第24話『More』

 直人の家で彼と2人きりでいられることは嬉しいけれど、宮原さんの儚げな笑顔を見るとどこか重い空気が漂っているように思えた。でも、この3ヶ月間、彼女が住んでいたのだからそれは仕方ないのかもしれない。

 直人が作ってくれた夕ご飯はとても美味しかった。料理がまともにできたら、彼に夕ご飯を作りたいけれど、あたしは全然できないし。

 夕食が終わると昨日と同じ流れで、一緒にお風呂に入ることになった。昨日も直人と一緒にお風呂に入ったのに、なぜか今日の方が緊張している。直人の家、だからかな。

 今日も直人が先に浴室へ入った。

 脱衣室で服を脱ぎながら、思う。


 ――直人ともっと確かな関係になりたい。


 恋人という立派な関係はあるけれど、それでもあたしは直人ともっと密接な関係を築きたいって。今がその絶好の機会なんだと思う。いや、今しか考えられない。

 あたしは直人のいる浴室に入った。


「あっ、咲……さん」


 あたしのことを見る直人の目は見開いていた。そうなるのは当たり前だろう。だって、今のあたしは一糸纏わぬ姿なのだから。


「咲さん、その、えっと……」


 直人は頬を赤くして、視線をちらつかせる。あたしのこんな姿を見てはいけないと思っているのかな。


「タオルとか巻かないんですか? 昨日は巻いていたのに。えっと、タオルならきっと脱衣室に――」

「今日はいらない。ううん、直人にあたしの全てを見てほしくてこうしているんだよ。だから、あたしのことを見て」


 あたしは直人の側に立って、両手で直人の顔をこちらに向ける。


「あたし、今日になってからずっと厭らしいことを考えてた。直人と2人きりになったら、今みたいな時間を過ごしたいって。直人ともっと確かな関係を作りたいって」


 宮原さんの言葉を借りるのであれば、えっちなことをしたい。その気持ちはあるけれど、恥ずかしいので口には出せない。


「だから、直人もあたしのことを見て厭らしいことを考えたっていいんだよ。何だったら、今すぐにここで……したっていいんだよ」


 直人があたしに好意や優しさを向けていることは分かる。それはとても嬉しい。

 けれど、それだけじゃ満足できなくなってしまった。あたしはもっと直人のことを求めたいし、直人に求められたい。互いにそんな存在でありたい。

 直人にせがむように、あたしは直人に口づけをする。


「んっ……」


 まるで、この口づけが媚薬のように。

 最初は唇を重ねただけだったけれど、舌を使って少しずつ彼の中に入り込んで。直人のことを抱きしめて、直人と直接肌で触れ合う。

 すると、直人がそれに応えるようにあたしのことを抱きしめてくれる。今度は直人から舌を絡ませてくれる。

 浴室の中だから、厭らしくて……でも、胸を高鳴らせる音が響き渡って。しばらくの間、あたしと直人は口づけをしながら抱きしめ合った。しかし、


「……これ以上、咲さんとこんなことをしたら、僕は咲さんのことも傷つけてしまいそうで怖いです。いや、もう傷つけてしまっているかも……」


 そう言う直人の笑みは、夕方頃にこの家を去って行った宮原さんが見せた儚い笑みに似ていた。


「あたしも、傷つける?」

「……ええ。僕が病院にいる頃から、彩花さんや渚さんのことを傷つけてきた。それが凄く嫌なことに思えて。彩花さんも渚さんも優しい方達ですから、それでも笑顔を僕に見せてくれて。もちろん、咲さん……あなたも」

「あたしは……」


 確かに、直人が記憶を失ったことを知ったとき、とてもショックで病室から走り出してしまった。そんなあたしの姿を見れば、あたしを傷つけたって直人が思ってしまっても仕方のないことだけれど。


「それでも、あたしが笑顔でいるのは、あなたと一緒にいられるからなんだよ。藍沢直人というあたしの好きな人と一緒にいられるから嬉しいんだよ」

「……咲さんは優しいんですね」

「あたしは優しくなんかない!」


 思わず大きな声でそう言ってしまう。


「直人は覚えていないだろうけれど、あたしが彼女になったのは月原高校とのバスケの試合で勝ったからなの! そんなことをしないと、あたしは彼女になれる自信なんかなくて!」


 再会したときから、あたしはずっと宮原さんや吉岡さんには敵わないって分かってた。それでも、直人の恋人っていう関係がほしくて。だから、バスケの試合で勝ったら直人の恋人になるっていうことを言ってしまった。それをした時点で、あたしは2人に負けていたんだ。


「そんなことないですよ。いえ、そんなこと言わないでください。僕は咲さんのことが好きであることは事実なんですから。そして、咲さんが僕のことが好きな気持ちは今も抱いているのでしょう?」

「……うん」

「それでいいんだと思います。それさえあれば、僕等はずっと一緒にいられますよ」


 直人はやっぱり優しい笑みをあたしに見せてくれる。罪悪感があるのに、その笑顔を見せられると直人のことがもっともっと欲しくなっちゃうよ。上からも下からも、直人のことが欲しいって言ってる。


「咲さん。僕はどうやって咲さんを傷つけるのか、分かっていますか?」

「えっ……?」

「咲さんの言葉を借りれば、厭らしいこと……ですよ」


 すると、直人はあたしのことを優しく押し倒した。その衝撃からか、あたしと同じように直人も何も身に纏っていない状態になる。凄くドキドキするけれど、今までとは全然違うもので。


「咲さんがいいのであれば、僕は……咲さんともっと確かな関係を築きたい」


 直人とあたしの気持ちは重なり合っていた。ここで頷けば、あたしがずっと考えていた厭らしいことがもうすぐできるんだ。

 けれど、何でだろう。

 あたしはなかなか頷けなかった。頷く先にあることをしたとしても、直人とあたしの築ける関係っていうのはあたしが本当に求めていたものなのか。

 何かが違うような気がした。


「……咲、さん?」


 姿も声も直人だし、口づけよりも咲のことをすればあたしは藍沢直人と確かな関係を築ける。でも、それは……今、ここにいる藍沢直人との関係なんだ。

 だから、あたしは――。


「ごめん、直人。今は……できない」

「……そうですか」

「直人と……口づけよりも咲のことをしたい気持ちはあるよ。でも、それで直人と関係を築いたとしても、直人の記憶が戻ったらその関係が崩れそうな気がして嫌なの」

「咲さん……」

「直人のことは大好きだし、大切な存在だよ。けれど、こういうことをするのは直人の記憶が戻ってからにしたい。記憶が戻っても今みたいに直人と気持ちが重なり合っていたら、そのときは……しよう?」


 あたしが酷い我が儘を言っていることは分かっている。記憶を失った直人を受け入れられないと言っているようなものだから。

 でも、今からしようとしていることって、本当に向き合えてからすることなんだと思う。だから、直人の記憶が戻るまではしない。直人の記憶が戻っても、今みたいに愛し合えているのなら……したい。

 直人が記憶を失ったこと。それは無理矢理にでも恋人になったあたしに課せられた試練なんだ。


「分かりました、咲さん。でも、この気持ちは消えないんです。だから、咲さんの許せる範囲で……してもいいですか?」

「……うん、もちろんだよ。ありがとう、直人」


 彼なりにあたしの我が儘を受け入れてくれることが、とても嬉しかった。だから、直人のしたいことを受け入れるつもり。


「直人に私の弱いところを教えてあげるね」


 その後、直人は口と指を使って、あたしのことを求めてきた。あたしもそんな直人に対して色々なことを求めて。そのことで、あたしは直人と何かより深い関係を築けているのかな。はっきりとは分からなかった。

 でも、直人と気持ちが分かり合えたことが嬉しくて、直人のことが愛おしいということは確かだった。

 いつまでも直人と一緒にいたい。直人の記憶が戻っても恋人のままでいたい。

 そう、願った。願うしか……なかった。

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