第18話『たまご』

 渚の家に行くのは4月以来だったので、緊張よりも懐かしさの方が強かった。

 俺と彩花で渚を彼女の部屋に連れて行く。こんな形ではあるけれど、まさか渚の部屋で3人で過ごす瞬間が来るとは。あのときは想像しなかった。

「渚先輩、とりあえずベッドに横になっていてください」

「うん」

 渚は制服姿のまま、彩花の言うようにベッドに横になる。

「まずは体を綺麗にして寝間着に着替えないといけませんね」

「じゃあ、俺は台所でお粥とか消化のいいものを作ってくるよ。渚、何か食べたいものとかあるか?」

「……直人の作るものなら何でも。ていうか、直人って料理作れたんだね」

 俺って料理ができないイメージを持たれていたのか。去年、家庭科の調理実習があったはずだけど、そのときは別の班だったな。

「彩花が来るまでの1年間はずっと自炊してたんだ。もちろん、洗濯や掃除などの家事も。彩花ほど上手くは作れないけど、それなりにはできるぞ」

 そうは言っても、最近は彩花に頼りきりだから腕が鈍っているかもしれないな。

「じゃあ、玉子が入ったお粥が食べたい」

「分かった」

 玉子が入ったお粥かぁ、いいよなぁ。岩のりとかをまぶしたらかなり美味しいんだ。


「何が直人をここまで柔らかい表情にさせているんだろう……」

「ん? いや、玉子粥は最高だと思っていただけだ」

「直人先輩、食べたいものを訊くと大抵は玉子を使った料理なんですよ」

「そっか。……何か、今の彩花ちゃんの言葉が物凄く奥さんっぽくて羨ましいというか、悔しいというか」


 渚は笑いながらそう言った。


「直人先輩の奥さんみたいですか。う、嬉しい……」


 彩花はうっとりした表情をしている。渚から俺の奥さんのようだと言われてかなり嬉しかったみたいだ。

「じゃあ、俺は玉子粥を作ってくるから」

 俺はそう言って、渚の部屋を出て1階の台所に向かう。美穂さんがまだ作っていないといいんだけれど。

 台所に行くと、美穂さんが夕飯の準備をしようとしていたところだった。


「あら、藍沢君。2人に追い出されちゃった?」

「さすがに着替えの場にいるのはまずいですからね。それに、渚が玉子粥を食べたいと言ったので作ろうと思って」

「そうなの。もちろん作っていいけれど、藍沢君って料理はできるの?」

「できますよ。1年生のときは1人暮らししていましたから」

「じゃあ、渚の夜ご飯は藍沢君に任せるわ。私は藍沢君と彩花ちゃんの夜ご飯を作るから。何か食べたいものとかある? 卵ならたくさんあるけれど」


 何で卵を言うんだろう。そんなに食べたそうな表情をしていたのかな。実際に卵料理を食べたいから、お言葉に甘えてしまおう。


「パッと思いついたのがオムライスなんですけど、いいですか?」

「分かったわ。ふふっ、藍沢君が初めて子供っぽく見えたわ。可愛いわね、高校生の男の子って」


 可愛いって言われたこと久しくなかったな。小学生以来じゃないだろうか。

「ご飯も多めに炊いてあるし、材料も揃っているから好きに使ってね」

「ありがとうございます」

 俺は美穂さんの横で玉子粥を作り始める。


「へえ、結構得意な感じじゃない。渚の旦那さんにするには最高ね。あの子、料理はそこまで得意じゃないから」

「玉子粥は簡単ですよ。特に何か材料を切るわけでもないですし。それよりも、今からオムライスが楽しみなんですけど」

「あらあら、プレッシャーをかけてくれるじゃない。でも、料理好きな息子がいるとこんな感じなのかもね。もしかしたら、将来、本当に義理の息子になるかもしれないけど」

「あはは……」


 めぐみさんのときもそうだったけれど、親からのプレッシャーは凄いな。2人とも俺のことを信頼してくれているからそう言うんだと思うけど。


「ねえ、藍沢君。渚や彩花ちゃんのことは好き?」


 そう訊かれたとき、一瞬、胸が苦しくなった。


「……大切な人です。それは広瀬咲という女の子も同じです」


 好きかどうかをどうにかごまかしたくて、俺はそんな風に答える。


「……そう。大切だからこそ、答えが出せないのね」

「……渚から聞いていると思いますが、俺は一度、答えを出した後に1人の女の子を亡くしているんです。ですから、答えを出すのが怖いんです。でも、今……答えが出せていないから、渚が倒れることになった。もし、もっと酷いことになっていたらと思うと、俺はどうしていいのか分からなくなってきました」


 そう、咲の設けたリミットまでに答えが出せなかったからこそ、決勝ラウンドに持ち込むことになってしまった。そのことで渚は普段以上の練習をするようになり、体調を崩してしまったんだ。

 決めても、決めなくても。自分が存在していること自体で誰かを苦しめる。それこそ俺の持っている『悪』なんだ。


「ごめんなさい。こんなことを話して」

「気にしないでいいわよ。でも、藍沢君は幸せ者ね。何人もの人から大切に想われていて、自分も大切に想っている。それはとても素敵なことだと思う」

「……そうですか」


 俺はこんな自分自身のことが醜くなっているけれど。


「藍沢君には酷かもしれないけれど、誰も傷付かない選択肢ってないんじゃないかしら。だから、たくさん悩んだ方がいいわ。よく考えた上での決断なら、渚も彩花ちゃんも、広瀬さんっていう女の子もその傷を乗り越えられるんじゃないかしら」

「……父にも同じようなことを言われました」


 それができるほど、俺は強い人間じゃない。だから、咲が決勝ラウンドで勝負を決すると言ってくれたとき、少し気が楽になった自分がいる。


「でも、いつか……答えを出せるときが来るんですかね」

「……来るわよ、きっと。みんなも納得できる答えをね。でも、前にも言ったけれど、渚を恋人にするっていう答えなら母として嬉しいわ」


 娘を恋人にさせたい気持ちは分かるけれど、どうして美穂さんは体が触れそうになるくらいになるまで近づくのか。まるで自分を売り込んでいるように。

「渚が大人になったら、私みたいになるかもしれないわね」

「ああ、似ていますからね」

 見た目だけは。


「あっ、今……見た目だけ似ているって思ったでしょ」

「まさにその通りですけど、決して悪い意味じゃないですよ。何というか、渚は爽やかで活発な感じですけど、美穂さんは穏やかな雰囲気があって。俺はどっちも素敵だなと思います」


 どちらかというと、中身は彩花に似ている部分が多いかも。

 気付けば、美穂さんの頬が赤くなっていた。美穂さんは上目遣いで俺のことを見てくる。


「……私が渚と同じ高校生だったら、藍沢君のことを好きになっていたかも」

「……旦那さんにそれを言わないでくださいね」


 今と同じようなやり取り、めぐみさんにもしたような気がする。


「ねえ、藍沢君」

「なんですか?」

「……今夜、一緒に寝よっか?」

「何を言うかと思えば!」


 同級生の女子の母親と寝るなんて絶対にごめんだ! ていうか、まず、娘と同い年の男子と一緒に寝ようと思うのがおかしいだろう。


「だって、体調を崩している渚と同じ部屋に寝るわけにはいかないでしょ。あと、このくらいの息子がいたらと思ったら一度寝てみたくて」

「結局は自分の願望ですか。ていうか、4月に泊まりに来たときに、勝手に俺の側で寝ていたじゃないですか!」

「そういえばそうね。あのときは凄くドキドキしたわ」


 どうしよう、このままだと美穂さんと一緒に寝る流れになってしまいそうだ。

「でも、渚が俺と彩花が一緒に寝てほしいと甘えるかもしれません」

「甘えは甘えでも限度ってものがあるじゃない」

「それはそうですけど」

「私の部屋は結構広いし、ベッドもダブルだし一緒に寝ても大丈夫よ」

 そこまで娘と同じくらいの年齢の男と寝たいのか。娘と2人暮らしで旦那さんの愛が欲しい時期なんじゃないですか。近いうちに帰ってきてあげてください、旦那さん。


「ふえっ? い、一緒に寝る、ですか……?」


 その瞬間、背筋が凍った。

 ゆっくりと振り返ると、バスタオルを持った彩花が複雑そうな表情をして俺と美穂さんのことを見ていた。


「そうなの。息子がいたらどんな感じなのかなぁ、って」

「わ、私にはお2人が仲良くイ……イチャイチャしているようにしか見えませんでした! 私はいけない瞬間を見てしまったのですね。前にも一緒に寝たことがあると美穂さんが仰っていましたし……」


 こ、こいつ……結構前から聞いていたのかよ。それなら止めてくれればいいのに。

「落ち着け、彩花。これは美穂さんの悪戯心というやつで……」

「私は本気だけど」

 そういうことを言うのが悪戯心なんだよ! と、心の中で突っ込む。

 こうなったら、最終奥義だ。


「……あっ、ごめんなさい。俺、今日は彩花と一緒に寝る約束を今、思い出しました」


 もちろん、そんな約束はしていないけれど、この状況を切り抜けるにはこれしか方法はない。

 彩花はとまどっているようだけれど、アイコンタクトで何とか意思を伝える。

 すると、彩花は分かってくれたようで一度、頷く。


「そ、そうなんです。渚先輩と同じ部屋で寝るのはいけないですし。じゃあ、2人でどこか別の部屋で一緒に寝ないとね、って話していたんですよ。私達、寮では一緒に寝るときもありますから、同じ部屋でもかまわないのですが……」


 さすがは彩花。俺と2ヶ月以上一緒に住んでいるだけはある。とっさのことだったのに最高の対応をしてくれた。

「そうだったの。残念ねぇ。じゃあ、藍沢君と一緒に寝るのはまたの機会で。客間があるから、2人はそこで一緒に寝てね」

 美穂さんは本当に残念そうにしている。俺と寝るの、本気だったんだな。そして、諦めてもいないんだな。


「それよりも直人先輩、玉子粥はそろそろできそうですか? 渚先輩、家に帰ってきて安心したのかお腹が空いているみたいなので」

「もうすぐできるよ」

「あと、直人先輩に食べさせてほしいというご注文が」

「了解」


 直接言えばいいのにと思ったけれど、なかなか言えないか。体調も崩しているし。それでも甘えてくれて嬉しいし安心する。

「じゃあ、渚に玉子粥を食べさせ終わったら、私達も夕飯にしましょうか。今日は藍沢君の要望でオムライスよ」

「さすがは直人先輩ですね」

 クスクスと彩花は笑っている。

 玉子粥は無事に完成。渚の部屋へと持って行き、渚に食べさせてあげると彼女は嬉しそうな笑みを浮かべていた。たまに美味しいと言い、全部食べてくれたことがとても嬉しかったのであった。

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