第26話『Shake hands』

 咲と一緒に紅林さんがここに来ることになった。

 紅林さんには悪意はなくて、ただただこれまでのことを謝りたいだけだとは分かっているんだけど、それでも緊張して、ちょっと息苦しくなる。


「大丈夫だよ、僕がついているから」


 そう言って、御子柴さんは俺の左手の上にそっと手を添える。御子柴さんがとても頼もしく思えると同時に、俺がとても頼りなく思える。


「そういえば、紅林さんっていう女の子は、電話をかけてくれた女の子と同じ高校に通っているのかな」

「いや、紅林さんは月原高校に通っているんだ」

「えっ、そうだったの? 紅林……聞いたことないなぁ。自分のクラスにも剣道部にもいないし」

「意外とそんなもんじゃないか?」


 俺なんて部活に入ってないから、去年と今年で同じクラスになった生徒以外の名前はほとんど知らない。あとは彩花や渚に関わっている生徒くらいかな。紅林さんも6月に咲と再会するまで全然知らなかった。


「どういう子か楽しみだな」

「御子柴さんみたいに可愛い女の子だよ」

「……き、君は口が上手いなぁ」


 御子柴さんはそう言うと、頬を赤くして視線をちらつかせる。

 さて、時刻はそろそろ午前11時。予定通りなら、もうすぐ咲と紅林さんがここに来るはずだ。

 ――コンコン。

 そんなノック音が聞こえた。

「どうぞ」

 俺がそう言うと、扉が開き、金崎高校の制服姿の咲と、白いワンピース姿の紅林さんが病室に入ってくる。

 紅林さんの姿を見ると、屋上で決断を下したときと、つい先日、俺の家に謝りにきたときのことを思い出す。そのせいか、寒気を感じる。


「おはよう、直人。突然でごめんね」

「別にかまわないよ」

「……そちらの女性は?」

「この病院に入院している御子柴香苗さん。彼女、月原高校に通っている2年生なんだよ」

「へえ、そうなんだ。杏子は彼女のこと知ってる?」

「……ううん、初めまして、だね」


 紅林さんの方も御子柴さんのことを知らなかったみたいだ。


「初めまして。僕、御子柴香苗といいます。心臓に病気を抱えていて、近日中に手術を受ける予定なんだ。あと、藍沢君のことは剣道を通じて、僕の方が一方的に知っていてね。今週に入ってから、こうして彼の病室に来て色々話しているんだ」

「そうなの。初めまして、あたし、広瀬咲。金崎高校に通っていて、直人とはほんのちょっとの間だけど恋人として付き合ってた」

「へえ、じゃあ、広瀬さんは藍沢君の元カノなんだ」

「まあ、そうなるかな……」


 咲は頬を赤くしながらはにかんだ。記憶を失っている間だけ付き合って、たくさん迷惑をかけたのに、それでも付き合っていたと言ってくれるのは嬉しい。


「それで、あたしの隣にいるこの子は紅林杏子。中学時代からの親友で、今は月原高校に通っているの。まあ、直人と色々あって……前に謝ろうと思っても、ちゃんと謝れなかったから、改めてここに来たの」

「軽くだけれど、事情は直人君から聞いているよ。直人君にこの場にいてほしいって言われたからね」

「そうなの。じゃあ、分かったわ。御子柴さんもここにいて」

「ああ」


 いよいよ……本題に入るのか。

 あのときはずっと紅林さんへの罪悪感に苛まれて、紅林さんに殺してもらう形で逃げようと思ったけれど、いつまでもそうしているわけにはいかない。紅林さんとちゃんと向き合わないと。

「杏子、大丈夫そう?」

「……うん」

 すると、咲の後ろにいた紅林さんは一歩、二歩……と前に出て、俺の目の前に立つ。彼女は真剣な眼差しで俺のことを見つめている。

 ドクン、と鈍い鼓動が体中に響き渡って、息を呑む。どんな言葉を言われ、どんな表情を見せるのか。それが未だに恐くて、逃げたい気持ちを生まれさせる。


「大丈夫だよ」


 御子柴さんはそっと俺の手を握ってくる。彼女の手の柔らかさと温かさが、ざわめいた気持ちを幾らか落ち着かせてくれる。

 ようやく俺は紅林さんの眼を見ることができたのだ。彼女の潤んだ眼を。


「……直人君。直人君のことを傷つけてしまって、迷惑をかけてしまって本当にごめんなさい」


 泣きそうになりながら震えた声で紅林さんはそう言うと、深く頭を下げた。


「咲も本当にごめん」

「……何度も謝らなくてもいいって。あたしはもう大丈夫」


 そんなことを言う咲の様子を見る限り、紅林さんのことを許して、過去は過去と吹っ切れているようだった。

 紅林さんはたくさんの人に巻き込み、その果てに自殺をしようとした。それでも、咲達に支えられて今、ここに立っているんだ。彼女は彼女なりに前を見ようとしているんだ。そんな彼女に対する俺の答えは――。


「紅林さんの首はもう大丈夫なのか?」


 紅林さんはカッターナイフを使い、首筋を切ることで自殺をしようとしたのだ。その際に生じた傷がどうなっているのか、とても気になっていた。


「……まだ、傷跡は残ってるよ。普段は髪で隠れるからいいけれど。普通に生活する分には何にも支障ないから大丈夫だよ」

「そっか。なら良かった」

「消えてほしいと思うけれど、消えなくてもいいとも思っているの。これは私がしてきてしまったことの痕だから」

「そうか。咲とは仲直りできた?」

「……うん。今はインターハイがあるから、たまに様子を観に行ってる。今日もこれから一緒に行くつもり」

「そっか。それなら良かった」


 俺が原因で紅林さんと咲の間には深い溝が生じてしまっていた。それが解消されたなら俺は嬉しい。


「俺は紅林さんが元気になればそれでいいと思っているんだ。紅林さんが俺にしたことに対して許すとか許さないとかじゃなくて、紅林さんが元気になって、咲と仲直りできたかどうかが一番大切だと思ってる」

「直人君……」

「もう、死のうなんて思わないでくれ。俺が言えるような立場じゃないとは思うけれど。俺も紅林さんみたいに向き合えるように頑張ってみるからさ」


 向き合うべきことに向き合うとする。

 俺がすべきことを紅林さんは示してくれているような気がしたのだ。俺も頑張らないといけない。いつまでも、彼女達を待たせてはいけないから。


「……分かったよ、直人君。ありがとね」


 紅林さんの眼からは涙が流れ出した。


「じゃあ、これからもよろしく」


 俺はゆっくりと紅林さんに右手を差し出した。お互いに気持ちを切り替えて、新しい一歩を踏み出すために。


「うん、よろしくね」


 紅林さんと握手を交わす。

 この確かな温もりは互いに生きているからこそ感じられるものなんだ。その温もりの先にあった紅林さんの笑顔は、今まで見てきた中で一番可愛く思えたのであった。

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