第14話『カステラ』

 午前11時。

 途中でカステラを買った私と美月ちゃんは、なおくんの入院している病院に辿り着いた。大した時間歩いていないんだけれど、洲崎町よりも暑いからなのか汗をたくさん掻く。病院に入った瞬間に寒いなと思ったくらい。

 受付で面会の手続きを済ませて、なおくんの病室へと向かう。とても静かだから、今は眠っているのかな。

 病室に入ると、そこには病床で仰向けの状態になって拘束されているなおくん。その横に浩一さんとひかりさんがいた。


「おっ、美月に美緒ちゃん」

「暑い中、来てくれてありがとう」

「いえいえ。それに、ここに通い続けようって決めましたから」


 私がそう言うと、浩一さんとひかりさんは穏やかな笑みを浮かべた。その笑みは嬉しさというよりも、安心から見せているように思える。

 ベッドに拘束されたなおくんは無表情で天井を眺めていたけれど、私の声に気付いたからか首だけこちらの方に向けてきた。


「み、美緒……」


 私の名前を呟くと、曇った表情をして視線をちらつかせる。


「……どうして来たんだ」

「お兄ちゃん、美緒ちゃんに向かってそんなこと……」

「だって、美緒の手は俺のせいで傷付いたんだ。そんな俺に対して見舞いなんてしなくていいんだよ」


 そう言うと、なおくんはゆっくりと目を瞑ってしまう。やっぱり、カッターナイフで私の手が傷付いたことに罪悪感を抱いてしまっているみたい。


「直人、美緒ちゃんと美月が来てくれたんだぞ。そんな言い方はないんじゃないか?」

「……来てくれなんて頼んでない」

「まあ、今は美緒ちゃんと顔を合わせづらいっていう気持ちは分かるけどよ……」

「いいんです、浩一さん。私もなおくんの気持ちも分かりますし」


 なおくんの気持ちを考えたら、私は早く病室を後にした方がいいかもしれない。けれど、


「……せっかくなおくんと一緒にカステラ食べようと思ったのに」


 私がそう言うと、なおくんの体がビクついた。どうやら、好きな食べ物に対して体は正直な模様。


「い、今は菓子を食べる気分じゃないんだ」


 なお、口から出る言葉は正直ではない模様。

 まったく、なおくんはなかなか本音を言わないところが悪いところだよ。カステラ食べたいのは分かりきっているんだから、素直に言えばいいのに。


「なおくん、こういうときのカステラっていいよ」

「カステラはいいぞ、お兄ちゃん」


 本音を引き出すために、カステラを一緒に食べようと誘ってみる。


「カステラはいいぞ、直人」

「直人、カステラはいいのよ」


 私と美月ちゃんの様子を見て空気を察知してくれたのか、浩一さんとひかりさんも加勢してくれる。


『カステラはいいぞ』


「ああもう分かった! カステラどうもありがとう! 今ここで一緒に食うぞ!」


 そう言うと、なおくんはむっとした表情をして私達の方を向く。


「素直になったご褒美として、なおくんにカステラを食べさせてあげるね」

「カステラくらい自分で食える」

「そんな状態で?」

「……そういえば、そうだったな」


 ベッドに縛り付けられているのに、自分でカステラを食べられるわけがない。それでも自分で食べると言ってきたのは相当カステラが食べたいのか。

 ただ、今のなおくんとのやり取りは、昔に戻ったような感じがした。なおくんの家に遊びに行っているような懐かしい感覚。


「私が食べさせてあげるからね」

「分かった。まあ、こんな状況だから美緒に食べさせてもらうだけだからな」

「ふふっ、そっか。じゃあ、なおくんが退院したときには、今度は私がなおくんにカステラ食べさせてもらおうかな」

「そのくらい、お安いご用だ」


 なおくんからの了解も得たところで、私は購入したカステラを取り出す。元々、なおくんに食べさせるつもりだったので、最初から1人分に切り分けられているものを購入しておいた。

 フォークでなおくんが食べやすい大きさに切り分けて、なおくんの口の方へとカステラを持っていく。

「はい、なおくん。あ~ん」

 無言のまま口を開けたなおくんにカステラを食べさせる。

 なおくんはゆっくりと口を動かして

「……美味しい」


 ほんの僅かだったけれど、なおくんの口角が上がった。そんな彼の反応がとても嬉しかった。食べ物の力って凄いな。


「もっと食べさせてほしいんだけれど、さっきからパシャパシャうるさい」

「気にするな。美緒ちゃんにもっと食わせてもらえ」


 そう言って、浩一さんは楽しそうな様子で私達の方にスマートフォンを向けていた。パシャパシャっていうのは今の光景を撮影していた音だったんだ。どんな風に写っているのかは分からないけれど、なおくんの写真、ほしいなぁ。


「後でメールかSNSで送るから安心しな、美緒ちゃん。学生時代にカメラにハマったこの俺が、直人とのツーショット写真をバッチリ撮影したからよ」

「ありがとうございます」

「なあに、お安いご用さ。直人の写真を取り終わったら、俺は母さんにカステラを食べさせてもらう。それを美月か美緒ちゃんに撮影してもらうつもりだ」

「あらあら、お父さんったら急に甘えんぼさんね」

「今の直人と美緒ちゃんを見たら俺も食べさせてもらいたくなった!」

「ふふっ、昔に戻ったみたいね」


 浩一さんとひかりさん、とても幸せそう。私も将来、なおくんとこういう風に笑い合えるようになりたいよ。


「まったく、この父親は。勝手に写真を撮るわ、母さんに食べさせてもらおうと考えつくわ……」


 なおくんは呆れた様子だった。ただ、それは以前のような自然な振る舞いのように見えた。

 きっと、浩一さんはどんな様子であっても、なおくんの自然な反応を引き出して、写真に収めたいんだと思う。それをこういう場でできるのだから、さすがはなおくんの父親だなと思った。

「美緒、その……いいかな」

 すると、なおくんは再び口を開ける。

「はいはい」

 私はカステラを切り分けてなおくんに食べさせ、その流れで私もカステラを一口食べる。


「美緒、フォークが一緒なんだけど……」

「私は別に気にしないよ? それに、か、間接キスできたし……」


 間接キスって口にしてみると凄く恥ずかしい。さっきまで寒かったんだけれど、急に暑くなったような気がする。


「まあ、美緒がいいって言うなら別に俺はかまわないけれど」


 そう言うなおくんからは特に嫌がったり、怒ったりする気配は見られない。美月ちゃんがいるからか、昔からなおくんはこういうことに関して寛容なの。もしかして、彩花ちゃんや渚ちゃんともあったのかな。

 何事もなかったかのように再び口を開けるなおくんを見て、私はちょっと安心したのであった。色々あったけれど、なおくんの心は少しずつ元の形に戻ろうとしているように思えたから。

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