第22話『あたしをお城に連れてって』

 6月29日、土曜日。

 午前7時。目を覚ますとあたしは直人に抱かれていた。直人の寝息が聞こえたので彼の方に向いてみると、彼の可愛らしい寝顔がすぐ側にあった。

 3年間、思い続けていた人が今、あたしのすぐ隣に寝ているなんて。実は今も夢なのかもしれないと思ってしまう。夢なのか現実なのか確かめたくて、あたしは直人が起きないようにそっと彼の頬にキスをした。

 唇に確かな感触があったから、これが現実のことであると知る。

「うんっ……」

 しまった、直人を起こしちゃったかな。直人はゆっくりと目を覚ました。


「咲さん、おはようございます」

「おはよう、直人。ごめんね、起こしちゃった?」

「何かあったんですか?」

「いや、直人の寝顔が可愛かったから、思わず頬にキスをしただけで……」


 口で言ってみると結構恥ずかしいな。まさか、直人が起きるとは思わなくて。気持ち良さそうに寝てたんだもん。

 直人はふふっ、と爽やかに笑って、


「そうだったんですか。そのおかげか、気持ち良く起きることができましたよ」

「そう言ってくれるとあたしの気持ち的に助かる」

「じゃあ、気持ち良く目覚めさせてくれた咲さんにお礼をしないと」


 そう言うと、直人はあたしに優しい口づけをする。

 あぁ、本当に幸せな時間をあたしは過ごしている。やっぱり、今も夢の中にいるんじゃないかなって思ってしまう。こういう時間を過ごしたいとずっと思っていたからかもしれない。


「あたしも今日は気持ち良く起きられたわ。直人が一緒だから……かな」

「……何だか照れますね。僕は咲さんがいたから、こんなに気持ちの良い朝を迎えることができたんだと思っています」

「……ありがとう」


 今度はあたしから直人に口づけをした。

 直人はどこまで優しいんだろう。どんなことをしても、直人と一緒にいると最後には心が温かくなって。

 あたしもそうだけれど、宮原さんや吉岡さんもきっと直人のこういうところを好きになったんだと思う。直人の優しさにはそれだけの力がある。今はあたしだけが直人の優しさに包まれているような気がしてとても幸せ。こんなに優しくするのはあたしだけにしてほしいな……なんて。

 けれど、今の幸せに浸ってしまっていいのかなと思ってしまう。

 昨日、別れ際であたしに見せた宮原さんと吉岡さんの寂しげな笑顔を思い出して。彼女達はどんな気持ちを抱いて朝を迎えているんだろう。特に宮原さんは。今日から、直人のいない朝を送ることになるから、寂しいと思っているに違いない。


「……あのお二方のことを考えているのですか?」


 突然、直人にそう言われたからドキッとしてしまった。


「どうして分かっちゃうんだろうなぁ」


 それも彼の「優しさ」からなのかな。


「咲さんが俯いた表情をするのはきっと、彩花さんや渚さんを思い出す以外には考えられないと思って。実際にお二方も悲しそうな表情をされていましたし」

「そっか。さすがは直人だね」

「……僕は咲さんの彼氏ですから。きっと、咲さんは自分のせいで2人が悲しんでいると思っているかもしれませんが、それは違いますよ。2人が悲しんでいるのは僕のせいなんです。僕が記憶を失ったこと。もっと言えば、僕がいること自体で2人のことを苦しめているのかもしれません」


 直人のそんな言葉を聞いて、背中に悪寒が走った。


「そんな悲しいことを言わないでよ。宮原さんも吉岡さんも、直人には感謝しているし、直人のことが大好きなの。だから、自分が悪い、みたいなことは言わないで。大丈夫、あたしが直人の側にいるから。一緒に幸せになろうよ」


 そう言って、あたしは直人のことをぎゅっと抱きしめた。

 2人には罪悪感があるけれど、直人の彼氏になった以上、あたしは直人と一緒に幸せになりたい。それこそがきっと2人に対して精一杯に誠意を示すことができると思うから。


「ありがとう、咲さん。大好きです」

「うん。あたしも大好き」


 宮原さんと吉岡さんへの罪悪感は、皮肉にも直人と一緒にいることの幸せで少しずつ消えていく。

 直人はあたしのことを力強く抱きしめてきた。

 直人の心の中にある負の感情が、あたしと一緒にいることで、少しでもなくすことができたらこれ以上に嬉しいことはない。



 今日は女バスの練習が午前中から昼過ぎにかけて行なわれる予定になっている。当然、あたしはそれに参加するつもりだけど、直人を1人にはしたくない、

 直人にバスケをする自分を見てほしいし、あたしの通っている高校がどんな雰囲気なのかも知って欲しかったので、一緒に行こうと誘ってみた。すると、直人は二つ返事で一緒に行くと言ってくれた。楽しみな感じで言ってくれたのでほっとした。


「咲さんの高校がどんな感じなのか楽しみですね」

「月原に比べれば、そんなに立派なところじゃないわ」

「そうなんですか。あとは咲さんのバスケをする姿を見てみたいです。あと、金崎の練習風景がどんな感じなのかも楽しみなんです。月原とどんなところが同じで、違うところはどこなのかなって」


 そういえば、月原高校で直人と再会したときに、直人は女子バスケ部のサポートをしていたんだっけ。高校は違うけれど、女バスの練習風景を間近で見せることで、記憶を取り戻す1つのきっかけになるかもしれない。



 午前8時半。

 今日は土曜日ということもあって、直人が一緒でもすんなりと学校の敷地内に入ることができた。

 体育館で活動している女バスの所に行くと、直人がいるからなのか女子達が直人の方を見てくる。例の彼氏なの? と、あたしは訊かれることに。そうですよ、みんなのおかげで付き合うことのできた彼氏ですよ!

 直人が見守ってくれている中で、練習が始まる。彼がすぐ近くにいることが分かっているからなのか、いつもよりも調子がいい。


「今日は凄く動きがいいじゃないの。彼氏君のおかげかな?」

「そうかもしれない」


 先輩、同級生、後輩問わずこんなやりとりが何回もあった。それだけ今日のあたしの動きがいいのか。それとも、昨日までの動きが悪かったのか。

 休憩時間になると、笑顔の直人がスポーツタオルを持ってあたしのことを待ってくれていた。……あれ、漫画とかで見る光景とは逆のような。


「咲さん、ここまでお疲れ様です」

「ありがとう、直人」


 すると、直人は持っているスポーツタオルであたしの汗を優しく拭き取ってくれる。

「ねえ、直人。ここまでの練習を見ていてどうだった?」

 今後の参考になればと思って。特に弱いところや月原の違いを知りたい。


「咲さんはとても上手でした。それ故なのかもしれませんが、何だか咲さん中心のプレーになっているように見えました。昨日、月原高校のプレーを見ていたのですが、渚さん以外の方が中心となったプレーも結構見られました」

「……やっぱり、そうなのよね。あたしも思ってたの」


 あの試合を機に、あたし中心のプレーの割合も減ってきたけれど、それでも月原に比べればまだまだ。桐明さんのような強い子がうちにもいるんだから、多彩な戦術をインターハイまでに考えないといけない。


「でも、個々の強さは月原に匹敵すると思います。きっと、もっとチームプレーができれば物凄いチームになるんじゃないでしょうか。……すみません、素人なのにこんな偉そうなことを言ってしまって……」

「ううん、いいの。改めてうちが身につけるべきことが確認できたから。直人を誘った1つがそれだったし」

「そうですか。なら良かったです」


 直人は嬉しそうな笑顔を見せていた。

 それにしても、月原のプレーもあたし達のプレーも短い時間しか見ていないのに、ここまで冷静に分析ができるなんて。さすがは月原の女バスのサポートを1ヶ月以上もしてきただけある。記憶喪失でも、感覚でどこを見ればいいのか分かっているんだと思う。

 直人をここに連れてきて良かったなと思っている、けれど……。


「なあ、咲の彼氏君。今後は金崎のサポートをしないか」

「私のことをサポートしてほしいです! できればバスケ以外のことも……」

「咲先輩っていう恋人がいるのに何を言っているの! でも、私もちょっとだけ……」


 みんな、直人に色目を使いすぎなんじゃないかしら。幸いなことに直人はそれに応じるような素振りを見せていないけれど。

 ううっ、直人はあたしの彼氏なのに。今のこの状況が、直人と2人きりになりたい気持ちを激しく湧き上がらせる。直人にはあたしだけを見てほしいし、その優しい笑顔をあたしだけに見せてほしいよ。


「ねえ、直人――」

「じゃあ、そろそろ練習を再開するわよ」


 何という悪いタイミング。直人と2人きりになって抱きしめて貰おうと思ったのに。

 練習が再開し、休憩時間に直人に指摘された部分を中心に練習する。それ故に他の子に役割が増えてきて、プレーをするときの顔が何だか良くなった気がする。悔しいけれど、月原に一歩近づけたような気がした。

 午後12時半。今日の練習が終わった。

 あたしは直人と一緒に学校を後にする。


「後半ではみなさんにボールが渡るようになり、良くなっていたと思います」

「そっか。それは直人のおかげだよ」

「僕はただ、思ったことを言っただけですから。それをすぐに修正できるのは元々の力がしっかりとあるからだと思います」

「……ありがとう。もっと強くなってインターハイに臨んでいくわ」

「それが一番ですね」


 直人がいたら、うちのチームはどれだけ強くなるんだろう。月原高校で一番警戒しなければいけないのはサポートをしている直人なんじゃないかと思う。


「午後はどうしましょうか。家でゆっくりしますか? それとも、どこかに寄って……」

「……行きたい」

「えっ?」

「あたし、直人の家に行きたい。直人と2人きりになりたいの」


 休憩時間のときよりも、直人と2人きりになりたい気持ちは何倍にも膨れ上がっていた。昨日、直人の家には行ったけれど、あれは直人の荷物を纏めるためだけ。直人の家で直人と2人きりで一夜を明かしたかった。


「もちろん、いいですよ。じゃあ、帰って僕の家に行く準備をしましょうか」

「うん!」


 2人きりになれることが分かって、胸が躍る。

 直人と2人で何をしようか。口づけよりも先のことをしてみようかな……とか。そんな妄想をしながら直人と一緒に家に帰るのであった。

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