エピローグ『奈落』

 月原が負けたことが決まった瞬間、悔しい自分もいたけれど、同時にこの結果にほっとしてしまった自分もいた。


 金崎が勝った。つまり、俺は咲の恋人になるということだ。


 自分の意思で恋人になると決めたわけではない。こういう形でも今までのような悩みをする必要がなくなったと思うと、いくらか心が軽くなってしまったのだ。俺は何て酷い人間なのだろう。俺の隣で必死に涙を堪えながら、コートにいる月原のメンバーに笑顔を送っている彩花がいるのに。

 コートにいる渚ははっきりとした感情を顔に出していなかった。嬉しさも悲しさも見えなくて、嬉しそうに仲間と抱き合う咲のことを見ていた。香奈さんや金川さんに連れられてコートの端っこの方に移動した。


「……凄い試合でしたね」


 それが、彩花の試合が終わってからの第一声だった。


「どちらも見事でした。本当に紙一重だったと思います。渚先輩も水曜日に倒れたとは思えないくらいの復活ぶりでした。本当に……頑張ったって言いたいです。女バスの……みんなに……」


 時々、言葉を詰まらせながらそう言うと、彩花は涙を流して一ノ瀬さんの胸の中に泣き始める。


「負けちゃったよ……」

「……そうですね、彩花ちゃん」


 一ノ瀬さんは優しく笑みを浮かべて、彩花の頭を優しく撫でる。


「彩花ちゃんの言うとおりです。月原と金崎の実力の差は紙一重でした。月原のメンバーは誰も悪くない。むしろ、最高だと思いました。だからこそ、負けて私も悔しかったです」


 最初からチーム全員で攻めていった月原は凄かったし、第3クォーターから全員攻撃をして怒濤の勢いを見せた金崎も凄かった。本当に優勝決定戦らしい試合だった。両校のインターハイでの活躍が期待される。

 彩花がここまで泣いているのはもちろん、この試合に俺が絡んでいたからだろう。それさえなければ、今後もリベンジのチャンスは何度もあるのだから。

 でも、俺のことに関してはこれっきりなんだ。

 今の彩花の涙も、そもそも、俺が今まで決断できなかったから流すことになった。もし、どこかで何かしらの決断が下せれば、彩花がこんなに泣くことはなかったんじゃないだろうか。


 これは俺の『悪』がもたらした結末だったんだ。


 もちろん、咲本人が悪いわけじゃないし、彼女と付き合うのが悪いとも思っていない。ただ、大切な人をこれだけ悲しませてしまったことが心苦しかった。

 それでも、俺は彩花に声を慰めるような言葉をかけることはできなかった。彼女から離れてしまうのに、どんな言葉をかけたらいいのか分からなくて。彼女の心をこれ以上、傷つけてしまうような気がして。


「……直人先輩」

「何だ?」


 不意に彩花から声をかけられたので驚く。

 彩花は俺の方に振り返る。そんな彼女の目尻はとても赤くなっていた。


「広瀬さんのことを幸せにしてくださいね」


 その言葉を自然な笑顔に乗せて言えることのできる彩花は、とても強い女の子だと思った。彼女と出会ったときと比べると、本当に強くなった。


「……ああ、分かった」


 今はもう咲の恋人だ。今の彩花の言葉にはっきりと返事ができた。

 気付けば、金崎高校の面々はコート内で優勝インタビューをされているけれど、月原高校はコートにいなかった。もう、渚達は着替えてこちらに向かってきているのだろうか。


「今日の試合を見れば優勝も準優勝も差はほとんどないと思うのですが、こういうところがスポーツの厳しさなのでしょうね。例え、1点差でも勝敗ははっきりとついて、世間は勝者ばかりに注目する。両校とも頑張ったのに」


 笑顔を浮かべながら落ち着いた口調で一ノ瀬さんは言っていたけど、それは今の状況に対する彼女なりの皮肉のようにも聞こえた。


「……俺は月原も金崎も1番だと思いたい。久しぶりに自然と胸が熱くなる本当に凄い試合だった」


 女バスのサポートをしていたこともあってか、まるで、自分自身が試合に出ているような感覚だった。観る者を惹き付けるいい試合だった。


「私も藍沢先輩と同じです。感動できる試合でした。運動は苦手ですけど、スポーツっていいなと思いました」


 きっと、この試合を観た多くの人達は、両チームに対して拍手を送っているだろう。


「……いい試合だったわね。月原高校も凄かったわ」


 北川は俺達のすぐ側までやってきた。応援していた金崎が勝ったからか嬉しそうだ。


「咲のことを応援した身としてこの結果は嬉しいけれど、宮原さんや吉岡さんのことを考えるとちょっと複雑な気持ちになるわね。でも、咲は優しい女の子だから。そこだけでも分かってもらえると友人として嬉しいわ」

「……分かってますよ。広瀬さんが本気で直人先輩のことが好きな気持ちは、十分に伝わっていますから。きっと、渚先輩も同じです」

「そう。だったら嬉しいわ」


 それでも、彩花に気を遣ってなのか、北川は微笑む程度だった。そして、彼女は優勝インタビューを受ける咲の方を静かに見る。


「……お待たせ」


 その声の主の方を向くと、そこには渚、香奈さん、金川さんなど制服姿になった月原高校女子バスケットボールのメンバーが立っていた。


「……負けちゃった」


 笑顔でそう言う渚の目元は、彩花と同じように赤くなっていた。


「みんなで頑張ったけれど、あと1点届かなかった。この試合には色々な意味が込められた特別なものだったから、負けて本当に悔しいけれど、これからインターハイがあるし、みんなと一緒に頑張っていくよ」


 渚は今、悔しい気持ちや悲しい気持ちを乗り越えようとしているんだ。彼女も本当に強い女の子だと思う。


「そうですか。あの、これからも私……女バスのサポートを続けてもいいですか? 私も悔しくて、女バスのみなさんの役に立ちたくて」

「……もちろん!」


 渚が二つ返事で了承すると、彩花は本当に嬉しそうに笑った。そして、そんな彼女を香奈さん、一ノ瀬さん、金川さんがぎゅっと抱きしめる。立場は違っていても、彩花は女バスの立派な一員だ。

 そんな彼女達の前で渚は、


「これからは広瀬さんの恋人だね。女バスのサポートをこれからもお願いしたいところだけど、それはさすがに図々しいかな。広瀬さんとの時間がなくなっちゃうもんね。広瀬さんのことも考えないといけないよね」


 どうしようか? と、普段通りの雰囲気で俺に問いかける。いつまでも試合に負けたことを引きずらないように、必至に気持ちを切り替えようとしているのかも。それに、1ヶ月後にはインターハイに出場するから。


「……分からないな。そこら辺は咲と相談しないと」


 現時点ではそういう風にしか言うことができない。

「そうだよね。サポートをしようと思ったらいつでも来ていいよ。直人がいると女バスにもいい刺激になるから」

「ああ、分かった」

 インターハイでいい結果を残して欲しい気持ちはあるから、できればこれまでと同じように女バスのサポートができればと思っている。

「さあ、そろそろ入り口に降りようよ。広瀬さんもそろそろ着替え終わった頃だと思うから」

「そうだな」

 席から立とうとしたとき、立ちくらみが起こる。


「大丈夫ですか? 直人先輩」

「……あ、ああ。大丈夫だよ。ここ何日か風邪が続いていたし、試合を見るのに熱中しすぎて疲れたんだと思う」

「ふふっ、そうですか」


 心配そうにしていた彩花も、ほっと胸を撫で下ろした。

 立ちくらみもそうだけど、試合前に飲んだ薬のせいで眠気が凄くなっていた。試合を見ているときには集中していたので何ともなかったけれど、終わってみれば観戦した疲れが眠気を後押ししていたのだ。それに体がかなり熱い。

 俺の前を歩く彩花と渚は楽しげに話している。

 そんな彼女達を見て、俺はふと思う。こんなことになってしまったそもそもの原因を作った俺のことを恨んでいないのかと。はっきりと怒ってくれた方がよっぽどいいのに、2人は今でも笑顔を見せてくれる。そんな優しさがとても辛かった。

 俺はそんな2人を前にして、咲と付き合っていけるのだろうか。


「直人!」


 そんなことを考えていたら、階段の側まで来ており、階段の下には俺を見つけて元気に手を振ってくる咲の姿があった。


「咲」


 彼女が今日から、俺の恋人――。

「――うっ!」

 その瞬間、頭に激しい痛みが襲ってきた。こんな痛み、今までに経験したことがない。頭が割れるような痛みが……!


「だ、大丈夫ですか! 直人先輩!」

「直人!」


 体がとても熱くて、吐き気がして、意識が朦朧として……俺は階段から転げ落ちた。

 俺に駆け寄ってくる彩花達が遥か遠くに離れていってしまう感じがした。このまま俺は死んでしまうのだろうか。

 意識が薄れてゆく中でふと思ったのであった。


 これは、俺が今までに犯してきた罪に対する然るべき罰なのだと。




第3章 おわり



第4章に続く。

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