第48話『降霊述』

 午前9時25分。

 俺と遥香さんが1階のロビーへと向かうと、そこには既に彩花達4人の姿があった。4人の中で最初に俺達のことに気付いたのは坂井さんだった。


「藍沢さん、遥香」

「お兄ちゃん……みんなも元気そうだね」

「ああ。彩花さんも昨日のように寒気があったり、お腹が痛かったりしたことはないからね。遥香の方は大丈夫か?」

「うん。今日は調子がいいよ」


 遥香さんと坂井さんのやり取りを見ているとちょっと懐かしい感じが。2人が兄妹だからかな。実家に住んでいた頃は、美月とこんな風にたくさん話していたんだよな。


「てっきり、エレベーターの中で会うかと思ったんですけど」

「俺達がいる頃から、朝食会場になっていたレストランが段々と空いてきたのでずっといたんですよ。コーヒーや紅茶を飲めますし、フルーツやスイーツも食べられますからね。それで、数分くらい前にレストランから直接ここまで来たんです」

「あぁ、なるほど」


 レストランも1階にあるし、それはいい考えだな。朝食は午前10時までだし、混んでいないなら長居しても問題はないか。


「直人先輩、おはようございます」


 彩花が元気そうに俺の目の前に立つ。


「おはよう、彩花。今日は体調がいいんだって? 良かったよ」

「はい。昨日の食べられなかった分まで食べました」


 そういえば、昨日の朝はあまり食欲がないと言って、全然食べていなかったもんな。たくさん食べちゃったせいでお腹が壊れなければいいんだけど。

 ただ、彩花が元気そうに俺に話してくれることは嬉しいな。姿や声は遥香さんのものだけれど、久しぶりに彩花と話している感覚になれる。

 この調子で遥香さんと絢さんも楽しそうに話してくれればいいけれど……遥香さんは俺の服をそっと掴み、俺のやや後ろに立ってしまった。どうやら、まだ2人の間にはちょっと距離が開いてしまっているようだ。


「……遥香、体調はどうかな?」


 それでも、絢さんは爽やかな笑みを浮かべて遥香さんに言葉を掛ける。


「……うん、昨日より調子はいいよ」

「そっか。なら良かったよ」

「……うん」


 遥香さんは特に嫌そうな表情を見せてはいない。お互いにどうやって距離をなくしていこうか考え中、って感じかな。悪い感じではなさそうな一安心だ。


「みなさま、お待たせしました」


 ワイシャツ姿の相良さんがロビーに姿を現した。

 俺達は相良さんと向かい合うようにしてソファーに座る。


「藍沢様には直接お話ししたのですが、昨晩、円加の妹の晴実ちゃんをこのホテルに招待いたしました。それも絡ませて、今後のことを考えたいと思ったのですが、昨晩……宮原様と坂井様の体に円加の霊が憑依したと聞きました。まずはその話を聞かせていただけますでしょうか」


 そうだな。まずは、水代さんの想いを相良さんにも知ってもらった方がいいだろう。その方が晴実さんと一緒にどうすればいいのか考えやすくなるかもしれないから。


「分かりました。時系列で話した方がいいと思うので、まずは彩花の体に憑依したときの話をしますね」

「お願いします。ちなみに、その時の時刻は?」

「午後……9時前だと思います。花火大会が終わって部屋に戻り、遥香さんがお風呂に入っていたときですから」

「なるほど。その時はまだ考えていたときでしたね」

「彩花の体に憑依した水代さんは、これまでのことを話してくれました。彩花と遥香さんの体を入れ替えたのは自分の仕業であること。そして、その理由は相良さんが氷高さんから脅迫されているこの現状を打破するため、あなたに協力してくれそうな人を見つけたからだそうです」

「そうですか……」


 相良さん、ちょっと嬉しそうな表情を浮かべているな。何だかんだで、水代さんは相良さんのことを想って、この20年間見守ってきたから。


「ただ、氷高さんに対する恨みは相当なもので……俺に対しては殺害するとまで口にしていました。自分のことをネタにして相良さんを脅迫していることは、自分を虐めたことに対して何にも反省していない証拠だと考えているようで」

「確かに、彼女が円加を虐めたことを反省していないのは同意です。私も彼女を許せない気持ちはありますが、殺してしまっては……」


 おそらく、氷高さんが亡くなることで彼女の家族や友人が悲しむからだろう。相良さんは子供達のことを可愛いと言っていたし。もちろん、彼女は水代さんが亡くなったときの悲しみを体験している。


「俺も氷高さんには相応の罰を受けるべきかと思いますが、殺害してはいけないと言いました。そうしたら、俺とは話さないと言われて、彩花の体から抜け出てしまったんです」

「きっと、その直後でしょう。藍沢さんから水代さんが彩花さんの体に憑依したというメッセージを受け取った直前で、遥香の体に水代さんが憑依しました」

「そうですか……」

「話してくれた内容は、基本的に彩花さんの体に憑依したときと同じです。ただ、絢さんが説得してくれたおかげで、氷高さんへの殺人願望をとりあえず抑えることはできました」

「それを聞いて安心しました。今朝……家族と一緒に朝食の会場へと歩いている彼女のことを見かけたので、今も円加の気持ちは落ち着いていると思います」


 絢さんの説得が相当効いたのかな。まあ、説得の後に殺人を犯さないという誓いのキスをしたそうだし。今のところは、その誓いをきちんと守っているということか。


「あとは、氷高さんの娘さんが迷子になったのは、水代さんの仕組んだことでした」

「藍沢様と原田様に接点を持たせるためでしょうね」

「ええ、そうだと思います」


 俺と絢さんが七実ちゃんのことを氷高さんのところまで連れて行った。七実ちゃんは俺のことを気に入ってくれているし、そのことを上手く利用できないだろうか。このことを頭に入れておくか。


「分かりました。ありがとうございます。円加の霊が入り込んだっていう話は初めて聞きました。ただ、今の話を聞くと……毎年、彼女がこのホテルに来ている間に、お客様のような方を探していたんでしょうね。だから、彼女がこのホテルに来るようになってから10年経ってから、入れ替わりが起こったんだと思います」


 確かに、そう考えれば水代さんが自殺してから20年、氷高さんが相良さんを脅迫してから10年経った今になって入れ替わりが起きたことも納得できる。


「あと、彩花の体に憑依しているときに分かったんですが、自殺したあの日、相良さんがもう一度水代さんと話し合って、仲直りしようと考えていたことを今まで知らなかったようです」

「……そうですか。皆様に話すまでは、ごく僅かな方にしかそのことは話していませんでしたから」


 なるほど、だから水代さんは昨日まで相良さんの想いを知らなかったと。おそらく、相良さんの体に憑依したことはないんだろうな。


「みなさまのおかげで円加の気持ちは落ち着いていると思います。しかし、何かの拍子で氷高さんを殺害しようとしてしまう可能性も捨てきれません。現状で、私の考えている目的は私への脅迫を止めさせ、円加に虐めたことについて謝罪をすることです。あと、脅迫は犯罪ですし、20年前のいじめについての記録は家にありますのでそれらのことで逮捕というのも視野に入れております」


 いじめもいじめという名の犯罪だからな。何らかの形で逮捕できればいいけれど。ただ、20年以上前のことなので、そのことについて法的責任を取らせることは難しいだろう。水代さんの想いに沿うのであれば、このことを世間に公表して、社会的制裁を受けるのが一番の近道かな。

 脅迫については現在進行形の話なので、証拠や証言さえきちんと提示できれば逮捕できるだろう。あとは、威力業務妨害の罪になるのかな。不当な理由で料金を安くしてサービスを提供しろと言って、実際にそうさせているから。

 脅迫の解消、水代さんへの謝罪、脅迫などを理由にしての逮捕。相良さんの考えている目的は分かった。晴実さんのことを絡ませながら、今後どうしていくかを話していくことにしよう。

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