第10話『背中合わせの我儘』

 ――死にたい。

 ――殺されたい。


 なおくんが隠し続けてきたそんな感情は、紅林さんによって解放された。いや、なおくんの意思で隠し続けていたから、姿を現したというのが正しいだろうか。

 病院から、なおくんが精神的に不安定になったり、暴れたりしたときに服用させる薬が処方されていた。その薬により、なおくんは虚ろな表情になって。強制的に眠りに落ちていく。今も眠り続けている。

 今までは、なおくんが自ら感情を抑えていたことによって穏やかな暮らしができていたけれど、一度でも剥き出しになった感情を穏やかにしていくのはかなり難しいと思う。

 このまま家にいると、どうなってしまうか分からない。今回は紅林さんに殺される形で死ぬことを望んでいたけれど、今後も突発的に自殺を図る可能性がある。

 なおくんの意識が戻らないうちに、なおくんをこれからどうするかについて、ひかりさんや美月ちゃんを中心に話し合って、再入院させる考えに纏まった。

 ひかりさんがなおくんの担当医の先生に連絡をし、今日のことについて簡単に説明をするとすぐに月原総合病院での再入院が決まった。担当医の先生が病院の車を使って、寮の前まで迎えに来てくれることになった。



 午後2時過ぎ。

 担当医の先生が迎えに来て、依然として意識を失っているなおくんを担架に乗せて連れて行く。ひかりさんと美月ちゃん、私が先生の車に同乗しなおくんの入院する病院へと向かう。全員は乗れないため、咲ちゃんと紅林さんは2人で後から来ることになっている。

 なおくんのお父さんである浩一さんも、美月ちゃんが連絡をしたらすぐに洲崎から駆けつけるとのこと。どんなに早くても3時間くらいかかるので夕方ぐらいに病院に到着する予定だ。


 ――まさか。


 今回のなおくんのことを伝えたとき、担当医の先生も、浩一さんも同じ反応をした。

 担当医の先生によると、ふとしたきっかけで死にたい願望が生まれることはあるそうだ。しかし、紅林さんと再会するまで、その気持ちを自らの意思で抑え続け、周りに気付かれない振る舞いをしていたことは予想外だったという。相当な信念があって、何よりも心が強くなければできないことだと先生は言っていた。


 月原総合病院に到着すると、なおくんはすぐに病室へと運ばれた。


 担当医の先生が診察をしている間に、私は病室の外で彩花ちゃんのスマートフォンに電話をかける。彩花ちゃんは渚ちゃんのいる女バスのサポートをしているので、今回のなおくんのことを伝えると途中から渚ちゃんとも話した。

 彩花ちゃんが慌てていたのに対して、渚ちゃんが落ち着いていたことに驚いた。ただ、前になおくんが女バスの県大会の観戦後に倒れたとき、渚ちゃんが落ち着いて応急したという話を、その場に居合わせていた楓ちゃんが言っていたな。

 来週からインターハイが始まる大切な時期だけれど、渚ちゃんは練習を抜けて、彩花ちゃんと一緒にこちらにやってくるとのこと。


「みんな、なおくんのことを大切に想ってるんだよ……」


 なおくんに生きていてほしいし、何よりもなおくんの笑顔をまたいつか見たいから。こんなにも多くの人がなおくんのことを気にかけてくれている。

 それでも、なおくんの心にある傷、悩みは解決の兆しが見えない。それどころかその想いを隠して過ごしていた。それは、私達のような周りの人間のことをなおくんが心を開いてくれていないような気がしてショックだった。なおくんが決して悪いわけではない。ただ、自分の無力さが悔しい。


 なおくんが心に傷、悩みを抱えるきっかけとなったのは2年前に起こってしまった唯ちゃんが亡くなった事件と、3週間ほど前に起こった紅林さんの自殺未遂だろう。


 紅林さんがなおくんに謝ることが、なおくんが再び笑顔になっていくきっかけになると思っていた。信じてもいた。一度、なおくんが紅林さんに直接、殺してほしいと口にしてしまった以上、彼女が再びなおくんを元気にさせてくれる人になり得る確率はかなり低いと思う。

 そうなると、やはり唯ちゃんになるのかな。なおくんの心を救える可能性のある人になるのは。だけど、彼女は2年前に亡くなっている。生きている私達が、何か唯ちゃんの想いを伝えられる鍵を見つけることができるのだろうか。


「……楓ちゃんに電話してみよう」


 私が月原に行くかどうか悩んでいたとき、女の子の中では楓ちゃんが一番相談に乗ってくれた。中学の時から今までずっと頼れる委員長さんだ。

 楓ちゃんのスマートフォンに電話をかけると、すぐに楓ちゃんが出てきた。


『あら、美緒。藍沢君とラブラブな夫婦生活を送ってるかしら?』

「……そうなら本当にいいんだけれどね」

『……その声だと、藍沢君に何かあったようね』

「さすがは楓ちゃんだね」


 楓ちゃんに、今日の起きたことについて話す。


『なるほど。藍沢君は死にたい気持ちを隠しながら、紅林さんと再会することをずっと待っていたんだ。そこまでして死にたいって考えるなんて、藍沢君は相当心に深い傷を負っているのね』


 楓ちゃんに上手く伝えられているか不安だったけれど、さすがは頭のいい楓ちゃん。すぐに理解してくれた。


『藍沢君にとって、柴崎さんや紅林さんに対する“罪”は、自分が死ぬことでしか罪滅ぼしができないと考えるほど、重いものだと思っているみたいね』

「紅林さんと会うことがなおくんを元気にさせる鍵だと思ったんだけれど」

『美緒がチャンスだと思ったように、藍沢君もチャンスだと思ったのね。ただし、そのチャンスは互いに逆を向いていた』

「逆……」


 そのたった1ワードが、深く心に刺さった。その言葉を聞いた途端に切ない気持ちになって、眼が熱くなってくる。


『……泣いているの?』


 目の前にいない楓ちゃんに対してうん、と頷く。


「……何だか、私が月原に行く意味があったのかなって。死にたいと思っていたのに、私が側にいるからなおくんのことを苦しめちゃったような気がして。ずっと一緒にいたから、なおくんに心の負担をかけちゃったかも――」

『何を言っているの!』

「えっ……」

『あなたがいなかったら、もしかしたら今日で藍沢君は本当に亡くなっていたのかもしれない。あなたは藍沢君の命を守った。そのことに誇りを持ちなさい』


 確かに、なおくんが死んでしまうかもしれない危機を乗り越えたかもしれない。でも、なおくんのあんなに苦しそうで、悲しそうな顔を見ていると、本当にこれで良かったのかなって分からなくなっちゃうの。

 さっき、ひかりさんに治療してもらった右手がジンジンと痛くなってきた。


『美緒のことだから、藍沢君の気持ちを尊重した方が良かったかもしれないとか、これで良かったのかなって思っているかもしれないけれど、あなたの本心はどうなの? 洲崎を出発する前に言った、藍沢君を笑顔にしたいっていう私への言葉は嘘だったの?』

「そんなわけないよ! なおくんに昔のような笑顔をさせたい気持ちは! でも、なおくんの苦しそうな顔を見たら、それって私の我儘を押しつけているようで、とても嫌な気分になってきちゃったの……」


 笑顔にしたいという私の我儘の所為で、なおくんの心を苦しめさせているような気がして。

 すると、楓ちゃんは小さくため息が聞こえた。


『本当にあなたは優しいのね。確かに、優しいって漢字は人を憂うって書くけれど、憂いすぎると、いつか自分自身の心が壊れちゃうよ』

「楓ちゃん……」

『藍沢君を笑顔にしたいことが我儘だと思っているなら、それを貫きなさい。藍沢君だって死にたい我儘を貫き通そうとしているんだから。我儘には我儘』


 我儘には我儘か。

 さすがは楓ちゃんだなぁ。一つ一つの言葉に説得力があって。私も楓ちゃんみたいに頭が良かったら、なおくんを早く元気にさせる方法を思いついたかもしれない。けれど、


「私はなおくんを笑顔にしたいよ。生きることが楽しいんだって知ってほしい」


 この我儘な想いは誰よりも強いって自信があるの。咲ちゃんや彩花ちゃん、渚ちゃん、紅林さんよりもずっと。


『……どうやら、元気になってきたみたいね』

「ありがとね、楓ちゃん」

『私はただ、思っていることを言っただけよ。……それで、美緒には本題があるんじゃないの?』

「あっ、そうだった!」


 すっかり忘れてた。

 楓ちゃんの笑い声がうるさいなぁ。間の抜けた声を出しちゃったけれどさ。そこまで笑うことはないんじゃないかなぁ。


「唯ちゃんが何か遺していないかと思って」

『柴崎さんが?』

「……うん。今のなおくんを作り出しているのは、2年前のあの日……唯ちゃんが亡くなったことから始まっていると思うの」

『つまり、藍沢君を笑顔にする鍵は洲崎に遺っているかもってことね』

「うん。そんなものがあればとっくに見つかっているかもしれないけれど、唯ちゃんの想いが何かの形で遺っていて、今もどこかで眠っているって可能性を信じてる」

『自分のせいで唯ちゃんは死んだと思っている藍沢君に対して、柴崎さんの想いが分かるものが見つかれば、彼の笑顔に向けて大きく前進ね』

「だから、その……楓ちゃんに探すのをお願いしたいんだけれど」

『分かったわ』


 楓ちゃんは二つ返事で了承してくれた。


「ありがとう、楓ちゃん」

『かつてのクラスメイトが苦しんでいるのよ。委員長として協力する他ないじゃない』

「……ふふっ、そう言って実はなおくんのことが好きなんじゃない?」

『はあっ? 何を馬鹿なこと言ってるのよ! 私の書いた小説の貴重な読者を助けたいだけなんだから!』

「あははっ」


 まったく、楓ちゃんは素直じゃないんだから。ツンデレさんってこういう人のことを言うのかな? かわいい。


『じゃあ、彼女の家に行って、ご家族に協力していただけるか訊いてみるから。美緒の方も頑張りなさいよ』

「はいはい、分かりました。楓ちゃん、宜しくお願いします」

『分かったわ』


 楓ちゃんはそう言うと通話を切った。

 可能性は低いけれど、唯ちゃんの想いが分かるものが見つかるといいな。そんな想いを抱きながら私はなおくんの眠る病室に戻るのであった。今、私にできること。なおくんの側にいるために。

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