第1話『広瀬咲』

 懐かしい声に導かれた先には、懐かしい顔があった。ただし、最後に顔を合わせた3年前と同じではなく、随分と大人っぽくなっていた。


「ひさしぶりね、直人」

「……ひさしぶりだな、広瀬」


 俺が彼女の名前を言った瞬間、なぜか周りがざわつき始める。どうして、俺が他校の生徒を知っているんだと思っているのかな。

 彼女の名前は広瀬咲ひろせさき。中学に入学したときに出会い、クラスメイトとして1年間だけ一緒に中学校生活を送った。広瀬は中学2年に進級する際、親の転勤に伴い洲崎町から引っ越してしまった。それ以来、彼女のことは何も聞いていなかった。


「まさか、ここで君と会うなんて……」

「驚いた?」

「当たり前だ。君とはもう二度と会わないかもしれないと思ったくらいだ。会うとしても正月やお盆に洲崎で再会すると思ってた。まさか、月原で君と会うなんて」

「楓や美緒から話を聞いていてね。先月、直人が参加した3年生のクラス同窓会については楓から聞いていたわ。色々あったみたいね」

「……ああ」


 広瀬は中学1年生のとき、美緒や北川、唯ともクラスメイトだった。当時から結構仲が良さそうだったけど、今でも電話とかでやりとりをしていたのか。


「まさか、広瀬咲さんとこんなところで会えるなんて!」

「……広瀬咲さん。まさか、彼女が直人の知り合いだったなんて」


 渚は真剣な表情で。香奈さんは嬉しそうな表情をして、広瀬のことを見ている。


「何だ? 渚と香奈さんは広瀬のことを知っているのか?」

「……去年のインターハイ予選で、注目選手として名前が挙がっていた女子生徒だよ。同じ学年だからよく覚えてる」

金崎かねさき高校の広瀬さんは、相当な実力を持つバスケットボール選手なんです。おそらく、渚先輩に匹敵すると思います」

「そうなのか」


 広瀬が強い選手だから、香奈さんはこんなに喜んでいるのか。

 そういえば、広瀬は中学で女子バスケ部に入部していたな。当時から他の女子よりも背が高かったことも思い出した。今でもバスケットボールを続けていたのか。ただ、当時は彼女がバスケは上手だという話は聞いていなかったから、転校してからの3年間で彼女の実力はかなり伸びたのだと思う。

 なるほど、さっきのざわめきは、女子バスケをしている生徒にとって、有名な人であると分かったからか。


「あたしも2人のことは知っているわ。去年、惜しくもインターハイに出場できなかったものの、1年生にしてチームを牽引した絶対的エースである吉岡渚。そして、中学の女子バスケで、小さい体ながらもその体格を生かして、強豪チームを次々と倒した『小さな巨人』と称されている桐明香奈」


 渚や香奈さんも高校女子バスケ界では有名な選手なのか。素人の俺でも凄いと思うほどだから、バスケをしている人には絶対に目が留まる存在なのだろう。それは広瀬も同じだと思う。


「3年ぶりに直人と会いたかったのが一番の目的だけど、吉岡さんや桐明さんがいる月原高校の女バスが普段どんな感じなのか、一度見てみたくて。きっと、インターハイ予選の決勝ブロックで戦うことになるだろうから」


 自身ありげな表情で話しているからか、広瀬から圧倒的なオーラを感じる。彼女1人で試合をしても勝ってしまいそうな雰囲気だ。3年前の面影が残っているので広瀬だとは分かっているけど、広瀬じゃない気がした。気が強いのは変わらないけど。この3年間で広瀬は心身共に大きく成長したんだ。


「存在感が凄いですね、直人先輩。まさか、あのような方とお知り合いだったなんて。先月、洲崎町に行ったときにはいなかったですよね」

「ああ。広瀬とは中学を入学したときに出会って、1年のときにクラスメイトだったんだ。洲崎で会った美緒や北川、唯とも同じだった。ただ、2年に進級するときに洲崎から引っ越した。だから、ゴールデンウィークに帰ったときは洲崎にはいなかったんだ。それに、同窓会は3年生のときのクラスでやったからね。そういえば、広瀬、お前ってどこに引っ越したんだっけ?」

「金崎市よ。月原から電車で20分くらいのところかな」


 月原からだと意外と近いところに引っ越していたんだな。全然知らなかった。

 俺がどこに引っ越したか知らなかったせいなのか、広瀬は不機嫌そうな表情で俺のことをじっと見ていた。


「あのさ、直人」

「なんだ?」

「あたしが直人のことを名前で呼んでいるんだから、直人もあたしのことを名前で呼んでくれたっていいじゃない。何だか恥ずかしいよ……」


 ああ、不機嫌な理由はそこだったのか。そういえば、3年前から広瀬は俺のことを名前で呼んでくれていたっけ。


「そういえばそうだったな。分かったよ、咲」

「……な、名前で呼ばれるのはいいものね」


 名前で呼ばれないのが恥ずかしいと言っておきながら、名前で呼んでもらっても恥ずかしそうな表情をしていた。でも、さっきと違って嬉しそうではある。

 そろそろ、俺がずっと抱いていた疑問を咲にぶつけてみるか。


「俺が月原高校にいることは美緒や北川から聞いたそうだけど、どうして俺がこの体育館にいるって分かったんだ? ここに来て誰か生徒に訊いたのか?」

「ううん、ここに通っている中学時代の友達に聞いたの。直人が後輩の女の子と一緒に女子バスケ部のサポートをしているってね。それで、何だか運命を感じちゃって」

「……運命?」


 その言葉を聞いた瞬間、心がざわつく。何だか、近々、大きな波が俺達に襲ってくるような感じがして。


「後輩の女の子って、直人の隣にいる赤い髪の子でしょう? 確か、名前は宮原彩花さん」

「そうですけど、どうして私の名前を……」

「聞いたからよ。楓からね」

「楓って……直人先輩の中学時代の友人の北川楓さんのことですか?」

「その通り。彼女とは中学からの親友なの。あなた達が洲崎町に帰った後、楓との電話であなた達のことについて色々と聞いたわ。美緒ともたまに連絡しているけどね」


 その瞬間、咲の目つきは鋭いものに変わった。これはスポーツの試合で敵になる人を見るような目じゃない。人としての敵。許せない者を見ているようであった。咲の視線には憎しみや怒りが込められているように感じる。

 咲は北川からどんな話を聞いたんだ? どういう話を聞けば、ここまで彩花や渚に敵意を丸出しにさせることができるのか。


「何か、私や彩花ちゃんに不満でもあるのかな。今のあなたの態度を見ていると、そういう風にしか受け取れないんだけど」


 真剣な表情をした渚が話を切り出した。

 それに対し、咲はニヤリと笑って、


「……不満というよりは憎悪感ね。とても深いわ」


 低い声でそう言った。

 今の咲の言葉にはさすがに、彩花も渚も不快感を表に出す。


「彩花ちゃんや渚先輩は、そんなことをするような人じゃありません!」


 2人が悪く言われているのが我慢できなかったのか、香奈さんは咲に反論する。

 しかし、それにも咲は全く動じなかった。むしろ、声に出して笑う。


「……あなたは何も知らないからそういうことが言えるのよ、桐明さん」

「えっ……」


 香奈さんは言葉を詰まらせる。

 咲が抱く2人に対する憎悪感とは何なのか。俺はその原因に心当たりがあったけど、さすがにあのことじゃないだろうと思い、不安な気持ちを必死に押さえ込む。


「それを言う前に、まずはあたしの一番の目的を果たさないと」

「一番の目的?」


 それって、俺に会うことじゃなかったのか? 彩花や渚に対する憎悪感もそうだけど、咲が何を考えているのか全く想像ができない。

 そんなことを考えていると、咲は急に頬を赤くし、ついさっきまで2人に憎悪感を抱いていたとは信じられないくらいに汐らしい表情になっている。


「直人に対して告白すること。直人のことが好きな宮原さんと吉岡さんの前でね」


 その言葉を聞いた瞬間に、俺の不安な気持ちの種が一気に芽吹いていく。まさか、咲まで俺のことを――。

 咲は俺の目の前に立ち、俺のことをじっと見つめて、


「出会ったときからずっと直人のことが好きです。あたしと……恋人として付き合ってください」

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