第2話『ここにいる理由』

 午後2時半。

 途中、コンビニでなおくんの大好きなプリンを買ってから、なおくんの家へと向かう。学校の寮にあるとは聞いていたけど、結構立派。東京にある私立高校は凄いなぁ。


「ただいま~」


 美月ちゃんは普通に家の中に入っていく。

 ここがなおくんの家だと分かっていても、初めて来るところだから、家に上がるのは緊張してしまう。


「美緒ちゃん、どうしたの?」

「ううん、何でもないよ。お邪魔します」


 ここが高校生になってからのお家なんだ。2人用の部屋だとは聞いていたけど、思ったよりも広い。

 1ヶ月くらい前までは、ここで彩花ちゃんと一緒に暮らしていたんだよね。今は母親と妹の3人で一緒に暮らしている。今日から私もそこに加わる。

 リビングに向かうと、そこにはテレビを見ているひかりさんの姿があった。


「ひかりさん、お邪魔します」

「あら、美緒ちゃん。さっそく来たのね」

「はい。夏休みになったらすぐに月原に行こうって決めていましたから」

「……そうなの。ありがとう、直人のために」


 ひかりさんは笑顔を見せているものの、どこかしんみりとしていた。


「なおくんのためというのはもちろんですけど、ここに来たのは私のためでもあるんです。だから、私が一緒に住んでいいと、ひかりさんと美月ちゃんが許してくれたことに感謝しています。ありがとうございます」


 といっても、当の本人であるなおくんには私が来ることを伝えていない。なおくんのことを守りたい、笑顔にしたいということを直接言う以外にも、一緒に暮らしていくことでなおくんに伝えていきたいと思ったから。


「それでも、ありがとう。美緒ちゃん」


 いつものひかりさんの優しい笑顔に戻った気がする。


「そういえば、なおくんの様子はどうですか? 美月ちゃんの話だと、退院してからは大きく感情が乱れることはないようですけど」

「そうね。処方された薬のおかげかもしれないけど、美月や私の前では穏やかな様子よ。たまに笑顔を見せるときもあるしね」


 薬の影響でも、基本的に穏やかなら私が一緒に暮らし始めても大丈夫かな。


「直人なら部屋にいるけど、さっそく会う?」

「はい」

「あたしがお兄ちゃんを呼んでこようか?」

「ありがとう、美月ちゃん。でも、なおくんに会いに行きたいと思ってここに来たから、私がなおくんの部屋に行くよ」

「……そっか。分かった」


 私は美月ちゃんになおくんの部屋の場所を教えてもらい、なおくんの部屋の前に向かう。


「……緊張する」


 ドアノブに手をかけたところで、一度、大きく深呼吸をした。

 もしかしたら、この扉を開けたら、なおくんの心が再び崩れ始めてしまうかもしれない。そう考えると扉を開くことを躊躇ってしまう。


「でも、ここで立ち止まっていたら何も変わらないよね」


 なおくんを元気にできるかどうか。そんなことは重要じゃない。

 元気にする。私はそのためにここまでやってきたんだから。


「よし」


 勇気を出して、なおくんのいる彼の部屋の扉を開ける。

 涼しげな部屋の中、なおくんは机に向かっていた。シャーペンを持って何か考えているようだった。夏休みの課題でもしているのかな。


「なおくん」


 私だけが使っている愛称で彼のことを呼ぶ。

 すると、なおくんは私の声に驚いてしまったのか、一瞬、体をビクつかせる。私の方に顔を向いたときは目を見開いていたけど、自分のことを呼んだのが私だと分かったからか、穏やかな笑みへと変わる。そんな彼を見て、私もようやくほっとできた。


「ひさしぶり……だね、なおくん」

「……ああ。そうだな、美緒。2ヶ月半ぶりかな」


 なおくんはゆったりとした口調でそう言った。


「……ゴールデンウィーク以来になるのか。あのときは色々あったよな。たった2ヶ月半前のことなのに、随分と前のことのように感じるよ」

「そっか。私も……随分と時間が経ったような気がする」


 私がそう思うのは一度もなおくんに会えなかったから。

 なおくんはどうしてなんだろう。一時的に記憶を失ったからかな。それとも、ゴールデンウィークのときに、唯ちゃんが亡くなった事件の真相を明らかにしたからなのかな。

 今のやり取りで、なおくんの表情がどうなっているのか、注意深く観察する。


「どうしたんだ? 俺のことをじっと見てきて」

「……ひさしぶりになおくんと会ったから、つい」

「そっか」


 今の私がおかしかったのか、直人はクスクスと笑った。その笑みはそれまでのものと違って、本当に笑っているように見えた。


「……そういえば、美緒」

「うん?」

「どうしてここにいるんだ?」


 事前に連絡しなかったから、なおくんが私にそう訊くことが当然なのは分かっている。でも、なぜか私にはとても冷たい言葉に感じて、切なくなってしまった。


「今日から夏休みの間、なおくんと一緒に暮らすためだよ」


 核心には触れずに、事実だけを告げる。

 すると、なおくんは少し首を傾けて、


「……そんなことをしていいのか?」


 静かな口調でそう言ってきた。

 ただ、なおくんがそんなことを言ってくることに私は心当たりがあった。


「……だって、美緒は笠間と付き合っているんだろう?」


 そう、ゴールデンウィークになおくんが洲崎から帰る直前に、私は笠間君のことを守りたいと言ったのだ。

 元々、笠間君ともそれなりに仲はいいし、それを知っているなおくんはこの2ヶ月半の間で、私と笠間君が恋人として付き合い始めたと思い込んでいるんだ。


「笠間君とは付き合っていないよ。それに、私は誰とも付き合ったことはないよ」


 私はなおくんのことをそっと抱きしめる。

 これまでのなおくんのことを考えて、好きだという想いをすぐには伝えないと決めていた。タイミングを見計うか、少しずつ気持ちを表に出せばいいって。でも、どうやら神様はそれを許してくれないみたい。


「……なおくんのことが好き」

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