第12話『君の名は。-前編-』

 午前9時半。

 彩花が眠っている横でホットコーヒーを飲んで、俺は1人の時間を過ごしている。たまにバルコニーに出て海の景色を見たり、スマートフォンでホテル周辺の観光地やお店のことを調べたり。

「……あれ、時間が全然経ってないな」

 そんなことをやっていても、坂井さんが部屋を後にしてから30分くらいしか経っていない。時の流れが恐ろしいほどに遅い。彩花と一緒に何かしていることが本当に楽しかったんだなぁ、と実感する。

 彩花は今もベッドでぐっすりと眠っている。俺が見た限りでは気持ち良さそうに眠っているので、寝られるだけ寝てもらおう。

「テレビでも点けるか……」

 何も音がないのは寂しいからな。ただし、彩花が眠っているので音を小さめに。

 テレビを点けると旅番組をやっていた。日曜日なので、この時間だとニュースではなくてこういう番組をやっているんだな。旅先で旅番組を観るというのは何とも不思議な感じだけれど、なかなかできることじゃないのでこの番組を観ようかな。

「あっ、美味そうだな……」

 意外と旅先で観る旅番組もいいかもしれない。お昼ご飯やおやつの時間にこういうものを食べようかな、と考えさせてくれる。彩花の体調が良くなっていたら、お昼ご飯はホテルの近くにあるお店に行ってみるか。

 そして、ローカルならではのCM。これが俺にとっては意外と旅行の楽しみだったりする。のんびりしていたり、ほっこりしていたりする作りでいいんだよなぁ。

 旅番組を観ていたら、あっという間に時間が過ぎていって、番組が終わったときには午前10時半になっていた。見始めてから1時間も経っていたのか。

「うんっ……」

 彩花の声が聞こえる。目が覚めたのかな。

 ベッドの方を見ると、彩花は上半身を起こして目を擦っていた。

「彩花、体の具合はどうだ? どこか痛いところはある?」

「……えっ? あやか……?」

 彩花はそんなことを言っている。ぐっすりと眠っていたから、まだ寝ぼけているのかな。

「朝食の後にお手洗いの前で女の子とぶつかって、今まで眠っていたんだぞ。2時間弱くらいかな……」

「はあ……」

 まだ寝ぼけているのか。それとも、遥香さんとぶつかって頭とか打っちゃったのかな。もし、体調が悪かったらホテルの医務室や近くの病院に行かないとな。

「彩花、体調の方は――」

「きゃああっ!」

「……えっ?」

 彩花は俺のことを見るや否や、そんな悲鳴を上げる。俺がここにいることが信じられないと言いたげな表情をして、俺のことをちらちらと見ている。

「お兄ちゃんじゃない男の人がどうして私達の部屋に……って、あなたは昨日、お兄ちゃんを助けてくれた方……って、声がおかしい!」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

 彩花にしては俺を見たときの反応もそうだし、今の言葉だっておかしい。まるで、誰か別人のような。声がおかしいとも言っているし。

「彩花。いや……彩花? とりあえず、姿や声は俺と付き合っている宮原彩花だ。信じられないんだったら、洗面所の鏡で見てきてごらん」

「は、はい……」

 彩花はベッドから降りて洗面所の方へと向かう。すると、


「きゃああっ! この可愛い女の子は誰なんですか!」


 彩花だったら絶対に考えられない言葉が聞こえてきたのだ。まさか、まさかとは思うけれど、今、この部屋にいる彩花の姿と声をした女の子は。

 女の子は部屋に戻ってきて、俺の目の前に立つ。

「ねえ、ちょっといいかな」

「……はい」

 まさか、現実にそんなことが起こるわけがない。そう思っていたんだけれど、彼女が起きてからの反応を考えるとそれしか考えられない。


「……君の名は」


坂井遥香さかいはるかです」


 坂井遥香、か。おそらく、坂井さんの妹さん……茶髪のショートボブの女の子の名前だろう。昨日、その子がお兄さんである坂井さんを助けたお礼を言っていたから。彩花と遥香さんが意識を失った後、坂井さんが遥香さんの名を呼んだことで俺は遥香さんの名前を初めて知った。だから、彩花が遥香さんの名前を知っているとは考えられない。つまり、彩花と遥香さんは──。

「入れ替わってしまったのか。彩花とぶつかってしまったときに……」

「……そうみたいですね。彼女の姿、昨日も見ましたし、お手洗いから出ようとして彼女とぶつかったときに見たことも覚えています」

「そう……でしたか。お兄さんから聞いているかもしれませんが、俺は藍沢直人といいます。入れ替わった相手は宮原彩花です」

「……兄から聞いています」

 遥香さん、あまり戸惑っていない様子だな。入れ替わってしまった相手が、一度も会ったことのある女の子だったからかな。

「お兄さんと一緒に遥香さんをここまで運んだとき、意識を取り戻したら互いに連絡するように約束してあるんです」

「そうだったんですか。ということは、私の体に入ってしまった宮原さんのことは絢ちゃんと奈央ちゃんが運んだんですね……」

「……もしかしたら、今頃、向こうの方も2人が入れ替わってしまったことを知ったところかもしれません。ちょっと連絡しますね」

「はい、お願いします。私が連絡したいですけど、この声じゃ私だと信じてくれないと思いますから……」

 既に入れ替わったことを知っていたとしても、声だけだと彩花と話しているようにしか思えないよな。俺もきっと遥香さんの声で彩花と話しても、なかなか彩花と話していると実感できないと思う。

 俺はスマートフォンで坂井さんに電話をかける。

「藍沢ですけど」

『坂井です』

「あの……こちらの方は意識を取り戻しました。体調の方は大丈夫なんですが、その……彩花の体の中に入っている人格といいますか、魂といいますか。一言で言うと、遥香さんと彩花が入れ替わってしまったようなんです」

『……やはりそうでしたか。こっちの方も体調は良くなったんですが、遥香の様子がどうもおかしいと思ってよく話してみたら、どうやら遥香の姿をした宮原さんのようで……』

 なるほど。だから、落ち着いて受け答えができるんだな。あと、彩花の意識も取り戻したのか。

「すみません。これからそちらに行ってもよろしいでしょうか。実際に2人を合わせて入れ替わっていることを確認したいので。部屋は15階の1501号室と1502号室ですよね」

『そうです。では、部屋でお待ちしています』

「分かりました。今すぐそちらに向かいます。失礼します」

 そして、こちらから通話を切った。

「宮原さんの方はどうですか?」

「意識を取り戻して、向こうの方も魂が入れ替わっていることに気付いたそうです。これから、遥香さん達が泊まっている部屋に一緒に行きましょう。一応、遥香さんと彩花がお互いに入れ替わったことを確認したいので」

「……そうですか。分かりました。絢ちゃん、私の姿を見てどう思うんだろう。可愛い女の子ですからショックはさほど受けないとは思いますが……」

「その絢さんというのは遥香さんの恋人の女性ですよね」

「はい、そうです」

「……きっと、分かってくれますよ」

 それに、今頃、坂井さんが状況を説明してくれていると思うし。彩花も遥香さんのようにあまり混乱していなければいいけれど。

「さあ、行きましょうか。彩……遥香さん」

「はい」

 魂が遥香さんでも、姿や声は彩花のままなので名前を間違えそうになるな。ただ、彩花の時よりも、ちょっと大人しめな感じがする。敬語で話しているからかな?

 俺は遥香さんと一緒に、坂井さんの待っている15階の客室へと向かうのであった。

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