第21話『つるぎ-前編-』

 7月26日、金曜日。

 午前10時。俺は朝食を食べ終え、カウセリングが終わって病室で暇な時間を過ごしている。本を読むとかテレビを観るとか、時間を潰せそうな方法はあるんだけれど、何もする気になれなかった。


「今日も美月と美緒ちゃんがお見舞いに来るって」

「……そうか」


 美月と美緒は毎日、決まって昼前にお見舞いに来てくれるな。有り難い気持ちと申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


「今日は何のスイーツを持ってきてくれるかしらね」


 図々しいな、母さん。まあ、俺もちょっと楽しみになっているけれど。


「ふふっ、直人も楽しみなのね」

「……まあな」


 入院が始まった直後は誰とも会いたくなかったんだけれど、今は誰かと話している方がいいかなと思えるようなった。それはもちろん母さんの看病であったり、美月や美緒のお見舞いであったり。それに――。


「藍沢君、ここの部屋だったんだね」


 入り口の方に視線を向けると、そこには昨日と同じく桃色の寝間着姿の御子柴さんが立っていた。いつの間に入ってきたんだか。


「藍沢君、おはよう」

「おはよう、御子柴さん。ここだってよく分かったね」

「端の部屋から1つずつネームプレートを見ていったんだよ」

「……なるほど」


 それは確実に分かるな。昨日だって、このフロアの休憩室で御子柴さんと話していたわけだし。

「ほら、御子柴さん。ここに座って」

「ありがとうございます」

 母さんがベッドのすぐ側まで動かした椅子に、御子柴さんはゆっくりと腰を下ろした。

「私、飲み物とか買うために売店へ行ってくるわね」

 御子柴さんがいるから大丈夫だと思ったのか、母さんは僕の拘束を解いた。

 あれ、美月や美緒も見舞いのときに持ってきてくれているから、飲み物は冷蔵庫の中に結構入っているはずなんだけれど。

 母さんは小さく手を振って、病室を出て行ってしまった。


「僕達に気を遣ってくれているのかな」

「そうかもしれないよ。昨日も2人にしたもんなぁ」


 御子柴さんが話しやすいようにという母さんなりに考えての行動なのだろう。


「親御さんがいてもかまわないけれど、2人きりの方が色々と話しやすいかな」

「……そっか」

「この病院に君がいて嬉しいよ。僕のいる病室とか、ご近所さんに同年代の人が全然いないからね。それに藍沢君とは話したいことがいっぱいあるんだよ」

「そう言ってくれると、何だか光栄だな」


 同じ高校に通っていることはもちろんのこと、剣道女子である御子柴さんにとって、剣道経験者の俺と話したい話題がたくさんあるのだろう。


「まあ、病室にいても暇なのが一番の理由だけれどね」

「今の俺と同じだ」

「ただ、君とこうして話していると、まるで学校にいるみたいで気持ちが安らぐよ。君がここにいてくれて嬉しい。もちろん、お互いに元気になって退院できるのが一番だけどね」


 そう言って見せてくれる彼女の笑顔はとても可愛らしい。きっと、教室や部活では今のような笑みをたくさん見せていたんだと思う。

 まるで、学校みたいか。彩花や渚はインターハイへの練習があるから会っていないし、先は金崎高校で、美緒は洲崎高校の生徒。それを考えると、御子柴さんは俺と話せる機会の多い貴重な月原高校の生徒なんだ。


「そういえば、藍沢君ってさ。1年の時の仮入部期間中に剣道部に来たことがあったよね。そのときにはもう僕は入部を決めていたんだけれど」

「ああ、見学には行ったよ」

「やっぱり! 僕、中学時代に君が地方大会で優勝したネットのニュース記事を見たことがあるんだよ。だから、藍沢君が月原にいることを知って興奮したんだよね」

「そうだったのか」


 確かに、俺は中学の1年生と2年生のときに、故郷の方での大会で優勝したことがある。2年生の時には取材も受けて写真も撮られたっけ。恥ずかしかったから、自分の載った記事は見なかったんだけど、そうか、写真付きだったのか。


「君と一緒にこれから3年間剣道ができると思ったんだけれどね。入部してこなかったから残念だったよ」

「俺のことを買いかぶり過ぎなんじゃないか?」


 剣道部は男女一緒に活動しているし、当時の御子柴さんにとっては俺と剣道ができるのが楽しみだったんだろうな。彼女の高校生活の楽しみを一つ、奪ってしまったような感じがして罪悪感が。


「……そういう姿勢なところがまた、君と剣道したかった気持ちを蘇らせるよ。あのときの興奮もね」

「ははっ」


 御子柴さんと剣道をしていたら、俺の高校生活はどうなっていたんだろうか。きっと、女バスのサポートはしていなかっただろうな。応援するのは変わらないだろうけど。


「おっと、まずいまずい。興奮なんてしたら、僕の心臓がどうなるか」

「鼓動が早くなるからか?」

「うん。倒れる直前も、心臓が激しく鼓動するタイミングで痛みが響いたからね。心臓に負担をかけるようなことはしちゃいけないと思って」

「なるほどなぁ」

「でも、気も付けていれば大丈夫だよ。今だって興奮したけれど、特に気分が悪くなったりもしていないから」

「そうか。でも、あんまり無理はするなよ。あと、気分が悪くなったり、辛くなったりしたら遠慮なく俺に言ってくれ。看護師さんとかを呼ぶから」

「……ありがとね」


 御子柴さんはほんのりと頬を赤らめてそう言った。普段は男っぽい喋り方でさっぱりしているけれど、今のように女の子らしい姿も見せるんだな。


「僕、藍沢君なら今から剣道を再開しても十分に通じると思うんだけどな」

「もう2年以上やってないからな。感覚を取り戻す前に高校生活が終わっちまうよ。それに、5月から6月にかけて女バスのサポートもしてそれなりに楽しかったし」

「そうなんだ」


 女バスのこともあるけれど、剣道のことになると唯のことを思い出してしまう。彼女のことを考えると、剣道をする気にはなれない。高校を入学したときに、見学はしても入部をしなかったのもそれが理由だ。


「ねえ、藍沢君。良かったらなんだけれどさ、剣道部に入部しなかった理由って、いったい何なのかな。僕でよければ藍沢君の力になる。ううん、むしろなりたいんだ」

「み、御子柴さん……」


 そう言ってくれることは有り難いけれど、俺は……。


「僕はこんな体だけれど、今だって、君と剣道をしたいと思っているよ。もちろん、部活でじゃなくてもいいからさ」


 すぐ近くから向けられる御子柴さんの真剣な眼差しは、大病を患っている人間とは思えないくらいに力強いものだった。とても臆病な俺のことを引っ張ってくれるんじゃないか、と思えるほどだ。

 それでも、逃げたい自分がいる。喉まで出かかっているけれど、口をなかなか開くことができない。


「お兄ちゃん、お見舞いに来たよ」

「なおくんの好きなプリンをまた……って、あれ?」


 そこには、きょとんとした表情をしている美緒と、目を見開いている美月がいたのであった。

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