第10話『凍える夢、温かい現実。』

 8月25日、日曜日。

 目を覚ますと、いつもよりも高い天井が見えた。一瞬、ここはどこなのかと思ったけれど、旅行に来ているんだという現実を思い出す。旅先の朝はこういう体験をほぼ必ずと言っていいほどするのだ。

 部屋の電気は消してあるけれど、カーテンの隙間から漏れている朝陽のおかげで、薄暗いけど部屋の中の様子も見ることができる。部屋の時計で時刻を確認すると、今は午前6時過ぎか。


「んっ……」


 俺の隣ではバスローブがはだけた状態の彩花がぐっすりと眠っている。寝顔が可愛い。

 昨日は眠気がすぐにきてそこまでイチャイチャできなかったな。


「まったく、彩花は……」


 可愛くて、美しくて、目が離せない女の子だ。何年経っても、この雰囲気は全然変わらずに大人らしくなるんじゃないかと思う。


「こういう贅沢な旅行、プレじゃなくて、本当のハネムーンでも行こうな」


 俺は彩花の前髪をそっと掻き分ける。すると、


「んんっ……」


 彩花がゆっくりと目を開けた。しまった、彩花を起こしちゃったか。


「直人、先輩……?」

「ごめん、彩花。起こしちゃった――」

「せんぱいっ!」


 彩花は喜んだ表情をして、俺のことをぎゅっと抱きしめてきた。


「良かった。直人先輩を抱きしめられて……」

「どうした? 怖い夢でも見たのか?」

「……はい。昨晩、イチャイチャ影響なのでしょうか。夢の中で直人先輩の近くにいるんですけど、先輩に一切触れることができないんです」

「そうなのか……」

「直人先輩に向けて手を一生懸命伸ばすんですけど、先輩に触れることができなくて。まるで、私と先輩の間に透明な壁が立っているような。それに、直人先輩は私のことに全然気付いていない感じで。先輩の名前を呼んでも、私の方に振り向いてくれないんです。まるで、私がいない人間のように……」

「それはかなり怖い夢だな……」


 俺が近くにいるのに、触れることもできなければ、気付いてもらうこともできない。彩花の夢に出てきた俺、相当薄情な人間だな。


「夢では寂しい想いはしただろうけれど、現実ではちゃんと俺はここにいる。彩花だって俺の側にいる。現に、こうして抱き合ってる。だから、大丈夫だよ」


 彩花からしっかりと優しい温もりだって感じている。彩花だって、俺の温もりを感じてくれていることだろう。


「……じゃあ、キスしてくれますか?」


 潤んだ瞳で俺のことを見つめながら、彩花はそんなことを言ってきた。それがとても可愛らしく思える。


「分かった」



 俺は彩花にそっとキスする。


「あっ……」


 すると、彩花の体がビクッと震えた。彩花のことを見ると、顔が青白いな。


「寒い……」

「そういえば、夜中はずっと冷房つけっぱなしだったな。バスローブがはだけたその姿じゃさすがに寒いし、ちょっと冷房を弱めにしておくか。彩花はふとんの中に入ってろ」

「は、はい……」


 俺はベッドから降りて、エアコンのスイッチを探す。



「これか……」

 設定を見てみると、24℃で風の強さは「中」か。一度もいじっていないから、昨日からずっとこれだったのか。とりあえず、温度を27℃にして、風の強さも「弱」にしておこう。

 エアコンの設定を終えて、俺は彩花が横になっているベッドに戻る。


「24℃で風もそれなりに強い設定になってた。これじゃ寒いわけだ。エアコンを弱めておいたから」

「……ありがとうございます」


 彩花の顔を見てみると、怖い夢を見たこともあってか、いつもよりも青白いな。


「直人先輩、寒気がします。イチャイチャして汗掻いちゃって、バスローブ姿のまま眠ったせいかもしれません。先輩は大丈夫ですか?」

「俺はぐっすり眠れて元気だよ。寒気がなくならないようだったら、今日は海やプールは止めておくか。もちろん、元気になり次第入るってことで」

「そうですね。ごめんなさい、直人先輩」

「気にしないでいいよ。それに、ホテルの近くには観光地や有名な甘味処があるから、散策してみるのもいいかもしれないね。今日も晴れて暑くなるけど。まあ、まだ丸々3日間あるから、何をしようかゆっくり考えよっか」

「そうですね……」


 それでも、彩花はしょんぼりとしている。今日も俺と一緒に海やプールで思う存分に遊びたかったのかもしれない。


「……直人先輩」

「うん?」

「私のことを温めてくれませんか? 布団の中で抱きしめ合えば温かくなると思うので」

「そうだな。分かった。それに何だか今、彩花を抱きしめたい気分だったんだ。ふとんの中で温め合おうか」

「はいっ!」


 彩花はようやく笑顔を見せてくれた。今、彼女に必要なのは何らかの形で、俺をしっかりと感じることだと思う。

 俺はベッドに入り、横になりながら彩花のことを抱きしめる。俺には温かく感じるけど、昨晩ほどではないかもしれない。


「……直人先輩の温もり、とても安心します」

「もしかしたら、怖い夢を見て体が冷えたっていうのもあるかもしれないな」

「あんな夢、二度と見たくないです」


 よく、夢っていうのは自分の思ったことを映し出すって言うけど。もし、俺と離れたらどうしようと無意識に思ったのかな。それとも、昨晩、俺と激しく触れ合ったから、俺と離れたくないという想いがより強くなり、その反動で寂しい夢を見てしまったのか。


「少なくとも、現実では俺は彩花から離れるようなことはない。安心しろ」

「……分かっています。私も直人先輩からは離れません」

「うん。それに、実際にこうして一緒にいるんだからさ。早くその夢を忘れることができるといいな」

「そうですね。早く忘れてしまいたいです」


 実際に寒気を感じるほどだ。相当寂しかったのだろう。


「こうしているとほっとします。直人先輩、大好き」


 彩花の今の様子からして、遅くても明日からは海やプールで遊ぶことができるだろう。

 それからしばらくの間、俺と彩花はベッドの中で体を温め合ったのであった。彩花が早く元気になるといいな。

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