんなつまらない自己犠牲の精神が勝ってしまった。少しでも待てれば、また一緒に歩いていこうって悠子ちゃんが言ってきてくれたのに」

「そう、だったんだ……」

 さすがに、今……水代さんが言ったことは晴実さんの知らない事実ばかりだったようだ。気持ちの整理がつかないのか、無言で俯いている。

 俺もおおよその内容は知っていたけれど、水代さんの自殺した理由の1つに……相良さんを守るためだったということは知らなかった。ただ、実際には水代さんが自殺したことを理由に相良さんは氷高さん達にいじめられてしまったんだけれど。

「しかし、皮肉にも相良さんはあなたの自殺を口実に、氷高さんからいじめられてしまっていましたが」

 坂井さん……それは事実だけれど、言ってしまってはまずいだろ。

「……そうだね。坂井君の言うとおりだよ。だから……後悔してる。死ななきゃ良かったかも……って思っていることは認めるよ。でも、私が死ななければこうして晴実とは会えなかったかもね。でも、私が生きているときから、やっぱり妹か弟がいた方がいいんじゃないかってお父さんとお母さんが言っていたんだよ」

 水代さんがそう言うと、晴実さんははっとした表情になって水代さんの方を向く。

「……それ、本当なの?」

「うん。幼稚園くらいのときに、弟か妹が欲しいってお母さんにせがんで。でも、全然できなくて。お母さん、あまり体が丈夫じゃないから……年齢を重ねていくにつれて私も言わなくなった。だから、私が亡くなってから2年も経って、晴実が生まれたってことは本当に奇跡なんじゃないかな。確かに、きっかけは私が自殺したことだろうけれど、晴実は晴実なんだよ。お父さんとお母さんに望まれて生まれた子供なんだよ。私の代わりじゃないし、もうあなたは私よりも長く生きてる。よく、ここまで立派になったね」

 16歳の姉が、18歳の妹の頭を優しく撫でる。

 生前、水代さんは妹や弟がほしいと言っていたのか。なかなかできなくて、一度は諦めたけれど……水代さんの死をきっかけに晴実さんを作ったんだな。年齢を考えると、子供を産むには最後のチャンスだったろうし。

 晴実さんは晴実さんとして望まれて生まれてきたのか。水代さんの代わりではなく。

 なるほど、水代さんはきっとこのことを伝えたかったんだな。だから、このカフェの店員に憑依したんだ。

「……そっか。私、晴実として生きていいんだね」

「もちろんよ。生まれた瞬間からね」

「……そっか。私、馬鹿だな」

 どうやら、一つ……晴実さんの心の中にあった柵がなくなったようだ。きっと、これからは水代晴実として生きていけるだろう。

 今の水代さんの話で、相良さんに対する想いも変わっていけばいいけれど。

「……あのことについても、ようやく誰かに言えそう」

 あのこと、って何のことだろう?


「私……好きな女の子がいるの。正確には一緒に来た紬ちゃんなんだけど」


 晴実さん、紬さんのことが好きなのか。仲がいいな、とは思っていたけれど。

「女の子が好きになるなんて、お姉ちゃんみたいですね」

「ええ、まさに私の妹ね。でも、紬っていう女の子、素敵だもんね」

 やっぱり、と言わんばかりの表情を水代さんは見せる。

「その想い……紬さんは知っているんですか?」

 俺が訊くと、晴実さんは首を横に振る。

「いえ、告白をしたことはありませんからね。私の気持ちに気付いている、ってこともないんじゃないかなぁ。紬ちゃんが私を好きかどうかはまだ分かりません」

 なるほど。片想いなのか両想いなのかは分からないという段階か。

「俺や坂井さん達に協力をするということは、氷高さんと会わなければいけない。もしかしたら、彼女と話すときに女性同士の恋愛を否定されてしまうかもしれない……ということですか。氷高さんはお姉さんが自分に告白してきたことをきっかけでいじめをしましたから」

「……はい。その話を紬ちゃんが聞いたら、友達という今の関係さえもなくなってしまうかもしれません。それがとても怖いんです。それなのに、紬ちゃんと一緒に来てしまったんですけどね」

「紬さんのことはあなたが誘ったと聞いています。怖さもあるでしょうけど、それよりも紬さんが側にいてほしいという気持ちの方が強いということでしょう? きっと、紬さんなら大丈夫だと思いますよ」

 それに、何かありそうなら俺や坂井さん達でフォローをすればいいんだし。

「俺から、一つ訊きたいことがあります、晴実さん。女性同士の恋愛に関することなら、遥香や絢さんの方が適役だと思いますが。どうして、藍沢さんや俺に紬さんのことが好きだと打ち明けてくれたんですか? 憑依した水代さんがいるからですか?」

 確かに、坂井さんの言うとおりだ。同性愛に関する相談であれば、既に女性同士で付き合っている遥香さんと絢さんにする方が自然だろう。ましてや、坂井さんと俺は男性だ。女性同士の恋愛からはかけ離れている存在だし、異性の恋人がいる。

 水代さんは女の子に恋をして、告白をしたことをきっかけにいじめが始まった。相良さんには同性愛はしない方がいいと強く言われる可能性も十分にあり得るので、彼女には話さないのは分かるけれど。

「……坂井さんと藍沢さんなら信頼できると思いましたし、何故かは分かりませんが、男性の方が話しやすいな、って。まさか、お姉ちゃんにも相談できるとは思いませんでしたけれど」

「そうですか……」

 男性だからこそ話しやすいと思っていたのか。

「……どうかな、お姉ちゃん。紬ちゃんのことが好きなんだけれど……」

「……恋をするというのは素敵なことよ。本来、性別云々で非難されるべきじゃないと思っているわ。幸い、20年前に比べれば大分理解されてきているけれどね。色々と話は訊いてきたけれど、藍沢君が言うように、加藤さんをここに連れてきたのは……何があっても彼女が側にいてほしいからでしょう?」

「……うん」

 晴実さんは顔を真っ赤にしてはにかみながらそう答えた。

「……そう。それなら、お姉ちゃんから何も言うことはないわ」

 俺も今の晴実さんの様子を見ている限りでは大丈夫だと思う。おそらく、紬さんもそういった晴実さんの気持ちを理解してくれると思うから。

「さてと、私はそろそろこの体から出ることにしようかな」

「えっ、もう行っちゃうの?」

「大丈夫よ。体から抜けるだけで私はずっとあなたのことを見守っているわ。晴実、自分の気持ちを強く持ちなさい。そして、周りにいる人達を信じなさい」

「……うん」

「藍沢君、坂井君。晴実と悠子ちゃんのことをよろしくね」

 そう言うと、女性店員さんが晴実さんの方にもたれかかる。水代さんの霊が体から抜けたんだな。

「……あれ? 私、どうして……って、す、すみません!」

「いえ、気になさらないでください」

「申し訳ございません! 失礼いたします」

 憑依された女性店員さんはそう言うと、すぐに俺達のところから立ち去った。憑依した人が店員さんということもあって、すぐに意識を取り戻すようにしたのかな。

「何だか、夢のような時間でした。まさか、お姉ちゃんと話すことができるなんて」

 晴実さん、嬉しそうだな。どうやら、水代さんが女性店員に憑依したことは晴実さんに良い影響を及ぼしたようだ。今の彼女なら、氷高さんと決着を付けるために俺達と協力をしても大丈夫そうかな。アイスコーヒーを飲みながらそう思うのであった。

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