第25話『君といれば』

 7月27日、土曜日。

 唯の夢を見たこともあって、あまり眠れなかったけど、不思議と眠気は襲ってこない。ただ、食欲はあまりなくて、いつもは残さない朝食を残した。

 午前10時くらいになると、昨日と同じように御子柴さんが病室にやってきた。彼女のおかげで暇な時間がだいぶ減っている。彼女が来ると拘束を解かれるから気分もいいよ。


「やあ、藍沢君。今日も来ちゃった」

「……いらっしゃい、御子柴さん」

「藍沢君、あまり顔色が良くないように見えるけど、気分が悪いのかい?」

「ちょっと食欲がなくてさ。昨日、あまり眠れなかったし」

「そっか」


 御子柴さんはそう言うと、椅子をベッドの近くまで動かし、腰を下ろした。


「何だか悪いね。俺が横になって、御子柴さんに座らせて」

「気にしなくていいよ。それに、だるくなったら君の横で寝ればいい……なんてね」


 えへへっ、と御子柴さんは無邪気な笑みを見せる。まあ、本当に具合が悪そうになったらベッドで横になってもらおう。

 ――プルルッ。

 俺のスマートフォンが鳴っている。すぐに鳴り止まないってことは電話か。

 確認してみると、発信者は『広瀬咲』となっている。


「別の高校に通っている人からだ」

「僕のことは気にせずに出て」

「ああ、すまない」


 咲からの電話に出るけれど、御子柴さんが側でずっと俺のことを見ている。まじまじと見られると、御子柴さんのことがどうしても気になってしまうな。


「もしもし」

『もしもし。直人、体調の方はどう?』

「……まあ、入院し始めた直後に比べればだいぶ良くなったよ。咲はバスケの方の調子……どうなんだ?」

『月原を目標にして、チーム一丸で練習に励んでいるわ。まあ、もうインターハイ直前だから今日と明日は軽い練習だけにしているの。予選よりは良くなってる』

「そうか。それなら良かった」


 月原を目標に、か。咲の通っている金崎高校は咲のワンマンチームという印象が強かったからなぁ。バスケはチームプレーという理由で、チームプレーに徹していた月原高校を目標にしているのかもしれない。


「何日か前に美緒と美月が見学しに行ったんだよな。迷惑とかかけてなかったか?」

『ううん、そんなことないよ。むしろ、客観的な意見が聞けて助かったくらい』

「そっか。なら良かった」


 美緒はおっとりしているけど、意外と物事をよく見ているので、的確なことを言ってくれることが多い。

 また、そのおっとりさを無くしたのが美月。あいつも結構頭の回転がいいから、練習風景を見て咲達に考えを言ったんだろうな。


「月曜日からだったっけ」

『うん、そうだよ』

「……頑張れよ、咲。応援してる」

『ありがとう。でも、月原高校を応援した方がいいんじゃない? 宮原さんや吉岡さんに怒られちゃうかもよ?』

「応援するのは何校あったっていいだろ」

『あははっ、そうかもね』


 正直、インターハイでは月原高校にも金原高校にも優勝してほしいけど、それはできないからなぁ。インターハイで両校が対戦するとしたらまた決勝戦なのかな。


『あのさ、直人。今、電話をかけたのは適当に喋りたかったんじゃないんだ』

「……そうだとは思ってたよ」

『全ては直人次第なんだけど、改めて……杏子があなたに謝りたいって言っているの。それで、直人さえいいなら……お見舞いを兼ねてそっちに行きたいんだけれど。もちろん、あたしもついているわ』

「……そうか。紅林さんが……」


 今朝、唯の夢を見て目が覚めたときに似た息苦しさを感じる。紅林さんの名を聞くとどうしても、あの日の屋上の光景が鮮明に蘇ってくるからだ。


 ――悲しげな笑顔。

 ――首からの吹き出す血潮。


 今でも、そのことを思い出すと気分が悪くなってくる。


「大丈夫かい? 藍沢君……」

「……ああ、何とか」


 恐い気持ちや逃げたい気持ちが体に影響してしまっているのか。


『どう、かな? もちろん、直人が嫌だと思えばそれでかまわないから』

「……ちょっと待っててくれないか」

『分かった』


 俺は一旦、通話モードから保留に切り替える。


「電話の相手はもしかして、昨日話してくれた柴崎さんの事件に関わっていた人なのかな? 君の表情が変わったから……」

「……いや、そうじゃないよ。今、俺がここに入院するきっかけを作ってしまった女の子の友人からなんだ」

「そうなのか……」

「前に一度、家に謝りに来てくれたんだけど、そのときは……物凄い罪悪感に苛まれて、死のうとしたんだ、俺は。それで2度目の入院になった」

「ここに戻ってきたのはそれがきっかけだったんだね」

「ああ」

「その女の子が改めて、謝りたいらしいんだ。俺さえ良ければ、電話をかけてくれた女の子と一緒に病室に来るって」

「そうなんだ。でも、君はその女の子をきっかけにここにいる。恐くないのかい?」


 今、俺が一人で病室にいたら、きっとすぐに断っていただろう。あのときと同じようなことになりかねない気がしたから。そのことで、みんなに迷惑をかけるのが嫌だったから。


「今でも、恐くて、辛くなるときがある。逃げたい気持ちもいっぱいあるさ。でも、いつかは、それに向き合わなきゃいけないときは来ると思うんだ。今がそのときじゃないかなって……」

「藍沢君……」

「俺一人だと断っていたと思うけど、御子柴さんが一緒にいてくれたら……頑張れるかもしれない」


 心臓に重い病気を抱えていても、絶対にまた剣道をしたいという御子柴さんを見て、俺も向き合わなきゃいけないと思えるようになってきた。御子柴さんと一緒なら、まずは紅林さんと向き合うことができるかもしれない。


「御子柴さん、ここにいてくれるかな」


 俺がそう言うと、御子柴さんはにっこりと笑って俺の手を握ってきた。


「分かった。僕で良ければここにいるよ」

「ありがとう」

「……君の力になれそうで嬉しい」


 御子柴さんからの了承を得たところで、俺は咲との通話を再開する。


「お待たせ、咲。来てくれていいよ。俺はいつでもかまわない」

『うん、ありがとう。じゃあ、急で申し訳ないんだけど、杏子と一緒に今からそっちに向かっていいかしら。あたし、午後から部活があるから』

「ああ、分かった」

『30分ちょっとかかると思うから、11時過ぎにそっちに着くかな』

「分かった。じゃあ、待ってるよ」

『うん。じゃあ、また後でね』


 咲の方から通話を切った。


「11時くらいに着くって。そこまで御子柴さんはいられるかな」

「検査とかの予定もないし、大丈夫だよ」

「すまないな。俺の用に付き合わせることになっちゃって」

「いいよ。この前言ったじゃないか。君の力になりたいってね。それができそうで、僕は嬉しいんだ」

「……そう言ってくれると、本当に助かる」


 御子柴さんという存在があって、俺はどれだけ助けられているか。

 ただ、こうしていると、唯が亡くなった直後、全てを1人で抱え込まずに誰かに助けを求めるられていたら、俺は今頃どうなっていたのかなと思う。そんなことを考えながら、御子柴さんと一緒に咲と紅林さんが来るのを待つのであった。

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