第39話『再現バス』

「さあ、直人さん。髪を洗いましょうね」

「お、お願いします……」

 俺は今、浴室で遥香さんに髪を洗ってもらっている。

 あの後、遥香さんは未だにバスタオル姿だったので、寝間着に着替えたらどうかと言ったら、体が冷えてしまったのでもう一度入りたいと言い、1人で入るかと思ったら……俺と一緒に入りたいということで、こうして一緒に遥香さんとお風呂に入っている。

「気持ちいいですか?」

「はい、気持ちいいですよ」

 何だか、昨日の彩花のようだ。まさか、2日連続で女の子に髪を洗ってもらうなんて。ただし、今日は彩花と体が入れ替わった遥香さんだけれど。洗い方が彩花よりも遥香さんの方が優しい気がする。

 目の前にある鏡で遥香さんのことが見える。タオルを巻いている状態なので一安心だ。

「遥香さん、男の人と一緒にお風呂に入って抵抗感がないんですか? 俺だけ特別なのかもしれませんが……」

「もちろん、直人さんが特別っていうのはありますよ。でも、幼い頃は兄と2人で入っていたときもあったので、直人さんとも一緒に入りたいなってすぐに思えたのかもしれませんね。直人さんは一個年上ですし」

「ああ、なるほど」

 坂井さんは大学生だから、遥香さんとは3つくらい違うのかな。

「そういう直人さんだって、すんなりと一緒に入っていいって言ってくれたじゃないですか。やはり、見た目が彩花さんだからですか?」

「それもありますけど、俺には3つ年下の妹がいるので……俺が小学校を卒業するくらいまでは一緒に入ってましたね。さすがに、中学になっても妹と一緒に入っているのはまずいと思って、俺から一緒に入るのは止めようって言ったんですよ」

「お兄ちゃんと同じですね。私もお兄ちゃんと3つ違いなんですけど、お兄ちゃんが中学生になるくらいのときに向こうから止めようって言われたんです」

「そうなんですか。坂井さんとは気が合いそうだ」

 今日、更衣室で水着へ着替えるときに坂井さんと妹トークで盛り上がったな。彼とは兄として、色々と共通点があるかもしれない。特に妹絡みのことでは。

「それにしても、直人さんには妹さんがいたんですね。じゃあ……お兄ちゃん、って呼んだ方がいいですか?」

「それも魅力的ですけど、今、言ってくれただけで十分ですよ。遥香さんにはやっぱり、さん付けが一番しっくりきます」

 とは言ったけれど、彩花の声で「お兄ちゃん」と言われた瞬間にキュンとしてしまったのは事実。

「直人さん。泡を落としますので目を瞑ってくださいね」

「分かりました」

 何だか、昨日の再現をしているようだ。

 遥香さんにシャワーでお湯をかけられ、泡を落としてゆく。その時の手つきも優しい。女の子だからかな。

「はーい、泡を落としましたよ。タオルで髪を拭きましょうね」

「そのくらいは自分で……」

「拭きまーす」

 遥香さんはタオルで俺の髪を拭いてくれる。何だか、お姉さんに髪を拭いてもらっている小さな子供みたいだな。鏡越しで彼女の顔を見ると本当に楽しそうだ。昨日、彩花が髪を拭いてくれたときもこんな感じだったな。

「これで大丈夫ですね。直人さんの髪ってさらさらですよね。いいなぁ」

「特別なことは何もしていないんですけどね」

「……この藍色は染めているんですか?」

「いえ、父親譲りの色です」

「へえ、そうなんですか! 綺麗ですね」

 藍色であることが綺麗なのは今までになかったかもしれない。小さい頃はこの髪の色のことでちょっかい出されたこともあったっけ。

「次は体ですね!」

「……体も洗ってくれるんですね」

 昨日から自分でやっていることがあまりないような気がする。

「はい。午後に海で遊んでいるときから思っていたんですが、直人さんって意外と筋肉質な体つきをしていますよね。服を着ているときは細いのに」

「そう……ですかね。中学時代は剣道をしていて、最近は……部活には入っていないんですけど、女バスのマネージャーのようなことをしていて。女バスに入っているクラスメイトに練習相手してくれって言われたのが始まりだったんですけど」

「へえ……そうなんですか」

 そう言うと、背中に何かが触れて、それが上から下へと流れていく。くすぐったくて思わず体が縮こまってしまう。

「ふふっ、直人さんって背中が弱いんですね」

「急にされたからビックリしたんですよ」

 指で俺の背中をなぞったんだな。彩花はそういうことはしない……いや、彩花の方がしそうだな、そういういたずら。

 まったく。遥香さんは絢さんにも同じようなことをしているのかな。

「じゃあ、体を洗いますね」

「……お願いします」

 何をされるか注意しておかないと。

 初めてだからか、遥香さんは背中を優しく流してくれる。うん、これは気持ちいいな。彩花に負けないくらいに。

「気持ちいいですか?」

「ええ」

「……直人さんの背中って大きいんですね。綺麗ですし」

「綺麗だと言われたことはないですね、たぶん」

 自分の背中なんて全然見ていないし、今もどんな感じになっているのか分からないけれど、遥香さんが綺麗だと言うなら綺麗なんだろう。

「んっ……」

 一生懸命になって洗ってくれるのは嬉しいけれども、遥香さんのそんな声が浴室の中に響き渡るので段々と厭らしい雰囲気になっていく。

「前の方はどうしますか?」

「さすがにそれは自分で洗いますよ」

 こういうところまで彩花と一緒か。彩花ならまだしも、遥香さんに洗わせるわけにはいかない。というか、単に恥ずかしい。

 遥香さんからボディーソープが付いたタオルを受け取って、まだ洗っていない箇所を洗っていく。その間、遥香さんは泡のついたまま両手を俺の肩に乗せ、鏡越しで俺のことをはにかみながら見ていた。

「泡を落としますね」

「はい」

 遥香さんはシャワーで俺の体に付いているボディーソープの泡を落とす。彼女の手が触れる度にちらっ、と鏡の方を見ると彼女と何度か目が合った。

 泡を全て落として、俺は遥香さんと一緒に湯船に浸かる。お互いに向き合っているけれども、さすがに恥ずかしいのでタオルを巻いたままだ。

「部屋のお風呂も結構広いんですね。昨晩は絢ちゃんと一緒に大浴場に行っていたので」

「そうだったんですか。俺はまだ行っていないですね」

「一度、入ってみるといいですよ。結構広いですし、夜だったので露天風呂もちょっと涼しいときに入ることができて気持ち良かったです」

「そうですか。一度、行ってみることにします」

 普段は温泉に入る機会がないから。寮から少し脚を伸ばしたところにスーパー銭湯があるけれど、徒歩圏内ではないのでなかなか行く気になれない。

「もしかして、昨日は彩花さんと一緒に入っていたんですか」

「そうですね。遥香さんのように俺の髪と体を洗ってくれて。こうして一緒に湯船に浸かっていました」

「……そうですか。直人さんの彼女さんだと分かっていても、彩花さんが羨ましいと思ってしまいます。それだけ直人さんのことが好きになっているんですね」

 えへへっ、と遥香さんは笑っている。好きだとさりげなく言われるのもなかなか心にくるものがあるな。

「直人さん……」

 俺の名前を囁くと、遥香さんはぎゅっと俺のことを抱きしめてくる。

「絢ちゃんよりも体が大きいのが分かります」

「……そうですか」

 絢さんも女性としては背丈が高いけれど、さすがに俺よりはね。彼女、スラッとしているし。

「絢ちゃんも今頃、こんな感じで彩花さんと一緒にお風呂に入っているのかな……」

 俺のことが好きだと言っても、恋人である絢さんのことは気になってしまうんだな。俺も彩花のことを気にかけているけれど。

「……気になってしまいますよね、やっぱり」

「ごめんなさい。さっき、直人さんには私のことしか考えないでって言ったのに」

「気にしないでください。彩花と入れ替わってしまったんですから、仕方ないです」

 そう、目の前にいる女の子は宮原彩花の姿や声をした坂井遥香さんなんだ。彼女の中には俺と絢さんに対する好意が隣り合うようにして居座っていると思う。それはきっと、彩花も同じだろう。

「それでも、直人さんとこうしていると落ち着きますし、直人さんのことを愛おしく思います。直人さん……好きです。大好きです」

 そう言うと、遥香さんは俺に口づけをしてきた。俺のことが本当に好きなのか、それとも不安定な気持ちを紛らわしたいのか……何度も彼女は唇を重ねてきたのであった。

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