第9話『最終演説』

 6月14日、金曜日。

 今日が終わるまでに決断をしなければいけないのか。

 そして、今日も昼休みになると紅林さんがやってきた。火曜日から毎日続いた演説が、今日で終わると思うとほっとする。


「みんな、今日で私の演説が終わると思ってほっとしてない?」

「別にそんなことない。……なぁ?」


 俺が彩花と渚に視線を向けると、2人は示し合わせたかのようにうんうんと頷く。2人は紅林さんを警戒していたから、来週からここに来なくなると思って、実際はほっとしているに違いない。

 俺達は紅林さんを目の前にして昼ご飯を食べ始める。


「それで、今日は何を話してくれるんだ?」


 一昨日はバスケをずっと続けて実力者になるまでの軌跡を話し、昨日は唯が亡くなった直後に連絡は一切しなかったけど実際は凄く心配していて、そのときに俺のことを幸せにするまでの流れを話してくれたな。どちらもいい話なんだけど、火曜日の放課後に咲自身が色々と話してくれたからかあまり心に響かないというか。

 紅林さんは何か隠し球があるのか、ドヤ顔になっている。


「一昨日、昨日の藍沢君の反応を見て、私の演説のウケが良くないと思ったの」

「いい話だと思ったぞ。でも、火曜の放課後に咲と会って色々話したからな……」

「藍沢君ならそう言うと思って、昨日の夜に咲から動画メッセージをもらってきたよ」


 咲から、という言葉を聞いて彩花と渚は目の色が変わる。俺も咲からのメッセージはとても気になるな。

 紅林さんはスマートフォンを弄った後、俺達に画面を見せる。そこには頬を赤くしている制服姿の咲が写っていた。彼女はソファーに座っている。


「それじゃ、再生っと」


 紅林さんが再生ボタンを押すと、


『明日中に藍沢君から何らかの決断がくると思うけど、何か藍沢君に伝えたいことはある? 自己アピールってやつ』


 なるほど、質問形式で俺に対してメッセージを送ろうと考えたのか。咲が何を言ってくるのかとても気になる。


『えっ、いきなりそれなの?』

『こういうのは伝えたいことだけを言えばいいの』

『……そ、そういうものなんだ。分かった。頑張ってみるね』


 写っていた咲は2人きりのときに見せてくれた汐らしい姿だった。彩花と渚はスマホを見て驚いている様子だった。

 画面の中の咲は深呼吸をして気持ちを整えているようだ。そして、


『直人。あたし、直人のことがずっと好き。直人のことを想う強さは宮原さんや吉岡さんに負けません。今、迷っていて、悩んでいるところかもしれないけど、あたしを選んでくれるととても嬉しい。直人のこと、待ってるよ。あたしと一緒に、し、幸せになろうね!』


 言い終わったときの咲の顔はとても真っ赤になっていた。きな事をやり遂げたからか咲はほっとしていて、笑顔でカメラに手を振っていた。


『頑張ったね、咲。というわけで、広瀬咲を宜しくお願いします!』


 という紅林さんの応援の一言で動画が終わった。

 今の動画で、火曜日からここで行なわれた紅林さんによる演説が全て吹っ飛んだ。やっぱり、本人からのメッセージは印象がいいし、記憶に残りやすい。


「広瀬さんの想いの強さ、凄く伝わってきましたね」

「そうだね。紅林さんの言うとおり、広瀬さんは手強い人だね」


 俺へのメッセージなんだけれど、彩花と渚にも響くものがあったようだ。


「どうだった? 咲からの愛のメッセージは」

「……咲の気持ちがよく伝わってきた」

「そっかぁ。どう? 咲を恋人にするって決断できた?」


 紅林さんの問いに、彩花と渚は真剣な表情をして俺の方に顔を向ける。

 火曜日から、それぞれの女の子と1日ずつ接してきて改めて分かったのは、3人とも俺のことが好きで大切に想ってくれていることと、とても魅力的な女の子であることだ。

 三人三色という感じで甲乙がつけがたくて、この中から誰か1人を選ぶとなると、やっぱり唯のことを思い出してしまい、怖い気持ちが強くなってしまう。もちろん、誰とも付き合わないという決断もできない。


「直人……無理しなくていいんだよ」

「そうです。ゆっくりと考えて、今日中に決断できるのであれば、その答えを聞かせてください」


 彩花と渚は今もなお決断できない俺のことをフォローしてくれる。本当に2人には頭が上がらない。


「すまないな、紅林さん。まだ、ここでは決断ができないんだ」


 紅林さんに謝意を伝えると、彼女はにこっと笑った。


「……別にいいの。それに、放課後にまた本当の最終演説を行なおうと思っていたから。女バスの部活が終わったら、またここで演説をしてもいいかしら?」

「分かった」


 ギリギリまで咲のことを応援するなんて、紅林さんはいい人だな。こんなに友達想いの友人ができて咲は幸せ者だと思う。

 紅林さんは笑顔で手を振って、教室を立ち去ったのであった。



 午後6時。

 明日はインターハイ予選の試合があるため、今日も女バスの練習が早めに終わった。

 彩花や渚とは体育館で別れ、俺は紅林さんの演説を聴くために、1人で2年3組の教室に急いで戻る。

 すると、教室の電気が点いており、中に入ると紅林さんが俺の隣の席に座っていた。


「紅林さん、お待たせ。随分と待たせちゃったな」

「ううん、何を言おうか考えていたから。あっという間だったよ」


 紅林さんは可愛らしい笑顔をしてそう言う。

 俺は自分の席に座って、紅林さんと向かい合う形に。


「じゃあ、さっそく本当の最終演説を聞こうか」

「……うん」


 すると、紅林さんは頬を赤くして上目遣いで俺のことを見てくる。どうして、咲の演説をするのに紅林さんがこんな表情をするんだ?


「最終演説……始めるよ」


 そう言うと、紅林さんはゆっくりと立ち上がり、俺に抱きついてきたのだ。

 俺は必死に紅林さんを離そうとするけど、彼女は意地でも俺から離れようとしない。


「く、紅林さん? 俺に抱きつくなんて、何をするつもりなんだ?」

「最終演説だよ。だって、今日中に決断しなきゃいけないでしょ?」

「そうだ。でも、これは咲の最終の応援演説だろ? なのに、どうして――」


 すると、紅林さんはニヤリと笑って、


「誰が咲の最終演説って言った? 私は『本当の最終演説』としか言っていないよ」


 どういうことだ? 咲の応援演説じゃなかったら、誰の演説なんだ? それに、今の紅林さんの声色が今までと比べて低くなっている。

 紅林さんは至近距離で俺のことを見て、


「私の最終演説だよ、直人君」


 そう言って俺にキスをしてきた。彩花や渚とは違ってm¥、無理矢理に舌を絡ませてくる。そこに優しさは全く感じられなかった。


「私、直人君のことが好きなの。私を直人君の恋人にして!」


 紅林さんは俺を自分に向けさせたいのか、再びキスしてくる。紅林さんの汗混じりの匂いが俺を包み込んでゆく。


 ――こんなところ、誰かに見られたら。


 そんなことを考えたときだった。


「嘘、でしょ……?」


 まさかの声に俺は唇を離して、声の主の方に顔を向ける。

 そこには、涙を流し、俺と紅林さんのことを見て立ち尽くす咲がいたのであった。

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