第13話『藍沢美月』

 これほど、気の休まらない入浴が今までにあっただろうか。

 彩花と渚は部屋で俺のことをじっと待っていようと言っていたけど、あの2人だと予想外のことをしてきそうな気がする。なので、ゆったりと湯船に入れなかった。

 寮の風呂に入っているときは何も考えないけど、なぜか今日は不安で仕方がなかったのだ。

 しかし、それは杞憂に終わった。

 寝間着に着替え、さっきのように自分の部屋に戻る途中で、彩花と渚のいる客間に立ち寄ってみた。

 すると、彩花と渚はうっとりとした表情で俺を見ていた。また、彼女達の寝間着が第2ボタンまで外れている。これはさっさ自分の部屋に戻った方がよさそうだ。


「……ちゃんと上までボタンをはめないと風邪引くよ。じゃあ、おやすみ」

『ちょっと待って!』


 がっと2人に手を掴まれた。そのせいでふとんの上に尻餅をついてしまう。俺を簡単に部屋へ帰させないか。


「えっと、その……何もしないんですか?」

「……どんなことを俺がすると思ったのかな?」

「それを私に言わせるんですかぁ……」


 そう言って悶える彩花は夕方までとは違って、素の彼女であると分かった。両親や美月と打ち解けられたのだろうか。


「好きな人に抱きしめられて、お風呂に入ってくるって言われたら……普通の女の子ならキスとか色々なことをするって思うんだからね」


 そういうものなのか?

 ただ、俺がさっき彩花と渚を抱きしめたことで、2人に変な想像をさせてしまったのは事実。渚の今の言葉に反論はできない。


「2人が想像しているようなことをするつもりはないから。変に誤解させてしまうことをしてごめん」


 そう謝ると、彩花と渚はがっかりしながらも、どこかほっとしているように見えた。期待半分不安半分といった感じだったのかな。


「いえ、私達も変に考えすぎていました」

「な、直人がお風呂に入っている間に、2人で色々と話していたのが恥ずかしいね」

「あのことを思い出すと、恥ずかしすぎて直人先輩を直視できません」


 そう言う彩花の顔は真っ赤だ。その赤みが凄すぎて、渚の顔色がまだマシだと思えるくらい。それでもかなり赤いけれども。

 まったく、2人でどんなことを話していたんだか。2人のため……特に彩花のためにそのことについては触れないでおこう。


「直人、同窓会はどうだった? 楽しむこと……できた?」


 渚が不安そうな様子で訊くのは、唯の死に関して美月から聞いたからだろう。


「……まあな。ひさしぶりに地元の友達と会えて楽しかったよ」

「そっか。それなら良かった」


 渚はほっと胸を撫で下ろしている。


「こういう町だからさ、終始、話題は月原市での俺の高校生活のことだった。2人のことも結構訊かれたなぁ」

「こっちも同じ。私と彩花ちゃんも、ひかりさんと美月ちゃんから高校生活のこととか、直人絡みのことばかり訊かれて」

「そっか」


 訊き方は違っても、話している内容はどっちも一緒だったのか。洲崎町から見れば月原市は都会だからな。みんな訊きたいことは同じなんだなぁ。


「また、明日ゆっくり話しましょう。直人先輩は同窓会に行って今日は疲れたでしょう」

「すまないな。今日はもうすぐに寝るよ。明日から旅行だし」


 風呂に入ってから眠気が一段と増している。2人のことで気が抜けなかったけれど、変なことはしないと分かったから。

 そうだ、部屋を出る前に彩花に一言言っておくか。


「昼の彩花よりも今の彩花の方がいいな。彩花は素でいいと思うよ」


 夕方のように変に暴走しなくても、彩花はありのままでもかなり可愛いと思う。それに、自然体でいてくれた方が不安なこともなくなるし。素の大人しい彩花も、渚と十分に渡り合えると思うけどな。


「良かったね、彩花ちゃん。やっぱり、直人はちゃんと見てくれているんだよ」

「……そうみたいですね。嬉しいです」


 彩花はとびきりの嬉しそうな笑顔を見せた。

 今の2人のやりとりからして、俺が同窓会に参加している間に何かがあって、彩花も自然体でいられるようになったんだな。


「じゃあ、俺は部屋に寝るよ。2人とも、おやすみ」

「おやすみなさい、直人先輩」

「おやすみ、直人」


 俺が寝た後に部屋に入ってくるなよ……と忠告しなくても大丈夫だろう。今の2人だったら。

 俺は客間を出て、歯を磨いてから自分の部屋に戻った。

 もう眠気は最高潮に近かったため、部屋の明かりを点けずにベッドへとまっしぐら。そのまま眠ろうとしたときだった。

 ――コンコン。

 ノックの音がするとは思っていなかったので驚いた。今のことでかなり眠気が飛んでしまった。


「彩花か? それとも渚か?」

『……ううん、あたし』

「その声は……美月か」

『うん。入ってもいい?』

「ああ、いいよ」


 やっと眼が暗さに慣れてきたところだったので、部屋の中に入ってくる美月の姿が認識できる。美月は枕を抱きかかえていた。


「一緒に寝てもいい?」

「うん、俺はかまわないよ」

「べ、別にお兄ちゃんと一緒に寝たいんじゃなくて、あたしと一緒に寝ていれば、彩花さんや渚さんと何か間違いを起こすことはないと思っただけ」

「はいはい、そうですか」


 本当はそんなことは関係なしに、俺と一緒に寝たいって一発で分かるんだけどな。昔のように素直になれなくなったのも、美月が大人になってきている証拠なのかな。


「ほら、落ちないように壁側に枕をおいて。俺を跨いでいいから」

「……それじゃ、お言葉に甘えて」


 美月は俺を跨いで俺のすぐ側で横になる。その時に美月から甘い匂いがふんわりと香ってきた。

 前は美月と2人でこのベッドで横になっても余裕があったのに、今は体のどこかが常に触れている状態に。この1年間で美月は心だけでなく体も成長しているんだなぁ。成長期だもんなぁ。


「ねえ、お兄ちゃん」

「ん? なんだ?」

「……あたし、1年前にお兄ちゃんが月原市に行ってから成長したかな」

「凄く成長したよ。今、そう思っていたところだ」

「あたしね、お兄ちゃんが月原市の高校に通うって初めて知ったとき、とっても嫌だったの。お兄ちゃんがここから離れることが凄く嫌で。寂しくて」


 やっぱり、そういうことだったのか。美月が月原に上京するのを嫌がっていた理由。当時はまだ小学生だったから、嫌だと思っても不思議ではない。


「お兄ちゃんが上京した日。とても寂しくて部屋にこもって1人で泣いてた。それでも、1年経ったらお兄ちゃんがいなくても平気になれた。でも、いざお兄ちゃんが帰ってくると、自分の心が全然変わってないんだなぁって思った。お兄ちゃんと一緒にいて楽しそうにしている彩花さんと渚さんが羨ましいって」

「……そうか」


 それで、俺と2人きりで寝ようと思って俺の部屋に来たわけか。本当に可愛い妹だなぁ。兄としてこの上なく幸せですよ。全国のみなさんに自慢したいですよ。


「あ、あのさ。昔みたいにもっと側に寄って寝てもいい?」

「遠慮するな。それに、変なことをするつもりもないから安心しろ」

「……そう言ってくれるほど、あたし、女の子らしく成長してるんだ。嬉しい」


 美月は嬉しそうに笑った。洲崎駅に帰ってきてから、ずっと落ち着いていてクールになったんだと思ったんだけれど、ようやく上京するまでのような美月の表情を見ることができた。これぞ美月だよな。可愛い妹だな、まったく。

 美月は俺と腕を絡ませてくる。その際に柔らかい感触を感じるけれど、これは……1年前にはあまり感じなかったものだな。色々と美月が成長しているのを実感する。


「お兄ちゃん、おやすみ」

「ああ、おやすみ」


 眠りに落ちてゆく美月の顔は以前と全く変わらない。天使のように可愛らしい。久しぶりに俺と一緒に寝ることができて安心しているのか、本当にいい顔をして寝ている。いつか、俺以外の男にこういう顔を見せるかもしれないと思うと兄として辛いよ。……いや、女の子と付き合う可能性もある。辛い想いをしなくていいかもしれない。


「俺も寝るか」


 今日は色々とあったけれど、美月のおかげでいい夢を見られそうだ。

 それから程なくして、俺は美月の隣で眠りにつくのであった。

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