第8話『サミシサブルー』

 6月13日、木曜日。

 咲の設けたリミットが明日と迫ってきたこともあって、今日は物事に集中できていないことが幾度となくあった。

 今日も今の時期らしくしとしとと雨が降る。ジメジメとしているので梅雨というのはあまり好きじゃない。

 授業も終わって、俺は3日ぶりに女バスの練習にサポートとして参加する。3日経っただけでも、女バス部員の小さな成長を感じている。こんなことを考えていると女バスのコーチになった気分だ。

「藍沢先輩がいると、みんなやる気になってますね」

 休憩時間に入り、俺の横でスポーツドリンクを飲んでいた香奈さんが呟く。きっと、俺がいなくても一生懸命練習をしていると思うけれど。明後日には決勝ラウンド進出を賭けた戦いが待っているんだし。


「渚先輩も今日は凄く張り切っていますよ。これも藍沢先輩のおかげですかね」

「確かに、火曜日のときよりも今日の方が渚先輩の動きがいいような気がします」

「渚って意外と精神的なことでプレーに影響するのかもな」


 渚のバスケのためにも何らかの決断をしないといけないのかな。付き合うにしても別れるにしても、はっきりとした方が渚もけじめをつけることができると思うし。


「最近、彩花ちゃんや広瀬さんばかりで、渚先輩はきっと寂しがっていると思いますよ」


 考えてみれば、一昨日は咲で昨日は彩花と一緒だったな。渚とは日中は一緒だけれど、彩花や咲と比べて距離を感じてしまっているかもしれない。


「今日と明日は、明後日の試合に備えて練習を早めに切り上げるそうなので、今日は渚先輩と一緒にいてあげてください。確か、明日でしたよね。リミットって」

「ああ。明日の23時59分までかな」

「今日は渚先輩と一緒にいてください。直人先輩」


 彩花に真剣な表情で言われてしまったよ。普通なら別に一緒にいなくていいとか言うんだろうけど、躊躇わずに一緒にいてと言うのだから、彩花にとって渚は特別な存在であることが伺える。

 当の本人である渚は部長さんとの話し合いが終わったそうで、ようやく俺達のところにやってくる。


「どうかした? 何か、直人達の方から私の名前が聞こえた気がしたけれど」


 渚がそう言うと、彩花と香奈さんが肘で俺の背中を押す。そのせいで思わず渚とぶつかりそうになってしまう。


「きゃっ、ど、どうしたの?」

「何でもないよ。ここまでお疲れ様」


 俺は持っていたスポーツタオルで汗に濡れた渚の顔を拭く。すると、渚の顔は拭く前よりも赤くなっていた。


「あ、ありがとね。直人」

「気にするな。俺がしたくてしているんだから。3日ぶりに来たから、後半の練習で何か手伝えることがあれば遠慮なく言ってほしい」

「うん、ありがとう」


 これで少しは寂しさも拭うことができたかな。

 周りにいた女バス部員が全員俺達の方を見ており、それに気付いた渚は慌てて俺から離れた。彩花の場合は以前のこともあって意外と人前でも平気だけれど、渚は相変わらず恥ずかしがり屋である。


「こ、後半はミニゲームをやるつもりだから、今日は直人に参加してもらおうかな。さっき、部長と明後日の試合の出場メンバーのことについて話していたから、ミニゲームで色々と試したいことがあって。全て敵として参加して。もちろん、本気でね」

「分かった」


 念を押されなくても、本気でやらないと女バスの相手にならない。俺は単に背が高くて体力があるだけで、技とかはもちろん女バス部員の方が断然に上手い。

 後半の練習が始まり、俺は試合チームの相手としてミニゲームに参加する。

 バスケは5人で試合を行う。どうやら、渚、香奈さん、部長さんの3人は決まっているそうで、その他2名のメンバーをどのようにするかを、ミニゲームを通して決めたいそうだ。また、決定した3人が何らかの理由で欠けた場合のチーム編成も試すそうで。

 バスケに関しては素人な俺がそんな大事なことに関わらせてもらっていいのか分からないけど、ミニゲームには全力で取り組んだ。もちろん、全然敵わなかったけれど。

 今日の練習は1時間ほど早く終わったのであった。



 いつもなら渚が制服に着替えるのを待って、彩花と3人で途中まで一緒に帰るけれど、今日は渚に気を遣って、彩花は先に着替え終わった香奈さんと一緒に帰ってしまった。帰り際に2人きりで帰れと言われた。

 女子更衣室から出てきた渚はキョロキョロと周りを見ている。


「あれ、彩花ちゃんは?」

「ああ、香奈ちゃんと先に帰っちゃった」

「そっか。直人、私、教室に忘れ物があるんだけど、昇降口で待っていてくれる?」

「一緒についていくよ」

「ありがとう。じゃあ、一緒に行こうか」


 俺は渚と一緒に教室へと向かって歩き始める。

 さすがに、放課後になって2時間以上経っているので、教室棟にもほとんど生徒が残っていない。俺と渚の2年3組の教室も電気が消えていて誰もいなかった。

 教室の中は電気を点けるほどではないけれど、雨なので結構暗くなっていた。

 渚の席は廊下側で、俺は渚の隣の席に座って渚の用事が終わるのを待つ。

「忘れ物は見つかったか?」

「うん」

 渚はノートを俺に見せ、バッグに入れる。

 そうだ、今日は渚と2人きりの時間を過ごそうと決めたんだ。今、まさに2人きりじゃないか。渚が帰ろうとしないように、

 ――ドン!

 渚を壁に追い込んで、巷で話題となっている壁ドンをやってみる。


「きゃっ! な、直人……」


 急なことだったからか渚は驚いた様子。俺と顔が近いからか、段々と顔が赤くなっていく。


「2人きりだからってこういうことをするなんて、もしかして私のことを恋人にするって決めてくれたの?」

「……えっと、そうじゃなくて。今週に入ってあまり渚との時間がなかったから、つい……お前のことを逃がしたくなくて」


 あと、壁ドンというものを一度やってみたかったというのもある。

 渚はクスクスと笑い始めた。


「やっぱりそうだったんだ。いや、部活の休憩時間から直人達の態度が急に変わったなと思って。きっと、彩花ちゃんと香奈ちゃんが私のことを気遣ってくれたんでしょ。先に帰ったのもそれだよね?」

「そんなところだな。今日の授業中の渚はどこか寂しそうだったから、渚と2人きりになりたくて」

「……そっか」


 渚はそう呟くと、寂しそうに笑う。俺のことをそっと抱きしめてきて、その流れで口づけをしてくる。


「……寂しかったよ。一昨日は広瀬さんで、昨日は彩花ちゃんだもん。私だけ置いていかれたような気がして。直人のことばかり考えて、一昨日と昨日は練習に身が入らなかった。大切な時期なのに」


 そういえば、彩花と香奈さんが言っていたな。俺がいることで一昨日や昨日よりも動きが良くなったって。

 渚の頬には一筋の涙。


「直人。2日分の寂しさをここでなくして。2人きりだし……いいでしょ?」

「……ああ」


 渚の気持ちに応えるように、俺は渚のことを抱きしめる。

 すると、渚は嬉しそうに笑って、温かい口づけをしてくる。昨晩の彩花と同じように声を漏らしながら舌を絡ませて。声じゃないものが聞こえてきて。

 唇を離すと、俺と渚を繋ぐ粘り気のある透明な架け橋が教室に入り込む弱い光によって煌めいている。


「誰もいない教室での口づけっていいね。見つかるかもしれないっていう緊張感があって。だからこそ、興奮するのかも。薄暗いっていうのが厭らしくて好き」


 渚の言うようにこの薄暗さが、彩花や咲とはまた違う艶やかさを感じさせ、気持ちを高ぶらせてくれる。厭らしさも……あるかな。


「背はかなり高いし、胸は小さいし、彩花ちゃんや広瀬さんに比べれば、女の子っぽさは感じないかもしれない。でも、直人のことが好きな気持ちは2人に負けてないよ。私だって、直人のことを幸せにできる自信はあるよ」


 その言葉を態度で表すかのように、俺のことを今一度強く抱きしめる。


「広瀬さんは明日中に決めろって言うけれど、私は……答えが出せないっていうのも1つの立派な答えだと思う。やっぱり、今でも、急いで決めることは直人を焦らせているようで嫌なんだ」


 答えが出せないというのも1つの答えか。そういう風に考えたことはなかったな。


「……でも、いつかは私のことを選んでくれると嬉しいな。ううん、選んでほしい」

「渚……」

「もうちょっとだけ直人を感じさせて。そうすれば、この寂しい気持ちが愛しい気持ちに変わる気がするから」

「……ああ」


 渚は再び口づけをしてくる。渚の想いを知ったからか、さっきよりも熱くて、甘い。


「渚。渚は可愛いし、彩花や咲と負けないくらいに女の子として魅力的だと思うよ」


 唇を離したときに思っていることを素直に伝えると、


「ありがとう」


 教室には俺しかいないのに、俺だけにしか聞こえないような小さな声でそう言った。

 それから、俺と渚は2人きりの濃密な時間を過ごして、通常通りに部活が終わる時刻になってから下校したのであった。

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