第12話『我が儘』

 午後9時。

 3年2組の初めての同窓会が終わり、俺は美緒と一緒に会場を後にする。美緒とこうして洲崎の町を歩くのも1年ぶりか。

 俺と美緒の家が数軒ほどしか離れていないこともあって、小学生のときはほぼ毎日一緒に登下校していた。ただ、中学生になると俺は剣道部に入ってしまったので、一緒に登校はしたけれど、下校することはだいぶ少なくなってしまった。高校進学を機に俺が上京してしまったため、美緒と一緒に歩くこと自体が一切なくなってしまった。

 同窓会で美緒に改めて月原高校に行く理由を話していたときに、あることを思い出していた。俺が美緒に月原市の高校に行くと初めて告げたとき、寂しげに微笑んでいたことを。それでも、嫌な表情を一つ見せずに頑張れと背中を押してくれたことを。

 あのときは肯定も否定もしなかったけど、怒号を発した男子の言うとおり、俺は洲崎から逃げたい気持ちもあったのだろう。高校に進学してから家族以外には一切、洲崎の人間に連絡をしなかった。もちろん、美緒にも。


「寂しい想いをさせちゃったかな……」


 俺が漏らした言葉が聞こえたのか、隣で歩く美緒はふっと笑った。


「……当たり前だよ。だって、なおくんのいる高校生活の方が楽しいに決まっているから」

「そうか」


 そうはっきりと言われると、チクッと心が痛む。俺を気遣って本音を隠されてしまうよりはいいけれど。


「洲崎高校には同じ中学の子がたくさんいるけど、なおくんがいないだけで、寂しさの方が勝ってる。友達もいるけど、それでもどこか物足りないなって。なおくんが帰ってくる前まではそうだった」


 俺はどうなのだろう。月原に一人で上京し、全然知らない土地で高校生活がスタートして。渚と彩花に出会い、告白されて。


「でも、今は違うの。なおくんはなおくんなりに月原高校での高校生活を楽しんで、頑張ってる。それが分かって凄くほっとしたんだ。気持ちが満たされていく感じがしたの。きっと、なおくんが普段どうしているのか分からなくて不安だったんだと思う」

「……中学まではずっと一緒だったからなぁ」


 そんな人間が突然離れたら、不安になってしまうのは仕方がない。

 俺は美緒の手をそっと掴む。


「な、なおくん……」

「小学生のときはいつもこうして歩いてただろ? ひさしぶりに手を繋いで帰ろうぜ」

「でも、なおくんには彩花ちゃんや渚ちゃんがいるでしょ。それなのに、私がなおくんと手を繋いじゃったら悪いよ」


 美緒は立ち止まり俺から手を離した。そんな彼女の顔は今の暗さでも分かるくらいに赤くなっていた。

 俺のことを好きだと公言する彩花と渚を見てしまった美緒にとって、俺と手を繋ぐのは2人に悪い気がしてしまうのだろう。


「俺は2人のどっちかと付き合っているわけじゃない。それに……俺の幼なじみは美緒と唯しかいないから」

「でも……」

「俺は美緒のわがままを聞きたいんだよ。高校に進学してから初めて帰ってきたんだ。遠慮なく言ってほしい」

「それでも……」

「俺がいなくて寂しいって言ったのはどこの誰だ? この4日間で美緒がずっと抱いているその気持ちを、少しでもなくしたいんだよ、俺は。そのことに彩花や渚がいるかどうかなんて関係ないんじゃないか?」


 俺がそう言うと、美緒は俺の手をぎゅっと握り返してきた。


「じゃあ、なおくんの家の前まで。手を繋いで帰りたい」

「ああ、分かった」


 俺と美緒は再び歩き始める。

 彩花や渚の手も繋いできたけれど、やっぱり美緒の手が一番落ち着く。手自体が覚えているのかな。最も馴染みのある手の大きさや温もりを。


「やっぱりいいな。なおくんと一緒に歩いているの」

「そうか。こうして手を繋いでいると、小学生のときを思い出すな」

「そうだね。小学生のときは唯ちゃんと3人一緒だったよね。でも、いつの間にか手を繋がなくなっちゃったね」

「手を繋ぐことから繋がない方が普通になっちゃったよな」


 中学のときも登校は毎日一緒だったけど、気付いたら手を繋がなくなっていた。手を繋ごうと思わなくなっていた。側にいたことは変わりなかったのに。


「きっと、私達は手を繋がなくても一緒にいるって思えたんだろうね。だからこそ、小学生のときに躊躇なくできたことが、大きくなってできなくなっちゃったのかも」

「……その通りかもしれないな」


 大きくなって、手を繋ぐ意味合いが変わったんだ。それはついさっきの美緒の反応が物語っていた。昔は仲のいい友達との間でする好意だったけど、今は好きな人同士が行うこと。特に異性とでは。お互いを見る目が、小学生のときから変わっているからかもしれない。幼なじみと一言で言える関係は同じだけれど。


「なおくん、明日からはどう過ごすの?」

「明日から1泊2日で旅行に行く予定だ。両親が彩花と渚を温泉に連れて行かせたいそうでさ」

「じゃあ、6人で行くんだね」

「ああ」


 旅行を提案したのは父さんだから、何か不安なんだよな。父さんのことだから何か企んでいるに違いない。


「まあ、温泉に行くだけだし、明後日の夕方くらいには帰ってくると思うよ」

「そっか。ちょっと寂しいけれど、同窓会でなおくんから話をたくさん聞けたからいいかな」

「4日間あるしな。帰る日も昼過ぎくらいまでいるつもりだし、遊びに来てくれよ」

「……うん」


 美緒は嬉しそうに笑った。その笑顔は、小学生のときによく見せてくれた無邪気さも感じられるもので。

 気付けば、もう俺の実家が見えていた。


「あっという間に着いちゃったね」

「元々、あのお店から近いからな」

「でも、ひさしぶりになおくんと手を繋いで帰ることができて嬉しかった」

「……俺も嬉しかった。美緒とこういう風にゆっくりと歩けて」


 不登校になったときは、二度とこの洲崎町ではゆっくりと歩けるとは思っていなかった。時間が少しずつ解決してくれているのかな。

 美緒の方からそっと手を離した。


「じゃあ、またね。なおくん」

「……ああ、またな」


 俺は美緒の頭を軽く撫でて、自宅の玄関に向かって歩く。


「ただいま」


 家の中に入ると、風呂上がりの美月とばったり出会う。


「お兄ちゃん、おかえり。同窓会は楽しかった?」

「ああ、まあな。そっちはどうだった? 2人の様子はどうだ?」

「結構楽しくやったよ、女子会」

「じょ、女子会をやったのか?」


 どういうことだ? 父さんがいるのに。父さんなら喜んで参加しそうだけど。


「お父さんが途中で酔いつぶれちゃって。お母さんがお兄ちゃんの同窓会に肖って女子会をする流れになって。お母さんとあたしで、2人に月原市のこととかお兄ちゃんのことで矢継ぎ早に質問した」

「そ、そうか」


 父さんが寝ちゃったから、自然と女子会になったわけか。父さんは酒好きだけど意外と弱いからなぁ。きっと、ビールを飲んですぐに眠ってしまったんだろう。

 彩花も渚も俺と同じことを話していたんだな。どうやら、洲崎町の人はみんな月原市のことについて興味があるそうで。


「父さんと母さんはもう寝ちまったのか」

「うん、お母さんもお酒飲んだからいつの間にか寝ちゃって。女子会もそのままフェードアウト。彩花さんと渚さんに片付けをさせるわけにはいかないから、お風呂に入る前まで私1人で片付けしていたんだから」

「それはご苦労様」

「……お風呂に入ったら眠くなってきちゃった。あとはお兄ちゃんだけだからお風呂どうぞ」

「ああ、分かった。そういえば、美月……2人に唯のことを話してくれたか?」

「うん、話したよ。そのときに2人が話してくれたんだけど、お兄ちゃん、唯ちゃんのことがあったから……彩花さんが誘拐されたときに気を取り乱したんだって?」

「……ああ。唯と同じようになってほしくなかったから」


 彩花が誘拐されたことを知ったとき、不意に唯の顔もよぎったから。唯のように彩花を死なせたくないと。


「なるほどね。それで、唯ちゃんの墓参りには行けた?」

「ああ、まあな。だけど、唯の墓の側で千夏さんに会った」


 そう言うと美月はとても驚いた様子に。美月も俺が千夏さんから激しく非難されたことを知っているので、そういう反応を示すのは当然か。


「どうして千夏ちゃんが?」

「唯が亡くなったことについて非難したことを謝られた。俺にフラれたから自殺したとは限らないのに、そう決めつけてしまったからって」

「確かに千夏ちゃんの言うことは正しいと思うけど、どうして今になって……」

「2年の間で考えが変わったんじゃないか」

「……かもね」


 何か唯の死に対しての考えが変わるきっかけがあったのか。それとも、ただ時間が経ったことで自然と変わっていったのか。あのときの千夏さんを思い出すと、そのどちらでもないような気がする。


「でも、ちゃんと謝ってくれて良かったじゃない。お兄ちゃんが悪くないって分かってくれたんだからさ。私は嬉しいよ」

「……そうだな」

「じゃあ、あたしは部屋に行くから。適当にお風呂に入って」

「分かった」


 そうだ、風呂に入る前に彩花と渚に顔を出しておくか。

 自分の部屋に戻る途中で彩花と渚のいる客間に行くと、そこには寝間着姿の2人がふとんの上で寝転がりながら談笑していた。


「おかえりなさい、直人先輩」

「おかえり、直人」


 そう言って笑顔で迎えてくれる2人を見ると、ようやく家に帰ってきたんだなって感覚になる。同窓会に参加したからか普段よりもその実感は大きい。まるで2年前から現在に戻ってきたようだ。

 俺は2人のことを引き寄せるようにして、同時に抱きしめる。


「ただいま、彩花、渚」


 こうしているととても安心する。2人の温もりや甘い匂いが、気持ちを落ち着かせてくれる。


「……俺、風呂に入ってくるから」


 そう言って客間を出ると、すぐに中から2人の黄色い声が聞こえた。俺に抱きしめられたことが嬉しかったのかな。


『私達を抱きしめてからのあの言葉ってど、どういうことなのでしょう?』

『わ、分からないけれど……色々と準備しておいた方がいいかも』

『私もそうですけど、まずは落ち着きましょう。それで、直人先輩がお風呂から出てくるのをじっと待ちましょう』

『そうね。何があってもいいように、心の準備をしておかないとね』


 どうやら、さっきの俺の行動で、2人に誤解を与えてしまったかも。自分から蒔いてしまった種だけど、今夜は2人のことを警戒した方が良さそうだな。

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