第19話『広瀬家』

 午後7時半。

 あたしの家の最寄り駅である金崎駅に到着する。まさか、直人と2人きりでここに立てる日が来るとは思わなかった。

 直人と一緒に一夜を明かすことができることに気持ちが浮ついていたけれど、あたしの家に直人が泊まるってことは直人を両親に会わせなくてはいけない。それを今になって思い出す。両親も直人のことは知っているけれど、彼をどう思うかなぁ。お母さんは大丈夫だと思うけれど、問題はお父さんだよね。


「咲さんの家に泊まるということは、御両親に挨拶をしないといけませんね。記憶喪失である僕との交際を許してくれるでしょうか……」

「きっと大丈夫だよ。直人が直人でいれば」

「……そうですか」


 直人はほっとした表情を見せる。

 実はあたしもそんな直人を見てほっとしている。こういうことを真面目に考えているくらいなんだから、お父さんやお母さんも直人のことをきっと許してくれると思う。一応、直人が記憶喪失であることも伝えているし。

 自宅の前まで辿り着く。


「ここがあたしの家だよ」

「綺麗なお家ですね」

「これから、ここが直人のもう1つの居場所になるからね」

「そうですか」


 微笑みながら直人はそう言った。

 我ながら大胆なことを言っちゃったかなと思ったけれど、変に思われていないだけでも良かったと思わなきゃ。それでも恥ずかしいけれど。暑い暑い。

 あたしは直人の手を引いて、玄関の扉を開けた。


「ただいま」

「お邪魔します」


 すると、直人の声が聞こえたからか、リビングの方からお母さんが慌てた様子でこっちにやってきた。


「おかえり、咲。男の子の声がしたから誰なのかと思ったら藍沢君じゃない。久しぶりね、もう3年以上前よね」

「えっと、その……」


 記憶喪失の直人にとって、お母さんは初対面。久しぶりと言われてとまどってしまっているみたい。


「お母さん、直人は……」

「あっ、そうだったわね。初めまして、って言うべきなのかしらね」

「僕にとっては初めまして、の感覚ですが……咲さんが洲崎町で知り合った方ということなので、きっとあなたとも以前にお会いしたことがあるのだと思います。話によれば、3年よりも前に」

「ええ。授業参観とか中学校の関係でね。また藍沢君を見ることができるなんて。立派に成長したわね」

「そうなんですか。記憶がないので、何だか不思議な感じですね」


 お母さんとは和気藹々と喋れているから、まずは第1関門クリアかな。まあ、お母さんの場合は以前に直人の話を出したら、家に連れてくればいいとと言ったくらいだから。


「母さん、どうしたんだ。玄関に行ったきり……おや」


 リビングからお父さんが顔を出し、直人のことを見つけるとお父さんも玄関にやってきた。


「確か、洲崎に住んでいた頃に見たことのある男の子だな」

「例の藍沢君よ。最近、咲がよく話してくれる……」

「ああ、彼か。……うん? 藍沢君、その荷物は何なんだい?」


 直人の持ってきている荷物を見ているお父さんの目が光った。いきなり本題突入のパターンか。


「えっと、今夜、ここに泊まらせていただくことになりまして。それに必要なものを」

「ちょっと待ってくれ。……家に泊まる?」


 突然のことだからか、お父さんも混乱しているみたい。この反応だと泊まることはもちろんのこと、直人と付き合っていることを許してもらうのは難しいかもしれない。


「ここで話すのも何だから、とりあえず直人をリビングに通してもいいかな」

「まあ、リビングぐらいなら」


 すると、お父さんとお母さんはリビングに戻っていった。


「突然だったので、まずかったですかね。しかも、女の子の家ですし」

「大丈夫だよ。何としてでもあたしが食い下がるから」

「……頼もしいですね」


 そんな直人の言葉と微笑みに胸がキュンとなった。同級生や後輩から頼りになると言われることは何度もあったけれど、今ほどに嬉しいと思ったことはなかった。直人の期待に応えられるように頑張らないと。

 あたしと直人もリビングに向かう。

 すると、そこにはソファーに座ったお父さんとお母さんの姿があった。


「咲、藍沢君……ソファーに座りなさい」


 お父さんに言われたとおり、あたしと直人は、テーブル越しにお父さんとお母さんに向かい合う形でソファーに座った。


「自己紹介が遅れました。僕、記憶を失っているので、僕にとってはこれが初めましてということになります。月原高校に通っている藍沢直人といいます。咲さんとお付き合いさせてもらっています」


 ソファーに座ってすぐに直人は自己紹介をした。


「藍沢君のことは今月に入ったぐらいから、咲から話を聞いている。君も色々と辛い経験をしながらも、月原高校で頑張っているみたいだね」

「そう……みたいですね。記憶がないので何とも言えないのが正直なところですが」


 直人は苦笑いをした。そんな彼を見てほっとする。

 辛い経験とお父さんが言った時、背筋が凍った。宮原さんから、唯の苗字である柴崎を口にしたら突然、激しい頭痛に見舞われたと聞いていたから。


「記憶喪失であることも咲から聞いている。あれ、その服装ということは学校は……」

「一昨日退院して、今日からまた高校に通い始めました」

「そうか。それは良かった。咲の試合があった日だから、日曜日かな。君が倒れて咲は物凄く悲しそうだったからな。そんな咲を見て、咲が君に好意を抱いているかもしれないと思っていたのだが、まさかその通りだとはな……」


 うんうん、とお父さんは頷いている。


「それでも、咲と付き合っている。咲も明るくなったし、嬉しいことだ」


 お父さんはそう言うと口角を上げた。どうやら、直人と私が付き合うことを許してくれたみたい。

「それじゃ、お父さん。私と直人が付き合うことを……」

 それでも、ちょっと信じられなくてお父さんに確認をする。


「もちろんだ。咲を幸せにするということさえ叶えてくれるのであれば」

「もちろんです。付き合って間もないですが、咲さんを幸せにしたいと思います」

「そうか。君の記憶がないと聞いて不安だったが、今の君の様子を見て安心した。咲をよろしく頼む」

「分かりました」


 すると、お父さんは直人と握手を交わした。ま、まさかここまですんなりと直人のことを受け入れてくれるとは思わなかった。


「良かったわね、咲」

「うん、むしろスムーズすぎて驚いているくらいだけれど」

「そうね。私もちょっと驚いているわ。咲のことになると急に恐くなるときがあるから」


 お母さんでさえも驚くくらいなんだ。


「それで、藍沢君。記憶を失ったにも関わらず、咲と付き合っているということは、これは愛が成したことなのだろうか?」

「意識を失った日に咲さんと付き合っているんだと教えられて。でも、咲さんのことを見ると胸に温かな気持ちが湧いてきて。きっとこれが、咲さんに対する好意なんだと思って。その気持ちを大切にしたいと思いまして」

「そうか。素晴らしい! 記憶は消えても愛は消えなかったんだな!」


 お父さん、歓喜の表情を見せている。こういうところが直人のお父さんに重なる部分があるな。


「お父さんって意外とロマンチストなところがあるのよ。だから、こういう話には弱いのよね」

「へ、へえ……」


 全然知らなかった。むしろ、お母さんの方がこの手の話には弱いと思っていた。まさか、お父さんにそんな一面があったなんて。


「藍沢君、遠慮なく泊まっていきなさい!」

「ありがとうございます。お世話になります」


 お父さんのはしゃぎぶりが凄くて、落ち着いてお礼を言っている直人の方が年上に見えてしまうんだけれど。

 まさか、お父さんがここまで直人のことをここまで歓迎してくれるなんて。今日のお父さんにはたくさん驚かされている。


「良かったわね、咲」

「うん」

「夕ご飯の仕度をしたいから、咲も手伝ってくれる?」

「分かった」


 これで今夜は直人と一緒に過ごすことができる。直人とあたしの部屋で2人きりだと考えると今から緊張してきて。どんなことをしようかな。そんなことを考えながら、夕ご飯の準備を手伝うのであった。

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